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第十六章 恐慌
12 事後処理
しおりを挟むすべてが終わって、ようやくインテス様とのゆったりとした甘い時間が戻ってくる。シディはもちろんそれを楽しみにしていた。
──だというのに。
「なんっっで、こんなに忙しいんだよ……!」
現実はちっとも甘くはなかった。
インテス様が予告していたとおり、事後処理は相当大変なことになったからだ。
まず、物理的に帝都および神殿は非常な損害を被った。平民たちの住まいは言うに及ばず、丈夫なはずの貴族たちの住まいまでかなり破壊されていたからだ。住まいばかりではなく、診療所や役所などの主要な施設も、そこで働く人々にも甚大な被害が及び、基本的な都市の機能がしばらく麻痺せざるを得なかったのだ。
もちろん、普段なら開かれている市も開かれない。商人たちもみな、売るものなどないのだ。自分たちだけが食うものを確保するだけで精一杯なのである。
民らはもちろん、貴族たちまでもが混乱し、不安のために皇帝の城へと押し寄せた。
幸い、大河《フルーメン》は健在であり、シンチェリターテ帝国の臣民らの喉を潤すことはやめずにいてくれた。だが、絶望的に食料が足りなくなったのである。
貯蔵庫の多くが破壊され、貯めていた穀物は暴風に吹き飛ばされていた。「明日にも食べるものが無くなるのでは」と不安に思う気持ちはどんどん人々の間で伝播し、大きく深くなって遂に爆発したのだ。
「どうか、食べ物をお恵みください!」
「倉庫が壊されて、我らの食べるものが何もございません!」
「子どもに食べさせるものだけでも、どうか!」
「どうか皇帝陛下のお恵みを……!」
もちろんそれは皇城ばかりでなく、無事そうな貴族の邸宅にも押し寄せた。酷いところでは門を打ち壊して中に入ろうとする者まで現れ、ほとんど暴徒化しかかっている地域もあるという話だった。
インテス様は状況を把握してすぐに皇城に戻ると、皇帝の許可を得て、必要な采配をふるわれ始めたのだ。愚鈍だったり虚弱だったりするほかの皇子たちは、自分の宮に籠っているばかりで何の役にも立たなかったのである。
もちろん皇帝はすぐに「うん」と言ったわけではない。なにしろ愚昧な皇帝である。自分がこれまで溜め込んできた大事なものを民草に分けてやろうなんて気持ちは小指の先ほども持ち合わせていない御仁だ。あれを説得するのは並大抵のことではなかっただろうと想像される。
しかし、インテス様はついに父親を説き伏せたらしい。皇城の門が開かれ、兵士らが見守る中、人々はわずかながらもそれぞれに食べ物を分け与えられて大いに喜び、頭を地面にこすりつけるようにして去っていったという。
もちろんシディも「自分にもお手伝いさせてください」と頼んだのだったが、ほんの時間の隙を見て見舞いにこられたインテス様は、首を横に振られるばかりだった。
「此度のことでは最も大変だったのはそなただ、シディ。魔力を使い果たしているのだろう。顔色も悪いし、足だってまだそんなにふらついているではないか」
そうおっしゃって、シディが寝床から出て床に足をつけることすら、頑としてお許しにならない。移動するときにはつねに、側付のティガリエが抱いていくことを命じられたのである。
(でも……。お疲れなのはインテス様だって同じだろうに)
そう思ったけれど、何をどう言ってもインテス様は許してくださらなかった。シカの医師ローロが「もう大丈夫です」と太鼓判を捺してくれるまでは、どんな活動もさせてはならぬと周囲の者たちにも厳命されたのである。
それは、今となりにいるティガリエも同じだった。
こうなってみて、シディははじめて気がついたのだ。この男はシディにとって最も頼もしい護衛であるのと同時に、こういうときは最も手ごわい監視役にもなるのだということに。
「お食事はしっかりなさいませんと。殿下がご心配なさいますぞ」
「も、もう十分食べたよ。お腹いっぱいなんだよ」
「寝台から降りてはなりませぬ。自分がお運びしますゆえ、すぐにお申しつけくださらねば」
「いやあの、ティガ。ちょっと部屋を歩くぐらいのことは自分で──」
「なりません。ローロ医師の許可が出るまではだめだと、殿下のご命令ですゆえ」
「ティ、ティガ~~~……」
あれもダメ、これもダメ。
もう泣きそうである。
基本的に若くて元気な狼の子であるシディにとって、足を使って動き回れないことほど苦痛なことはないのに。
狼は、広大な土地を家族とともに渡っては狩をする生き物だ。広い場所をいつも歩き回っているのが普通であり、そうでなければかえってストレスを溜め込むものなのである。
そんな日々が十日ほど続いて、ようやく離宮の中庭を散歩するぐらいのことは許されるようになった。
歩けて嬉しいのは事実だけれど、つい肩を落として歩いてしまう。
(……はあ。ずうっと殿下にお会いできてない……)
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