星のオーファン

るなかふぇ

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第一章 スメラギの少女

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「よいしょ、っと……」

 少女は今日も、土ぼこりの舞う窯場の煉瓦レンガ置き場で積みあがった煉瓦のひとつをいつものように持ち上げる。このあいだ六つになったばかりの少女にはひとつだけでも大層な重労働だったけれど、なんとか頑張って二つを頭の上に乗せた。
 慎重に、慎重に。そうやって「煉瓦敷レンガしき」が頭の上からずりおちないよう、十分に気を付けなければならない。
 煉瓦敷というのは、煉瓦を運ぶための道具のひとつだ。荒縄を丸め、ぼろ布でくるんで作っただけの座布団のようなものである。そのくぼみをうまく使って、丸い頭の上に四角い煉瓦を固定させるのだ。
 まだこの仕事に慣れないころ、少女は盛大に煉瓦を落っことしてしまい、危うくそれで自分の足を痛めるところだったのだ。

 あのときはひげ面の怖い顔をした現場監督の男にこっぴどく叱られて、まだ四つだった少女は今にも大声で泣き出しそうになった。しかし、助けてくれる人はだれもいない。周りにいる似たような子供たちは自分の仕事に忙しく、泣きそうになっている幼い少女になんて目もくれずに黙々と歩き去るばかりだった。
 知らん顔をしてくれる子はまだマシで、あからさまに「邪魔なんだよ」と忌々し気な目で睨んでいく少年までいる。だから少女は、泣き声になりそうな喉を必死に叱咤してひとりで立ち上がらねばならなかった。
 それでも両目からは、我慢できずにあふれ出た大粒の涙がぽとぽととこぼれ落ちた。そうすると、遠くの賄い場で働いている母が両手をもみ合わせるようにしながら見守っている顔もぼやけて、遂に見えなくなってしまった。

 スズナがこの仕事を始めて、まだ一年と少しだ。
 周囲には自分よりも小さな子からもっと大きな子まで、あわせて数十人ほどが働いている。みんな貧しい家の子で、スズナ同様、荒い麻の短い着物に荒縄を帯がわりにしたような姿が多い。中にはふんどし一丁なんていうごく簡素ないで立ちの子までいる。
 彼らの仕事はこうやって、窯で焼きあがった重い煉瓦を頭に乗せ、遠くの都までそれを売りにいく商人たちの馬車やら牛車やらの荷台まで運ぶことなのだ。
 穀物の束を担いだり、刃物や農具を扱えるようになったもっと大きな子供たちは、近くの農家に日雇いで雇ってもらえるようになる。そちらのほうがこれよりずっと割のいい仕事なのだ。しかし、それまではともかくも、この重い煉瓦を日がな一日運び続けることが自分たちの仕事なのだった。

 子供たちは、あまりこの仕事を長くは続けたがらない。何か理由があって農家に雇ってもらえず、この仕事を長いこと続けている少年の顔は、重い煉瓦を運び続けたせいでしわくちゃになっている。まだとおを少し出たぐらいの年のはずなのに、彼の日に焼けた額はたくさんの筋が入って、まるでおじいさんのようだった。でもそれだって、仕事があるだけましなのだ。
 道の途中で子供たちの運ぶ煉瓦の数を調べている少年がいて、みんなは運べた煉瓦の数にしたがって一日の終わりに賃金をもらって帰る。とはいっても、それは母に言わせればまことに「雀の涙」といっていいような額らしい。幼いスズナの一日の食費にもなるかならないかの金なのだという。
 それでもこうして働かねばならない子供たちがこの国にはたくさんいるのだ。

 そうしてもちろん、スズナもその一人だった。
 当時、あまりにも幼くてよく覚えてはいないのだけれど、これまでずっと家を空けていたスズナの父が三年前に戻ってきた。父は仕事先で大けがをしたということだった。それまでは父の稼ぎのおかげで都でそれなりに不自由のない暮らしをしていたスズナたちだったが、それ以後はそうも言っていられなくなったのである。
 父は足が立たず、上半身もあまり動かない状態になっており、床から起き上がるのにも母の手を必要とした。父が勤めていたスメラギ皇家からは父の功績と負傷に対して多少の金銭が出たようだったが、親子三人がこれからもずっと暮らしていくには、それではとても足りなかった。
 一家はそれから、都からほど遠いとある田舎に引っ越した。都は水道やなにかがよく整備されていて住むには便利なのだったが、とにかくあらゆるものに金がかかるからだった。
 そうして、母はそこでとある宿屋に職を得て働くようになったのだ。

 そこでやっと落ち着いた暮らしができるかと思ったが、そうそううまくはいかなかった。
 母のキキョウはとても美しい人だった。最初のうちから、父は母が外で働くにあたってそのことをなにより心配したようだった。
 そうしてその心配は残念ながら的中したのだ。

 思った通りと言うべきか、最初に世話になった宿屋の主人から、母はさっそく言い寄られた。子供のスズナには話の内容はよくわからなかったけれど、でっぷりと肥え太ったその主人が母に求めていることはその濁った目の色を見れば決してほめられるようなことでないのは明らかだった。
 主人にはもちろんちゃんとした奥様がいて、すでに子供も何人もいた。不思議なことに、奥様はご主人よりも母のことを厳しく責めた。その後、様々に母に無理な仕事をいいつけ、それに加えてありとあらゆる嫌がらせが投げつけられることになったらしい。
 やむを得ず、一家はその土地を離れることになった。そうして、さらに都から遠く、より不便で貧しいこの辺境の田舎へとやってきたのだ。
 子供ながらにそんな話がだんだんとわかってくるにつれ、スズナは悔しくてならなかった。

(はやく大きくならなくちゃ。それで、あたしがいっぱいお金を稼いで、かあさまを楽させてあげるんだ)

 そう思いながら、スズナは頭の上に煉瓦を乗せてゆっくりと歩いていく。夏の午後の日差しは熱く、顎のほうへと流れていく汗がぽとりぽとりと落ちては乾いた地面にしみをつくった。
 たくさん賃金をもらおうとして早足で歩けば、かえって煉瓦を落として台無しにしてしまう。壊した煉瓦の代金は、もちろんその日の賃金から引かれるのだ。下手をすれば一日に貰える以上の損害を出してしまう。つまり赤字、借金を作ってしまうのだ。それでは何のために働いているのかわからない。

 と、脇からひょいと足をだす子供がいて、スズナは顔色も変えずに足を踏みかえ、それをよけた。そのまま何事もなかったようにしらんぷりをして先へ歩く。はじめのころ、スズナはこうしてよく意地悪な子供たちに転ばされたものだった。
 もちろん優しい子もいるが、大きくても小さくても、男の子でも女の子でも、どこにでも意地悪な子供というのはいるものだ。それにいちいち構っていたら、もらえる賃金が減ってしまう。つらいだの悲しいだの、「あいつが悪い」だのと言ってしゃがみこんで泣いていたら、煉瓦を運ぶための大切な時間がどんどんなくなってしまうだけなのだ。作業の時間は日没までと決まっている。
 そんな風に泣いている少女のことなど、その場の人たちはだれも洟もひっかけない。ただ放っておかれるだけ。それだけだ。
 だからそんな連中のことはうまく避けて相手にならず、黙々と煉瓦を運んだほうがずっと賢い。まあそうは言っても、スズナがそれを学びとるまで、ずいぶんと時間はかかってしまったのだけれど。

 スズナのことを心配した母のキキョウは、この作業場の監督に頼みこみ、昼に子供らにふるまわれる賄いの薄い雑炊づくりや、作業場の雑務を手伝う仕事をしている。
 その美しい顔を隠すため、母は顔に泥や土ぼこりを塗りたくり、髪もわざとくしゃくしゃに乱してほっかむりをし、背中を丸め、ほとんどしゃべらないようにしてひどい醜女しこめを装っている。
 どうしても話さなければならないときも、彼女はここでは器用に喋り方まで変えて、以前のみやびな都言葉とはかけ離れた田舎くさい言葉でぼそぼそと話すようにしていた。
 これもまた、一家が生きていくための知恵のようなものだった。
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