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第二章 焦燥
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しおりを挟む結論から言えば、そこからあのゴブサムに行きつくまでに更に一年の月日を要した。とは言えあの大海戦後、宇宙空間に放り出された乗員たちを救い出すため、宇宙軍のみならずいくつかの民間企業が協力したということは早くから分かっていた。
当該企業の情報統制は思った以上に厳しく、そこからターゲットを絞り込み、遂にゴブサムを戴く宇宙を股にかける巨大企業に狙いを絞ることができたのは、偏にベータの粘り勝ちと言ってよかった。
集めた様々の情報を絞り込むため、ベータはその筋にかなりの額の金をばらまいた。主に宇宙のそこかしこにいる、自分の同業者である情報屋の連中に渡すためにだ。情報は、単に集めればいいというものではない。そこはやはり、プロとして情報の価値を嗅ぎ分ける鼻こそがものを言う。
今回もそれは同じだった。ゴブサムはアルファを手に入れたことを隠すため、部下を使って周囲に様々なダミーの情報をばらまかせていた。しかし、それらがかえって情報屋たちに「胡散臭いぜ、あのオッサン」と言わしめることになったのだ。
それやこれやで最終的に、その巨大企業の事実上の首領ゴブサムが無類のヒューマノイド好きであり、あちらこちらの闇ルートを通じては次々とそうした「玩具」を買い求めて日夜楽しんでいる事実をベータは掴むに至ったのだ。
そいつのもとに、あのアルファが囚われているのだとすれば。
彼は今ごろ、奴にどんな目に遭わされていることか──。
(いや。……やめるんだ)
ベータは敢えて、それ以上を想像することを避けた。ずぶずぶの性欲まみれの富豪の男。それも、普通以上にヒューマノイドに執着を持ち、その性欲たるやとどまるところを知らぬという噂である。そいつがあの若く美しいスメラギの皇子を手に入れて何をするかなど、わざわざ思い描くまでもなかった。
(アルファ──)
気が付けば血のにじむほどに拳を握りしめていることに気づいて、時おり自分を落ち着かせるためぶらぶらとその手を開いて振りながら、ベータは自分の根城のひとつでじっくりと作戦を練り続けた。
どうすれば彼を救い出せるか。
計画には、たったひとつの穴もあってはならなかった。それを考えねばならないというのに、ともすればつい、彼のことを考えている自分がいた。
(アルファ……)
お前は無事か。
体のことはすでに、残念ながらどうにもならなくなっていよう。
だからそんなことはこの際、いいのだ。
しかしお前のその、心は無事か。
そこまで考えて、ベータはハッとした。そうして自分の思考のあまりの皮肉さに己をぶん殴りたくなった。
(何を言ってるんだ、俺は──)
それこそ、望みが叶ったのではないか。
彼はあのにっくきスメラギの皇子なのだ。かつて自分が、自分の落ちた無間地獄に等しいものを同様にして味わわせてやるのだと誓った、当の相手のひとりではないか。
彼は今まさに自分と同様、大きな男に犯されてズタズタになればいいんだと願った、その通りになっているだけのこと。
それをなぜ、いま自分は耐えがたいなどと思うのか。こうして手のひらに血のにじむほど、拳を握りしめずにはいられないのか。部屋にじっとしていることがこれほどまでに苦しいのか。
「くそッ……!」
思わず手元のコーヒーカップを床に投げつけ、さらに近くの机だの壁だのをあらん限りの力で殴りつけまくって、ベータの拳の皮膚は裂け、やがて流血した。それでも殴ることをやめられなかった。
どうして俺が。
なんで俺が、貴様の心配などしなくてはならないんだ。
それで、自業自得だろう。お前がのほほんと楽しく美しく育ったその環境は、今までに売りさばかれた多くの子らが命と血と涙とで贖ったものでできていた。それを今、お前自身がお前の体で支払わされているだけだというのに。
「ざまあ見ろ」と嘲笑いこそすれ、「大丈夫か」「無事か」などと、なんで俺が、この俺が、お前を案じなくてはならないんだ。
わけがわからない。
理屈が通らない。
自分は本気で、頭がおかしくなったんじゃないだろうか。
(……忌々しい)
血まみれの拳で顔を覆い、今度はテーブルに額を何度も叩きつけてベータは唸った。
(しっかりしろ。考え直せ。あいつは……あいつは、あのタカアキラなんだぞ──!)
だが、どこを殴ろうが何を吠えようが無駄だった。
自分の精神はすでにもうずっと前から、ぴたりとその目標を見定めてしまっていたから。
アルファを救う。
その淫魔のごとき蜥蜴野郎の手から、必ずこの手で助け出す。
どんなことをしても救い出すのだ。
理性が何を叫ぼうが、「お前、ちょっとおかしいぞ」と嗤おうが、もはやどうしようもなかった。
ベータの心はもうとっくに奥底で、そうすることを決意していた。
ベータは皮肉な思いで自室の窓から外を眺めた。
夜でも赤焼けたように見える惑星アッカマンの空が林立する建物の隙間からほんのわずかに覗いている。その街の底にいる、ちっぽけな男の焦燥などわれ関せずと言わんばかりに。周囲はいつも通りの賑やかな界隈だ。ビルの谷間を昼夜を問わずに飛び交っているエア・カーが、今も普段と同じように窓の外を飛んでいく。
(まったく……。しょうのない人たらしだったな、お前は)
いったいいつの間に、自分はあの皇子にここまで懐に入り込まれてしまったものやら。いや勿論、本人にそんなつもりは全くないのだろうけれど。が、だからこそ手に負えないとも言える。
考えてみれば、それこそが人の上に立つ人間の持つべきスキルであるかもしれない。本人にそんな意図が無いにも関わらず、周囲の人間たちがこぞって「この人のためならば何でもしよう」と思って集まってしまう。それは恐るべきことだろう。人に自然にそう思わせてしまう能力は、望んで身につくものではないからだ。
彼の<恩寵>の何たるかを自分はまだ正確には知らない。知らないが、なによりもそのことこそが彼の<恩寵>ではないのだろうかと、ベータは苦笑のうちにも思うのだった。
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