128 / 191
第三章 潜入
4
しおりを挟むミカドの寝所の周囲は常に、衛士の武官らによって厳重に警備されている。どの妻戸にも数名の衛士が詰めており、それぞれに近くで松明をたいている。
本来、スメラギは進んだ科学技術を擁した国だ。だからこうした古の明かりを使わずとも、他惑星のように太陽エネルギー等によるもっと明るい照明を使うことも可能である。
しかし、そこをわざわざこうして貴重な木材を使用するのが「こだわり派」のスメラギ式なのだった。逆に言えば、今となってはこれこそが何よりの贅沢ということになっている。
「……そこだ」
父の寝所のそばまで来て、アルファは小さな声でベータに囁いた。いま、男はすぐ隣にいる。
「一緒に中へ。慌てなくても大丈夫だ」
男とマサトビが黙ってうなずいたのを確認してから、アルファはそっとその妻戸へ足を向けた。
<隠遁>の影響下に入った妻戸は、実際にはきい、と小さな音をたてて開いたのだったが、すぐ脇にいる中年の衛士には何も見えず、聞こえていない様子だった。アルファは開いた戸から残りの二人が入ったのを確認すると、自分もその中に滑りこみ、そっと元通りに閉じた。
(父上……)
さすがにこの部屋に入ると、こみ上げてくる感慨は止められなかった。
あの日、もう何年も前、同じように<隠遁>を使ってこの部屋に来たときのことを思い出さずにはいられない。何十年も前のことではないはずなのに、アルファにとって当時のことはすでにはるか遠い昔のことのように思われた。
周囲にはうっすらと、ミカドの部屋で焚かれる香の匂いがしている。その匂いはまるで、そのまま一気にアルファをあの頃の「第三皇子タカアキラ」に引き戻すかのようだった。
ふと隣を見れば、黒髪、黒い瞳のベータがこちらを不思議な目の色で見つめている。そこに何となくこちらを案じる色を見たような気がして、アルファは「まさかな」と己が妄想を振り払った。そうして少し笑って彼とマサトビにうなずき返すと、改めて周囲を見回した。
部屋は以前と何も変わっていなかった。
四隅に宿直の武官が詰めており、中央にミカドのご寝所たる御帳台が据えられている。アルファは二人に手で合図をし、そっとその帳をあげて中へ滑り込んだ。二人もすぐにそれに続く。
「父上……!」
寝床に仰臥した父を見て、アルファは思わず瞼が熱くなり、不覚にもうわっと眼前が曇るのを覚えた。しかし、ベータとマサトビの目線を感じ、ついあふれそうになるものを抑え込んだ。
父は以前よりもずっと痩せてしまっていた。頬や首筋の肉がそげ落ち、以前はなかった白いものがその頭髪にかなり目立つようになっている。眠っておられるにもかかわらずその表情が重く悲しげに見えることが、さらにアルファの胸を締めつけた。しかしそれをぐっと堪えて、アルファはそうっと父の肩に手を触れた。
「父上……。父上」
堪えているのにその声は、どうしてもみっともなくひび割れた。
「父上……。お起こししてしまって申し訳ございませぬ。どうぞ、お目を開けてくださいませ。タカアキラにございます。父上……」
何度かそうして呼びかけると、父はようやく「うむ……」と声を上げて目を開けられた。帳ごしにではあるが、御帳台の中は部屋の隅に置かれた灯火の明かりでうっすらと明るい。
父の目がしばらく空を彷徨い、やがてタカアキラの顔の上で止まってぱちぱちと瞬いた。
「な……。タ、タカアキラ……?」
ミカドはかっと目を見開いてアルファの腕をむずと掴んだ。それはもの凄い力だった。
「タカアキラ! ……タカアキラなのか。夢ではないのかッ……!」
「父上……」
痩せた父の手がアルファの肩に触れ、やがて上体を起こし、両手で顔をはさむようにして覗き込まれる。父の手はかさついていたものの、それでも大きくて温かかった。
「父上……。父上──」
アルファは必死で歯を食いしばっていたけれども、それでも嗚咽をこらえるのは難しかった。
「ご心配を、お掛けしました……。タカアキラでございます。長い間、ご連絡もできませず……ほんとうに、ほんとうに──」
そこまでだった。
父の両腕がすごい力でアルファの体を抱き寄せたかと思うと、力いっぱい抱きしめてきたからだ。父の胸に顔を押し付けられたまま、アルファもとうとう我慢できずに嗚咽を漏らした。
「タカアキラっ……! よう……よう、無事で──」
それは父も同様だった。
感涙の再会をした父と子を前に、マサトビはすでに完全にもらい泣きをして袖で顔を覆い、はげしく肩を揺らしている。
ベータはと言えばかなり所在なさげな顔で、しばらくぽりぽりと首の後ろなどを掻いていたようだった。が、そのうち我慢が尽きたようにこう言った。
「そろそろいいか。肝心の話を始めたい。あまり時間がないんでな」
「あ……うん。すまない──」
彼にしてはかなりやんわりと優しいぐらいの声でそう言われて、アルファはやっと父の胸元から少し離れた。
確かに時間はない。自分の<恩寵>である<隠遁>は素晴らしい力だけれども、決して万能ではないからだ。アルファ自身あまり自覚はないのだが、それを使えば確実に疲労が溜まる。あまりにもそれが蓄積すればひどい眠気をもよおして目を開けているのも億劫な状態になる。
実はあのオッドアイでミミスリが医療カプセルに入っていた間、アルファはベータに勧められて自分の能力の在り様をある程度把握する機会があったのだ。
とはいえそれはごく常識的な結果だった。隠そうとするものが大きければ大きいほど、そして時間が長ければ長いほど、アルファの疲労の溜まり具合は早くなり、程度もひどくなるのだった。
「父上様。この者の申す通りです。申し訳ありませんが、あまり時間が取れませぬ。これからお話しすること、どうぞよくよくお聞きになってくださいませ──」
アルファはまだ零れ続ける涙をぬぐいながら父に頼んだ。父も同様の様子ではあったものの、皆の緊張した面持ち見やって「うむ」とひとつうなずいた。
0
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説
Please,Call My Name
叶けい
BL
アイドルグループ『star.b』最年長メンバーの桐谷大知はある日、同じグループのメンバーである櫻井悠貴の幼なじみの青年・雪村眞白と知り合う。眞白には難聴のハンディがあった。
何度も会ううちに、眞白に惹かれていく大知。
しかし、かつてアイドルに憧れた過去を持つ眞白の胸中は複雑だった。
大知の優しさに触れるうち、傷ついて頑なになっていた眞白の気持ちも少しずつ解けていく。
眞白もまた大知への想いを募らせるようになるが、素直に気持ちを伝えられない。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
【完結】人形と皇子
かずえ
BL
ずっと戦争状態にあった帝国と皇国の最後の戦いの日、帝国の戦闘人形が一体、重症を負って皇国の皇子に拾われた。
戦うことしか教えられていなかった戦闘人形が、人としての名前を貰い、人として扱われて、皇子と幸せに暮らすお話。
性表現がある話には * マークを付けています。苦手な方は飛ばしてください。
第11回BL小説大賞で奨励賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
僕がサポーターになった理由
弥生 桜香
BL
この世界には能力というものが存在する
生きている人全員に何らかの力がある
「光」「闇」「火」「水」「地」「木」「風」「雷」「氷」などの能力(ちから)
でも、そんな能力にあふれる世界なのに僕ーー空野紫織(そらの しおり)は無属性だった
だけど、僕には支えがあった
そして、その支えによって、僕は彼を支えるサポーターを目指す
僕は弱い
弱いからこそ、ある力だけを駆使して僕は彼を支えたい
だから、頑張ろうと思う……
って、えっ?何でこんな事になる訳????
ちょっと、どういう事っ!
嘘だろうっ!
幕開けは高校生入学か幼き頃か
それとも前世か
僕自身も知らない、思いもよらない物語が始まった
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
大好きなBLゲームの世界に転生したので、最推しの隣に居座り続けます。 〜名も無き君への献身〜
7ズ
BL
異世界BLゲーム『救済のマリアージュ』。通称:Qマリには、普通のBLゲームには無い闇堕ちルートと言うものが存在していた。
攻略対象の為に手を汚す事さえ厭わない主人公闇堕ちルートは、闇の腐女子の心を掴み、大ヒットした。
そして、そのゲームにハートを打ち抜かれた光の腐女子の中にも闇堕ちルートに最推しを持つ者が居た。
しかし、大規模なファンコミュニティであっても彼女の推しについて好意的に話す者は居ない。
彼女の推しは、攻略対象の養父。ろくでなしで飲んだくれ。表ルートでは事故で命を落とし、闇堕ちルートで主人公によって殺されてしまう。
どのルートでも死の運命が確約されている名も無きキャラクターへ異常な執着と愛情をたった一人で注いでいる孤独な彼女。
ある日、眠りから目覚めたら、彼女はQマリの世界へ幼い少年の姿で転生してしまった。
異常な執着と愛情を現実へと持ち出した彼女は、最推しである養父の設定に秘められた真実を知る事となった。
果たして彼女は、死の運命から彼を救い出す事が出来るのか──?
ーーーーーーーーーーーー
狂気的なまでに一途な男(in腐女子)×名無しの訳あり飲兵衛
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる