白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第十二章 過去の世界

4 海の世界

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 《魔力のクジラ》に乗っての航海は、あっけないほど快適なものになった。《クジラ》の中にいても、魔導士たちは《感応》や連絡用の魔石を使い、魔塔と緊密に連絡を取り合っている。今のところ、敵がシディたちに気付いて追ってくる様子はないとのことだった。
 透明な魔力の壁を通して海の中の様子がよく見える。
 全体で巨大な魚のように固まって泳いでいる小さな魚たちの群れ。かれらがいっせいに身をひるがえすと、海の天井からふりそそぐ日光を受けて全体が一瞬きらりと輝く。
 その小魚を追ってきたらしい大きな魚たちの中には、美しく切れ味のよさそうな曲線をもつ海の猛獣、サメの姿もあった。サメは悠然と《クジラ》の脇を通り過ぎ、悠然と小魚の群れを追っていく。顔の脇にきざまれたえらが、吸いこんだ水を押しだしてふくふくと震えるのさえはっきりと見えた。
 シディは透明な魔力の膜に張り付いて、そんな海の世界の様子をじっと観察し続けた。どうしても目が離せないのだ。ときどき感嘆のため息までもれてしまう。
 なんと豊かな世界なのだろう、海というのは。まったく憶えていないけれど、ここに何年も幼児の自分がかくまってもらっていたというのが信じられない気がしてくる。

「すごいです、インテス様! あっ、あれを見てください。あれ、イルカじゃないですか?」
「うん、そうだな。あれがひとつの家族らしいな」
「ちょっと小さなのもいますね。子どもかな? 可愛いなあ……」
「ああ」

 インテス様が目を細めて、肝心の外ではなしに自分の横顔ばかり見ていることは気が付いていた。「可愛いのはそなたの方さ」と大いにその目が語っている。けれど、恥ずかしいので敢えて気づかないふりをしてしまった。

「あ……、あそこはなんだか森みたいになってますね?」
「ああ。珊瑚の森だな」
「さんご……?」

 水底にあつまってくねくねと絡みあうように枝を伸ばしたものは、木のように見えるが木ではないのだそうだ。小さな小さな生物があつまってあの形をつくりだしているらしい。
 珊瑚は薄い日の光をうけて白っぽ見えたが、ときどきちらちらと桃色にも輝くようだった。

(ああ……ほんとうにきれいだ)

 シディはうっとりと海の世界の神秘に酔いしれた。
 あの海の精霊たちに隠してもらっていた間、シディは基本的に眠っていた。だから海の世界というものが実際どういう風になっているのかなんて、ほとんど知らずに過ごしてしまったのだ。いま思えばとてももったいないことをしていたらしい。
 こんなに美しい海の姿を見ていると、これが敵からの逃避行であることなんて、ついつい忘れてしまいそうになる。
 とはいえインテス様とシディ以外の人たちはみんな、決して緊張感を忘れる様子はなかった。常に端然と控えているティガリエやラシェルタはいつも通りだが、あとの兵や魔導士たちは海の旅を楽しむどころか、ずっと張り詰めた表情のままである。
 ときどき、持参してきたもので簡単な食事をしながら《魔力のクジラ》一行は先を目指した。まっすぐ目的地に向かうのは危険なので、あちこちに寄り道をしながら移動することになっている。
 目的地は驚くべき場所だった。

「それにしても……まさか帝都に戻ることになるなんて思わなかったです」
「そうだよな」

(ほんとうに大丈夫なのかな)

 ティガリエとラシェルタに用意してもらった茶と菓子を頂きながら、シディはあらためて不安に襲われている。確かにセネクス様は「なにかを隠すならば、そやつのすぐ足元がよい。人が多いならばなおよい」とおっしゃったけれど。
 だが敵も、まさかここから逃げて行った者たちがわざわざ舞い戻ってくるとは考えないだろう。
 あちらではすでに、シディとインテス様のための隠れ家なども準備されているという。

「ティガリエやラシェルタたちが全力を持って隠してくれるのだから、そこは信じるべきだろう。シディはかれらが信じられぬか?」
「い、いえっ。とんでもないですっ」

 もちろんぶんぶん首を横に振る。
 この二人が信じられないとなったら、いったい誰が信じられるというのだろう。

「どこか遠くの島に隠れるという方法もあるが、人の少ない場所ではどうしても我らの姿は目立ってしまうからな。そしてどんな田舎であろうと、人の口に戸は立てられぬ。噂が噂を呼んで、驚くべき速さで皇太子の耳に入りかねん。そこは私も同意なんだ」
「は、はい……」

 うなずいた、その時だった。
 聞き覚えのあるあの声が耳の中に響いたのは。

《……ロイ、コ……? キタノ?》
「えっ。まさか……!?」

 シディは思わず立ち上がってきょろきょろした。
 間違いない。これはあの船に乗っていた時に聞いた、水の精霊たちの声だ!
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