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第十二章 過去の世界
1 噂
しおりを挟むそれから三日ほど、シディは部屋の外へ出してもらえなかった。シカの医師ローロがどうしても許可をくれなかったからである。もとは離宮にいたインテス付きのこの医師も、あれ以来魔塔にきて身の安全を確保していた。このほかにも、インテスを慕ってついてきた者が多数いるという話だった。その中には、あの治癒師キュレイトーもいるという。
レオに言わせれば「ったく、それはそれで兵糧の問題があるっつうのよー」というわけで問題がないわけではないらしいが、魔塔特有の技術を総動員して様々な問題にあたっているらしい。増えた人口を食わせるための水と食料の確保は、どうにかこうにか軌道に乗っているという。
三日目、生真面目な医師ローロからようやく許可をもらって、シディはさっそくセネクス翁に会いにいった。朝食後、インテス様が迎えに来てくださり、ティガリエも一緒に師匠の執務室に向かう。
(えっ……)
部屋に一歩入って驚いた。
以前とはずいぶん様相が変わっていたからだ。
前はインテス様づきの助手の魔導士が数名いただけだった部屋には、さまざまな形質をもつ魔導士たちがひしめくように座って瞑想をしていたのだ。大きなサイらしい者、小さなネズミらしい者、いろいろいる。
みな、例の《目》と《耳》を稼働させるために多量の魔力を消費せざるを得ないセネクス翁のために自分の魔力を供給するためにここに詰めているのだという。多くの人がいるにもかかわらず、部屋はひどく静かだった。
「みな、交代で師匠に魔力を供給している。交代制でな」
「そ、そうなんですか……」
部屋の中央には、ご自分の執務机の前にちょこんと腰かけて、眠るように目を閉じたセネクス師匠がおられた。とても穏やかな表情だ。やわらかい毛皮に包まれているのでわかりにくいけれど、顔色は決して悪くはないようだ。それを確認してほっとする。
セネクス翁もほかの魔導士も非常に静かで穏やかだったが、シディにはわかった。その内で激しく行き来している膨大な魔力のうねりのようなものが。
書記官を務めるらしい数名の魔導士たちが、しきりに羊皮紙になにごとかを書きつけている。恐らくああして、《目》と《耳》が拾ってきた情報を記録しているのだろう。
「それで、あのう……皇宮のことはだいぶわかったんですか。皇太子の陰謀のことは」
部屋があまりにも静かなので、ついつい小声になりながら訊ねると、インテス様はにこりと笑った。
「ああ。少しずつだが証拠はそろいつつある。帝都に放った密偵たちには、とある噂を流させてもいるし」
「噂? ですか」
「ああ。まずは一旦外へ出よう。ここでは邪魔になるからな」
そうして向かったのは、現在レオが全体の指揮を執っている部屋だった。魔塔なのでそういう名称がついているわけではないが、一応「作戦司令部」とでも言うべき部屋だ。
部屋にはすでにレオとマルガリテ女史、ラシェルタが集まっていた。みんなにひととおり朝の挨拶をして、さっそくシディは訊ねた。
「それで、噂ってなんなんですか?」
「要するに『皇太子が皇帝の命を狙ってる』みてえなやつよ。ま、ありがちな話だな」
答えたのはレオだった。
「実際、こちらが噂を流すまでもなかったのです。庶民の間ではすでに同様の噂が流れはじめておりましたし」
これはラシェルタだ。
「そうなんですか?」
「左様です。もちろん皇太子は自分の手下に対して厳しく緘口令を敷いたことでしょう。が、『人の口に戸は立てられぬ』と申す通りです。庶民は多くの場合、貴人よりも耳が速いものですゆえ」
「そっ。悪い噂ならなおさらだ。多かれ少なかれ『悪事千里を走る』みてえなことになるもんよ」
レオがせせら笑った。
「調べによれば、すでに辺境の島々の村にまで、似たような噂が広まっているようにございます」
マルガリテ女史がいうと、みながそれぞれにうなずいた。
「もともとあまり評判のいい皇太子ではなかったからな。仕える者につまらぬことですぐに惨い仕打ちをすることで有名な男だったから」
「ああ……そうでしたよね」
実はシディもあの売春宿にいたときに、少しだけなら聞いたことがあったのだ。
ひどい真似をする客から「それでも皇太子に仕えるよりゃあ千倍もマシだろうぜ」みたいなことは。
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