136 / 209
第十二章 過去の世界
4 海の世界
しおりを挟む《魔力のクジラ》に乗っての航海は、あっけないほど快適なものになった。《クジラ》の中にいても、魔導士たちは《感応》や連絡用の魔石を使い、魔塔と緊密に連絡を取り合っている。今のところ、敵がシディたちに気付いて追ってくる様子はないとのことだった。
透明な魔力の壁を通して海の中の様子がよく見える。
全体で巨大な魚のように固まって泳いでいる小さな魚たちの群れ。かれらがいっせいに身をひるがえすと、海の天井からふりそそぐ日光を受けて全体が一瞬きらりと輝く。
その小魚を追ってきたらしい大きな魚たちの中には、美しく切れ味のよさそうな曲線をもつ海の猛獣、サメの姿もあった。サメは悠然と《クジラ》の脇を通り過ぎ、悠然と小魚の群れを追っていく。顔の脇にきざまれた鰓が、吸いこんだ水を押しだしてふくふくと震えるのさえはっきりと見えた。
シディは透明な魔力の膜に張り付いて、そんな海の世界の様子をじっと観察し続けた。どうしても目が離せないのだ。ときどき感嘆のため息までもれてしまう。
なんと豊かな世界なのだろう、海というのは。まったく憶えていないけれど、ここに何年も幼児の自分が匿ってもらっていたというのが信じられない気がしてくる。
「すごいです、インテス様! あっ、あれを見てください。あれ、イルカじゃないですか?」
「うん、そうだな。あれがひとつの家族らしいな」
「ちょっと小さなのもいますね。子どもかな? 可愛いなあ……」
「ああ」
インテス様が目を細めて、肝心の外ではなしに自分の横顔ばかり見ていることは気が付いていた。「可愛いのはそなたの方さ」と大いにその目が語っている。けれど、恥ずかしいので敢えて気づかないふりをしてしまった。
「あ……、あそこはなんだか森みたいになってますね?」
「ああ。珊瑚の森だな」
「さんご……?」
水底にあつまってくねくねと絡みあうように枝を伸ばしたものは、木のように見えるが木ではないのだそうだ。小さな小さな生物があつまってあの形をつくりだしているらしい。
珊瑚は薄い日の光をうけて白っぽ見えたが、ときどきちらちらと桃色にも輝くようだった。
(ああ……ほんとうにきれいだ)
シディはうっとりと海の世界の神秘に酔いしれた。
あの海の精霊たちに隠してもらっていた間、シディは基本的に眠っていた。だから海の世界というものが実際どういう風になっているのかなんて、ほとんど知らずに過ごしてしまったのだ。いま思えばとてももったいないことをしていたらしい。
こんなに美しい海の姿を見ていると、これが敵からの逃避行であることなんて、ついつい忘れてしまいそうになる。
とはいえインテス様とシディ以外の人たちはみんな、決して緊張感を忘れる様子はなかった。常に端然と控えているティガリエやラシェルタはいつも通りだが、あとの兵や魔導士たちは海の旅を楽しむどころか、ずっと張り詰めた表情のままである。
ときどき、持参してきたもので簡単な食事をしながら《魔力のクジラ》一行は先を目指した。まっすぐ目的地に向かうのは危険なので、あちこちに寄り道をしながら移動することになっている。
目的地は驚くべき場所だった。
「それにしても……まさか帝都に戻ることになるなんて思わなかったです」
「そうだよな」
(ほんとうに大丈夫なのかな)
ティガリエとラシェルタに用意してもらった茶と菓子を頂きながら、シディはあらためて不安に襲われている。確かにセネクス様は「なにかを隠すならば、そやつのすぐ足元がよい。人が多いならばなおよい」とおっしゃったけれど。
だが敵も、まさかここから逃げて行った者たちがわざわざ舞い戻ってくるとは考えないだろう。
あちらではすでに、シディとインテス様のための隠れ家なども準備されているという。
「ティガリエやラシェルタたちが全力を持って隠してくれるのだから、そこは信じるべきだろう。シディはかれらが信じられぬか?」
「い、いえっ。とんでもないですっ」
もちろんぶんぶん首を横に振る。
この二人が信じられないとなったら、いったい誰が信じられるというのだろう。
「どこか遠くの島に隠れるという方法もあるが、人の少ない場所ではどうしても我らの姿は目立ってしまうからな。そしてどんな田舎であろうと、人の口に戸は立てられぬ。噂が噂を呼んで、驚くべき速さで皇太子の耳に入りかねん。そこは私も同意なんだ」
「は、はい……」
うなずいた、その時だった。
聞き覚えのあるあの声が耳の中に響いたのは。
《……ロイ、コ……? キタノ?》
「えっ。まさか……!?」
シディは思わず立ち上がってきょろきょろした。
間違いない。これはあの船に乗っていた時に聞いた、水の精霊たちの声だ!
0
お気に入りに追加
183
あなたにおすすめの小説
完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 独自設定、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
誰よりも愛してるあなたのために
R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。
ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。
前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。
だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。
「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」
それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!
すれ違いBLです。
初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。
(誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります)
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
カランコエの咲く所で
mahiro
BL
先生から大事な一人息子を託されたイブは、何故出来損ないの俺に大切な子供を託したのかと考える。
しかし、考えたところで答えが出るわけがなく、兎に角子供を連れて逃げることにした。
次の瞬間、背中に衝撃を受けそのまま亡くなってしまう。
それから、五年が経過しまたこの地に生まれ変わることができた。
だが、生まれ変わってすぐに森の中に捨てられてしまった。
そんなとき、たまたま通りかかった人物があの時最後まで守ることの出来なかった子供だったのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる