167 / 209
第十四章 審議
5 暗い炎
しおりを挟む
第五皇子インテグリータスがある程度育ったころ、あの母子が乗った馬車が事故に遭った。母親である妃はそこで即死。インテグリータスも重大な怪我を負ったが、優秀な治癒師が命を救った。
あのころ、自分はたまたま眠れなかったかどうかして、夜分遅くに母の寝所の近くまで行ったことがある。
「まったく、余計なことをしてくれたわ」
聞こえてきたのは苛立った母の低い声だった。ひそひそと密談している相手まではよくわからなかったが、話の内容は聞こえた。その意味が理解できたのはずいぶんあとになってからのことだったが。
あの後、第五皇子の母親が事故死したことと、インテグリータスが瀕死の状態から救われたことを知ったのだ。
おそらくあの馬車の事故には母が関わっている。裏で糸を引いたのだろう、と長じてから思い至った。
後年になって自分自身「どうしてあの時きっちりと彼奴を殺しておいてくれなかったのか」とうらめしく思ったものだ。
インテグリータスは長じるにつれてさらに美しく逞しくなり、民心は大いに彼に集まるようになっていったから。肝心の貴族連中の中にもあの第五皇子に心酔し、「次の世はぜひともあの皇子に」と考える者が増えてきている。
せっかく皇太子としての身分が固まっても、これではおちおち眠ってもいられない。
あの弟の側近を懐柔したり脅したりして味方に引き入れ、食事や飲み物に毒を盛ったのも一度や二度のことではなかった。
しかしあの皇子はなかなかに強かだったのだ。最初の危機を生き延びると、食事のときには必ず毒見役を置くようになった。
毒がだめなら事故だ。前回のように馬や馬車に細工をしてみたり、出先で頭上から重いものが落ちるようにさせてみたり、夜に暗殺者に襲わせてみたり。とにかくありとあらゆる暗殺を試みた。
しかしそれらもすべて排除された。
インテグリータスは成長するに従って着実に自分の味方を増やしていった。傭兵あがりの千騎長レオに、魔塔の最高位魔導士セネクスはその筆頭だろう。かれらはインテグリータス自身の為人に惚れこみ、命も惜しまずに彼に仕えていると聞く。
……そのような者は、自分にはいない。
そう考えると、夜、眠れなくなるほど狂おしく、醜い炎が我が胸を焼いた。
それが羨望だなどと認める気はない。悔しくて悔しくてたまらないだけだ。
「余が、余こそがこの帝国の跡継ぎであるというのに……!」
それを認めたのはほかならなぬ皇帝、あの父だ。それをひっくり返そうなどとは不届き千万。あの者たちこそ、この帝国の基盤を覆そうとたくらむ大悪人どもではないか!
だというのに。
「皇太子殿下! 大変でございます!」
侍従が転がるようにやってきて告げた危急の報せは、胸が悪くなるようなものだった。
「御前会議が招集されましてございまする。そ、その……第五皇子殿下の求めにより、陛下のご容態に関する疑義あり、とのことで──」
(あの野郎っ……!)
皇太子らしからぬ暴言が頭の中で踊り狂う。
たかが妾腹の分際で、この余を脅そうとたくらむか。
おそらくはヴルぺスとダチョウの神官を手中にしたことで気が大きくなっているのであろう。
しかし皇帝は意識不明。自分がひそかに皇帝に薬を盛っていたという直接的な証拠はないはずだ。状況証拠だけでは皇族を罪に問うことは非常に難しいはず。
(負けぬ。この程度では決して……!)
そばにあった書見台を蹴り倒す。がちゃん、ばきんと激しい音を立ててそれらを蹴り潰し、撒き散らした。
必ず目にものを見せてくれる。
絶対に絶対に、許すものか。
そして今度こそ、あのお美しい第五皇子の顔をめちゃくちゃに潰してやるのだ……!
あのころ、自分はたまたま眠れなかったかどうかして、夜分遅くに母の寝所の近くまで行ったことがある。
「まったく、余計なことをしてくれたわ」
聞こえてきたのは苛立った母の低い声だった。ひそひそと密談している相手まではよくわからなかったが、話の内容は聞こえた。その意味が理解できたのはずいぶんあとになってからのことだったが。
あの後、第五皇子の母親が事故死したことと、インテグリータスが瀕死の状態から救われたことを知ったのだ。
おそらくあの馬車の事故には母が関わっている。裏で糸を引いたのだろう、と長じてから思い至った。
後年になって自分自身「どうしてあの時きっちりと彼奴を殺しておいてくれなかったのか」とうらめしく思ったものだ。
インテグリータスは長じるにつれてさらに美しく逞しくなり、民心は大いに彼に集まるようになっていったから。肝心の貴族連中の中にもあの第五皇子に心酔し、「次の世はぜひともあの皇子に」と考える者が増えてきている。
せっかく皇太子としての身分が固まっても、これではおちおち眠ってもいられない。
あの弟の側近を懐柔したり脅したりして味方に引き入れ、食事や飲み物に毒を盛ったのも一度や二度のことではなかった。
しかしあの皇子はなかなかに強かだったのだ。最初の危機を生き延びると、食事のときには必ず毒見役を置くようになった。
毒がだめなら事故だ。前回のように馬や馬車に細工をしてみたり、出先で頭上から重いものが落ちるようにさせてみたり、夜に暗殺者に襲わせてみたり。とにかくありとあらゆる暗殺を試みた。
しかしそれらもすべて排除された。
インテグリータスは成長するに従って着実に自分の味方を増やしていった。傭兵あがりの千騎長レオに、魔塔の最高位魔導士セネクスはその筆頭だろう。かれらはインテグリータス自身の為人に惚れこみ、命も惜しまずに彼に仕えていると聞く。
……そのような者は、自分にはいない。
そう考えると、夜、眠れなくなるほど狂おしく、醜い炎が我が胸を焼いた。
それが羨望だなどと認める気はない。悔しくて悔しくてたまらないだけだ。
「余が、余こそがこの帝国の跡継ぎであるというのに……!」
それを認めたのはほかならなぬ皇帝、あの父だ。それをひっくり返そうなどとは不届き千万。あの者たちこそ、この帝国の基盤を覆そうとたくらむ大悪人どもではないか!
だというのに。
「皇太子殿下! 大変でございます!」
侍従が転がるようにやってきて告げた危急の報せは、胸が悪くなるようなものだった。
「御前会議が招集されましてございまする。そ、その……第五皇子殿下の求めにより、陛下のご容態に関する疑義あり、とのことで──」
(あの野郎っ……!)
皇太子らしからぬ暴言が頭の中で踊り狂う。
たかが妾腹の分際で、この余を脅そうとたくらむか。
おそらくはヴルぺスとダチョウの神官を手中にしたことで気が大きくなっているのであろう。
しかし皇帝は意識不明。自分がひそかに皇帝に薬を盛っていたという直接的な証拠はないはずだ。状況証拠だけでは皇族を罪に問うことは非常に難しいはず。
(負けぬ。この程度では決して……!)
そばにあった書見台を蹴り倒す。がちゃん、ばきんと激しい音を立ててそれらを蹴り潰し、撒き散らした。
必ず目にものを見せてくれる。
絶対に絶対に、許すものか。
そして今度こそ、あのお美しい第五皇子の顔をめちゃくちゃに潰してやるのだ……!
0
お気に入りに追加
175
あなたにおすすめの小説
私と番の出会い方~愛しい2人の旦那様~
柚希
ファンタジー
世界名:グランドリズ
ハーレティア王国の王都、レティアの小さな薬屋の娘ミリアーナと番の2人との出会い。
本編は一応完結です。
後日談を執筆中。
本編より長くなりそう…。
※グランドリズの世界観は別にアップしてます。
世界観等知りたい方はそちらへ。
ただ、まだまだ設定少ないです。
読まなくても大丈夫だと思います。
初投稿、素人です。
ふんわり設定。
優しい目でお読みください。
【完結】結婚式当日、婚約者と姉に裏切られて惨めに捨てられた花嫁ですが
Rohdea
恋愛
結婚式の当日、花婿となる人は式には来ませんでした───
伯爵家の次女のセアラは、結婚式を控えて幸せな気持ちで過ごしていた。
しかし結婚式当日、夫になるはずの婚約者マイルズは式には現れず、
さらに同時にセアラの二歳年上の姉、シビルも行方知れずに。
どうやら、二人は駆け落ちをしたらしい。
そんな婚約者と姉の二人に裏切られ惨めに捨てられたセアラの前に現れたのは、
シビルの婚約者で、冷酷だの薄情だのと聞かされていた侯爵令息ジョエル。
身勝手に消えた姉の代わりとして、
セアラはジョエルと新たに婚約を結ぶことになってしまう。
そして一方、駆け落ちしたというマイルズとシビル。
二人の思惑は───……
欲情しないと仰いましたので白い結婚でお願いします
ユユ
恋愛
他国の王太子の第三妃として望まれたはずが、
王太子からは拒絶されてしまった。
欲情しない?
ならば白い結婚で。
同伴公務も拒否します。
だけど王太子が何故か付き纏い出す。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
【完結】浮気者と婚約破棄をして幼馴染と白い結婚をしたはずなのに溺愛してくる
ユユ
恋愛
私の婚約者と幼馴染の婚約者が浮気をしていた。
私も幼馴染も婚約破棄をして、醜聞付きの売れ残り状態に。
浮気された者同士の婚姻が決まり直ぐに夫婦に。
白い結婚という条件だったのに幼馴染が変わっていく。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
【完結】8私だけ本当の家族じゃないと、妹の身代わりで、辺境伯に嫁ぐことになった
華蓮
恋愛
次期辺境伯は、妹アリーサに求婚した。
でも、アリーサは、辺境伯に嫁ぎたいと父に頼み込んで、代わりに姉サマリーを、嫁がせた。
辺境伯に行くと、、、、、
魔力ゼロの出来損ない貴族、四大精霊王に溺愛される
日之影ソラ
ファンタジー
魔法使いの名門マスタローグ家の次男として生をうけたアスク。兄のように優れた才能を期待されたアスクには何もなかった。魔法使いとしての才能はおろか、誰もが持って生まれる魔力すらない。加えて感情も欠落していた彼は、両親から拒絶され別宅で一人暮らす。
そんなある日、アスクは一冊の不思議な本を見つけた。本に誘われた世界で四大精霊王と邂逅し、自らの才能と可能性を知る。そして精霊王の契約者となったアスクは感情も取り戻し、これまで自分を馬鹿にしてきた周囲を見返していく。
HOTランキング&ファンタジーランキング1位達成!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる