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第十二章 過去の世界
9 廊下をぬけて
しおりを挟むようやくティガリエを納得させて、あらためてシディは《アクア》様たちに向き直った。
「では、どうぞお願いします。《アクア》様」
《ウン》
《ジャア、シロイコト、クロイコ、テヲツナイデ》
「あ、はい」
なんとなく気恥ずかしい。いや今さらなのだけれど。この方とは手をつなぐどころかもっともっと色んなことまでやってしまっているのというのに、どうしてこんなに恥ずかしいと思ってしまうのだろう。
「え……えっと。失礼します」
「ああ、うん」
なんとなく赤面しつつ、言われたとおりおずおずとインテス様と手をつなぐと、ふたりのまわりに水色に輝く薄い膜が出現した。ちょうど《クジラ》の小型版のようなものだ。形は丸っこくて、なんとなくクラゲのようだなと思った。
《コッチダヨ》
《ソノママ、フタリデ、キテネ》
「は、はい……」
緊張しながら足を踏み出すと、自然と《クラゲ》が前進する。なんの不自然さもなかった。地上と同じように呼吸もできるし、自分の進む速さにもぴたりと合っている。
やがて《クラゲ》は小さな《クジラ》に接触すると、ぽよんと少し変形してからぽこりと外へ出た。なんとなく、《クジラ》が産卵でもしたような感じだ。もっとも《クジラ》は赤子をそのまま生む生き物だから、卵なんかは生まないらしいのだが。
ティガリエがひどく厳しい面持ちで見送ってくれている。それへ笑顔とともに手をふって、シディは前を向いた。
巨大な扉はもう手でさわれそうなほど近い。今にもぶつかってしまいそうだ。
「あ、あのあのっ」
《ダイジョウブ》
《ソノママススンデ》
扉と《クラゲ》があわや衝突するかと思われた。シディは思わずインテス様にしがみつき、ぎゅっと目をつぶった。
が、なにごとも起こらなかった。恐るおそる目を開けてみると、あの扉はもうとっくに後方へ遠のいていくところだった。
「え? あれっ……??」
「そのまま通り抜けてしまったようだ。これも《アクア》様たちの魔法のようだな」
「そうなんですか? す、すごいですね……」
《ウフフ。コンナノ、フツウダヨー》
「は、はあ……」
なんだかもう驚いている自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。《アクア》様たちはどこまでも無邪気で、褒めると素直にきらきら光って喜んでいる様子だった。
目の前には、またもや細長くて天井の高い廊下が続いていた。
《アクア》様たちが先導してくれるとおりに進んでいきながら、シディは用心深く周囲の様子を探っていた。目も耳も鼻も、とにかくすべての感覚を総動員する。
前から聞こえていた不思議な振動音は、奥に進むにつれて次第に大きくなってきていた。壁は先ほどまでの襞のあるものから打って変わって、なにか透明な板のはめこまれた小さな部屋がたくさん並んだような状態になっている。
板そのものは透明だけれど、内側がひどく汚れているのか、かなり近くに寄ってみても小部屋の中をちゃんと見ることはできなかった。どの小窓の中も水が濁っていてひどく汚い。中にぼんやりと影が見えるようなのもあったけれど、ゆっくり吟味する暇は与えられなかった。《アクア》様たちが「はやく、こっちこっち」とせかすものだから。
両側をびっしりとそんな小窓に覆われた高い壁にはさまれたまま、シディたちはひたすらに進んだ。奥へ奥へといくほどに、振動音はさらに大きくなってきた。
《ココカラサキハ、マダ『イキテル』ンダヨ》
「えっ?『生きてる』……?」
《ソウ》
《ズットズットムカシ、コノアタリハ、イチドミンナシンダンダ》
「死んだ……んですか?」
《ソウ。ソノトキ、シロイコミタイナニンゲン、ホトンドミンナシンダ》
「えっ?」
それはどういうことなのだろう。
つまりインテス様のような純粋な人間のことを言っているのだろうか?
そう訊いたら《アクア》様たちは「そうだよ」とあっさり答えた。
《ソノトキはミンナ、シロイコミタイナ、ニンゲンバッカリダッタカラ》
(な、なんだって……?)
どういうことだろう、と深く考える暇は与えられなかった。それからすぐ、長い廊下は行き止まりになったからだ。そこには、さきほどよりずっと小ぢんまりした扉があった。例の振動音はあきらかにこの中から聞こえてきている。
《アクア》さまたちはそこで止まると、「ハイッテ」とふたりに先を促した。
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