113 / 191
第一章 スメラギの少女
1
しおりを挟む「よいしょ、っと……」
少女は今日も、土ぼこりの舞う窯場の煉瓦置き場で積みあがった煉瓦のひとつをいつものように持ち上げる。このあいだ六つになったばかりの少女にはひとつだけでも大層な重労働だったけれど、なんとか頑張って二つを頭の上に乗せた。
慎重に、慎重に。そうやって「煉瓦敷」が頭の上からずりおちないよう、十分に気を付けなければならない。
煉瓦敷というのは、煉瓦を運ぶための道具のひとつだ。荒縄を丸め、ぼろ布でくるんで作っただけの座布団のようなものである。そのくぼみをうまく使って、丸い頭の上に四角い煉瓦を固定させるのだ。
まだこの仕事に慣れないころ、少女は盛大に煉瓦を落っことしてしまい、危うくそれで自分の足を痛めるところだったのだ。
あのときはひげ面の怖い顔をした現場監督の男にこっぴどく叱られて、まだ四つだった少女は今にも大声で泣き出しそうになった。しかし、助けてくれる人はだれもいない。周りにいる似たような子供たちは自分の仕事に忙しく、泣きそうになっている幼い少女になんて目もくれずに黙々と歩き去るばかりだった。
知らん顔をしてくれる子はまだマシで、あからさまに「邪魔なんだよ」と忌々し気な目で睨んでいく少年までいる。だから少女は、泣き声になりそうな喉を必死に叱咤してひとりで立ち上がらねばならなかった。
それでも両目からは、我慢できずにあふれ出た大粒の涙がぽとぽととこぼれ落ちた。そうすると、遠くの賄い場で働いている母が両手をもみ合わせるようにしながら見守っている顔もぼやけて、遂に見えなくなってしまった。
スズナがこの仕事を始めて、まだ一年と少しだ。
周囲には自分よりも小さな子からもっと大きな子まで、あわせて数十人ほどが働いている。みんな貧しい家の子で、スズナ同様、荒い麻の短い着物に荒縄を帯がわりにしたような姿が多い。中には褌一丁なんていうごく簡素ないで立ちの子までいる。
彼らの仕事はこうやって、窯で焼きあがった重い煉瓦を頭に乗せ、遠くの都までそれを売りにいく商人たちの馬車やら牛車やらの荷台まで運ぶことなのだ。
穀物の束を担いだり、刃物や農具を扱えるようになったもっと大きな子供たちは、近くの農家に日雇いで雇ってもらえるようになる。そちらのほうがこれよりずっと割のいい仕事なのだ。しかし、それまではともかくも、この重い煉瓦を日がな一日運び続けることが自分たちの仕事なのだった。
子供たちは、あまりこの仕事を長くは続けたがらない。何か理由があって農家に雇ってもらえず、この仕事を長いこと続けている少年の顔は、重い煉瓦を運び続けたせいでしわくちゃになっている。まだ十を少し出たぐらいの年のはずなのに、彼の日に焼けた額はたくさんの筋が入って、まるでおじいさんのようだった。でもそれだって、仕事があるだけましなのだ。
道の途中で子供たちの運ぶ煉瓦の数を調べている少年がいて、みんなは運べた煉瓦の数にしたがって一日の終わりに賃金をもらって帰る。とはいっても、それは母に言わせればまことに「雀の涙」といっていいような額らしい。幼いスズナの一日の食費にもなるかならないかの金なのだという。
それでもこうして働かねばならない子供たちがこの国にはたくさんいるのだ。
そうしてもちろん、スズナもその一人だった。
当時、あまりにも幼くてよく覚えてはいないのだけれど、これまでずっと家を空けていたスズナの父が三年前に戻ってきた。父は仕事先で大けがをしたということだった。それまでは父の稼ぎのおかげで都でそれなりに不自由のない暮らしをしていたスズナたちだったが、それ以後はそうも言っていられなくなったのである。
父は足が立たず、上半身もあまり動かない状態になっており、床から起き上がるのにも母の手を必要とした。父が勤めていたスメラギ皇家からは父の功績と負傷に対して多少の金銭が出たようだったが、親子三人がこれからもずっと暮らしていくには、それではとても足りなかった。
一家はそれから、都からほど遠いとある田舎に引っ越した。都は水道やなにかがよく整備されていて住むには便利なのだったが、とにかくあらゆるものに金がかかるからだった。
そうして、母はそこでとある宿屋に職を得て働くようになったのだ。
そこでやっと落ち着いた暮らしができるかと思ったが、そうそううまくはいかなかった。
母のキキョウはとても美しい人だった。最初のうちから、父は母が外で働くにあたってそのことをなにより心配したようだった。
そうしてその心配は残念ながら的中したのだ。
思った通りと言うべきか、最初に世話になった宿屋の主人から、母はさっそく言い寄られた。子供のスズナには話の内容はよくわからなかったけれど、でっぷりと肥え太ったその主人が母に求めていることはその濁った目の色を見れば決してほめられるようなことでないのは明らかだった。
主人にはもちろんちゃんとした奥様がいて、すでに子供も何人もいた。不思議なことに、奥様はご主人よりも母のことを厳しく責めた。その後、様々に母に無理な仕事をいいつけ、それに加えてありとあらゆる嫌がらせが投げつけられることになったらしい。
やむを得ず、一家はその土地を離れることになった。そうして、さらに都から遠く、より不便で貧しいこの辺境の田舎へとやってきたのだ。
子供ながらにそんな話がだんだんとわかってくるにつれ、スズナは悔しくてならなかった。
(はやく大きくならなくちゃ。それで、あたしがいっぱいお金を稼いで、母さまを楽させてあげるんだ)
そう思いながら、スズナは頭の上に煉瓦を乗せてゆっくりと歩いていく。夏の午後の日差しは熱く、顎のほうへと流れていく汗がぽとりぽとりと落ちては乾いた地面にしみをつくった。
たくさん賃金をもらおうとして早足で歩けば、かえって煉瓦を落として台無しにしてしまう。壊した煉瓦の代金は、もちろんその日の賃金から引かれるのだ。下手をすれば一日に貰える以上の損害を出してしまう。つまり赤字、借金を作ってしまうのだ。それでは何のために働いているのかわからない。
と、脇からひょいと足をだす子供がいて、スズナは顔色も変えずに足を踏みかえ、それをよけた。そのまま何事もなかったようにしらんぷりをして先へ歩く。はじめのころ、スズナはこうしてよく意地悪な子供たちに転ばされたものだった。
もちろん優しい子もいるが、大きくても小さくても、男の子でも女の子でも、どこにでも意地悪な子供というのはいるものだ。それにいちいち構っていたら、もらえる賃金が減ってしまう。つらいだの悲しいだの、「あいつが悪い」だのと言ってしゃがみこんで泣いていたら、煉瓦を運ぶための大切な時間がどんどんなくなってしまうだけなのだ。作業の時間は日没までと決まっている。
そんな風に泣いている少女のことなど、その場の人たちはだれも洟もひっかけない。ただ放っておかれるだけ。それだけだ。
だからそんな連中のことはうまく避けて相手にならず、黙々と煉瓦を運んだほうがずっと賢い。まあそうは言っても、スズナがそれを学びとるまで、ずいぶんと時間はかかってしまったのだけれど。
スズナのことを心配した母のキキョウは、この作業場の監督に頼みこみ、昼に子供らにふるまわれる賄いの薄い雑炊づくりや、作業場の雑務を手伝う仕事をしている。
その美しい顔を隠すため、母は顔に泥や土ぼこりを塗りたくり、髪もわざとくしゃくしゃに乱してほっかむりをし、背中を丸め、ほとんどしゃべらないようにしてひどい醜女を装っている。
どうしても話さなければならないときも、彼女はここでは器用に喋り方まで変えて、以前の雅な都言葉とはかけ離れた田舎くさい言葉でぼそぼそと話すようにしていた。
これもまた、一家が生きていくための知恵のようなものだった。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
よくある婚約破棄なので
おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。
その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。
言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。
「よくある婚約破棄なので」
・すれ違う二人をめぐる短い話
・前編は各自の証言になります
・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド
・全25話完結
所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!
ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。
幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。
婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。
王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。
しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。
貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。
遠回しに二人を注意するも‥
「所詮あなたは他人だもの!」
「部外者がしゃしゃりでるな!」
十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。
「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」
関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが…
一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。
なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…
婚約破棄令嬢ですが、公爵様が溺愛してくださいます!
安奈
恋愛
ファリーナ・オルスト伯爵令嬢は、同じく伯爵令息のザイル・マクレガーに婚約破棄をされてしまう。
「お前は前髪をいつも垂らしている為、不気味だ。私の妻にはふさわしくない」
気弱なファリーナは目を髪で隠す癖があり、それを指摘されての婚約破棄となってしまった。
それにしても一方的過ぎる婚約破棄にファリーナは強い悲しみを覚えた。
「気にすることはないぞ、オルスト嬢よ。外見でしか判断しないのは貴族として失格だ。君の誠実さはいつも見てきた、よろしければ私と付き合ってくれないか?」
なんと求婚してきたのは若き公爵、ハンニバル・ライジングではないか。そして、彼女はハンニバルの気持ちに応えるべく前髪を上げる決意を示す。そこには……信じられない美少女が立っていた。
矢倉さんは守りが固い
香澄 翔
青春
美人な矢倉さんは守りが固い。
いつもしっかり守り切ります。
僕はこの鉄壁の守りを崩して、いつか矢倉さんを攻略できるのでしょうか?
将棋部に所属する二人の、ふんわり将棋系日常らぶこめです。
将棋要素は少なめなので、将棋を知らなくても楽しめます。
【R-18】踊り狂えその身朽ちるまで
あっきコタロウ
恋愛
投稿小説&漫画「そしてふたりでワルツを(http://www.alphapolis.co.jp/content/cover/630048599/)」のR-18外伝集。
連作のつもりだけどエロだから好きな所だけおつまみしてってください。
ニッチなものが含まれるのでまえがきにてシチュ明記。苦手な回は避けてどうぞ。
IF(7話)は本編からの派生。
【R18】両想いでいつもいちゃいちゃしてる幼馴染の勇者と魔王が性魔法の自習をする話
みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。
「両想いでいつもいちゃいちゃしてる幼馴染の勇者と魔王が初めてのエッチをする話」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/902071521/575414884/episode/3378453
の続きです。
ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる