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第十一章 背後の敵
15 諜報装置
しおりを挟むその場はそこまでのことで、密談はいったんお開きとなった。
インテス様がずっとシディの身体の具合を案じていたことも大きい。シディはそのまま、インテス様に背中を押されるようにして寝室に向かわされた。後ろからは例によって音もなくティガリエがついてくる。
あとの面々はその場に残って作戦の相談を続行するようだ。
「もう、インテス様……。本当に大丈夫なんですよ? オレ」
「シディのそのセリフほど信用ならぬものはないからな」
「ひ、ひどいっ。本当なのにっ──」
憤慨するふりをしつつも、シディのお腹にぽかぽかした何かがどうしようもなく溢れて満ち満ちていく。
うれしい。うれしくってたまらない。
黒いしっぽだって、さっきから勝手にビュンビュン振られている。
そしていつのまにか、シディの手はインテス様の手に指をからめて握りこまれている。こんな風にこの人と手をつなぐのは久しぶりだ。
胸がいっぱいになって、今にも弾けてしまいそう。
たぶんこれが「愛されてる」ってことで、「しあわせ」なんて言われることなのかもしれない。
うきうきしてしまいつつも、シディはちょっと自重した。今はこんな風に浮かれていていい時ではないからだ。
「……あのう。オレより、セネクス様は大丈夫なんでしょうか」
「ああ。それなんだがな」
セネクス翁が今回使った《目》と《耳》は、魔導士が敵の陣営に送りこむ一般的な諜報装置だ。魔力で作りだされた小さな球体で、壁や扉を通りぬけてどこへでも行くことができる。
人間の諜報員を紛れこませる方法が手っ取り早いし、魔力の消費もないしで一般的なのだが、それではその者の命の保証ができない。
ただしこれにも使いにくい面はある。
《目》や《耳》は魔力で生成し、作動させている間はずっと術者による魔力の供給が必要なのだ。近場なら魔力は少なくてすむが、遠方になればなるほど消耗は激しくなり、扱いも難しくなる。だから当然、高位の術者にしか使えない。
これほどの距離を離れてもなお扱えるのは、世界広しといえどもセネクス師匠ぐらいなものだろう。
そして《目》と《耳》は、術者の位が高ければ高いほど敵の魔導士に察知されにくくなる。兵士などの一般人ではどうかというと、普通はいっさい見えもしない。そういう代物なのだ。これ以上の諜報装置はない。
(そうか……。だからこんなに師匠が魔力を消耗させてしまわれたんだな)
ようやくシディも理解した。魔塔に近づいてきてから、セネクス師匠がなぜ敵の魔導士たちを蹴散らすことができなかったのか。マルガリテ女史にできることは、ほぼ間違いなく師匠にもできるはずだからだ。
つまりこれが、その理由だったわけである。
あれこれとインテス様から説明してもらううちに、とうとう自分の寝室に着いてしまった。ティガリエがいつものように、前室の控えの間のところで頭を下げる。
インテス様とふたりだけになって、シディは部屋に入った。
「さあ、横になるんだ。喉は渇いていないかい?」
「あ、はい」
促されるまま寝台に横になるが、シディの手はインテス様のそれから離れようとはしなかった。それに気づいて、インテス様がくすりと笑う。
「……どうしたんだい。不安なのか?」
「い、いえ……。でも」
せっかく二人きりになったのに、すぐに行ってしまわれるなんて。
それはちょっと……いやだ。
唇を尖らせて黙りこんでいたら、インテス様がすぐ脇に座ってくださった。
「眠るまでそばにいよう。それならいいだろう?」
「いい、ですけど……」
「けど?」
上目づかいでちらっと見ると、「ん?」とあの優しい紫の瞳で覗きこまれた。きゅん、と胸の奥が甘く疼く。
「……しちゃ、ダメですか」
「んん?」
「……け、とか」
「け? なんだって?」
本気で分からないらしい。まあそれは仕方ない。自分と同じ種族の人だったら間違いなく聞き取れる音だったけれど、相手は純粋な人間のインテス様なのだから。
耳が熱くなってくるのを感じながら、シディは目をつぶった。
「くっ……くちづけ! ……は、ダメですか」
急に部屋が静かになった。
インテス様がぽかんとして自分を見つめていることはわかっていたが、シディは顔を上げることができなかった。掛け布でくるんだ膝のところに顔を突っ込んだまま、「あああああ」みたいな変な声が脳内を駆け巡るばかりだ。
(な、なに言ってるんだオレ。なに言ってるんだようううっ!)
が、言ってしまったことはもう口の中に戻ってこない。
と、インテス様がふう、とひとつ息をついた。
「まったく、そなたは。そうやって私の自制心を試すなと言うのに──」
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