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第十一章 背後の敵
11 皇太子アーシノス
しおりを挟む「かなりまずいことになりつつある」
魔塔内、セネクス翁の執務室に集まってから開口一番、インテス様はこう言った。
皇帝に召喚されて皇宮に出向いたインテス一行を迎えたのは、皇帝ではなく兄の皇太子だったという。
長兄の名はアーシノス・アチーピタ。この国の皇太子だ。父王によく似た風貌で、でっぷりと太った顔色の悪い男である。インテス様からすると十ほど年上なだけだが、かなり年を取って見えるのはこれまでの放埓な生活がそのまま体に出てしまっているからだろう。見る人にふつうにそう思わせてしまうほど、彼はいかにも不健康そうな男だった。外面も、内面も。
昔から、姿よく性格もほがらかで民心を集めていたインテス様のことは、相当煙たい存在だと思っていたようだ。あからさまに面にこそ出さないが、かなり嫌っていたのは明らかだという。
ほかの兄たちのように直接的な虐待やいやがらせこそしなかったが──それは単に「皇太子」としての矜持がそうさせただけだろう──美しく聡明な弟を見るどろりとした目にはいつも、鈍い嫉みの炎がゆらめいていた。
「まあ、今回の件ではっきりしたよ。今までのことはすべて、私の思い過ごしなどではなかったことがな」
「インテス様……」
少し寂しげに苦笑するインテス様を見ているだけで、シディの胸は苦しく疼いた。
以下はインテス様によるそのときの様子である。
皇帝謁見の間でかなりの時間待たされた果てに、ずしんずしんと床を揺らすようにして現れたのが件の皇太子だった。彼はさながら、白くて巨大な豚だった……と言ったら豚に失礼かと思うほどに、かの男は醜かった。あの年で顔じゅうにぶつぶつと吹き出物がちらばっているのは、身体のどこかに悪いものがあるからかもしれなかった。
この兄も、決して体が強い方ではない。ほかの兄たちよりは少しばかりマシだというだけのことだ。
こちらは真ん中にインテス、その右にレオ、左にセネクス翁が控えていた。予想はしていたが、アーシノスは必要以上にインテスを「臣下」として見下し、ぞんざいに扱った。雛壇のはるか下に跪かせたまま長時間待たせた上で、壇上に偉そうに、また大儀そうに登場したのである。
その間、こちらはずっと頭を垂れている。
ようやく顔を上げる許しが出、目をあげてみてハッとした。
皇太子のあとに続いて出てきたのが、見覚えのある神官三名だったからである。
(やつらは──)
そうだ。先日も《黒き皿》との戦いの件でいろいろと横槍を入れてきた連中。
スピリタス教の神官、サルの顔のシィミオ。大柄なゴリラの男、アクレアトゥス。そしてひょろりとした長身に大きな目の、ダチョウの女ストルティ。
この時点で、いやな予感が確信に変わっていく。
ちらりと目配せをすると、レオとセネクス翁もまったく同感という目をしていた。
(ふん。ここに来た時点ですでに、罠にかかったということか)
すぐに事態を理解したが、だからといって慌てることもなかった。そんな必要は微塵もない。少なくとも、こちらは最初からその覚悟をもってここへ来た。
だがこれではっきりした。皇太子は間違いなく神殿と通じている。
ここにあの神官らを呼んでいるのは、明らかになんらかの難癖をつけて自分を弾劾するためであろう。
「久しいな、インテグリータス」
兄は太った人間に特有の少し甲高い声で、腹違いの弟の名を呼んだ。いかにも見下したような尊大な話しぶりは相変わらずだ。自分を大きく見せたがる者ほど、その内実は空虚で矮小なものだということを、この男はいまだに悟れずにいる。
この男はインテスが生まれてこのかたずっとそうだった。ほかの弟たちに対しても同様だが、特にインテスに対しては苛烈な態度をとることが多かった。もちろん父王のいる場などでは一見して丁寧な態度をまとう。その実、憎しみと嫉妬心が隠しきれないのもいつも通りだ。
「帝国の輝ける明けの星、皇太子殿下にご挨拶を申し上げます。殿下にはごきげん麗しゅう」
頭を垂れて奏上したが、兄はまるで犬でも追い払うように、太ましい手をぺっぺっと払った。その指にはきらきら輝く大粒の宝石がいくつもちりばめられている。肉の襞に埋もれるようにして首にも手首にもじゃらじゃらと様々な装飾品がぶら下がっていた。
「余は貴様のように暇な体ではない。父上から授かった尊い仕事が山ほど列をなしておるのだ。さっさと用件から参ろうぞ」
もちろんこの皇太子が本当に「仕事で忙しい」などという事実はない。彼が忙しいのは酒池肉林、美食三昧と美女や少年たちを侍らせての淫蕩に耽ることだからだ。
政務については優秀な補佐官らがてんてこまいで日々こなしているはずである。
ちなみに自分を「余」などと言うのは、すでに父王から玉座を譲られたも同然という思いからだろう。この男らしいといえばまことにそれらしい態度だった。
皇太子アーシノスがちらりと視線を投げると、脇に控えていた三名の神官はスッと頭を下げ、こちらに向き直った。
それぞれわかりやすい表情をしている、とインテスは思った。
サルの男は狡猾そうな疑り深い目を。
ゴリラの男は攻撃的な憎しみを。
そしてダチョウの女はまるで汚いものでも見るような軽蔑しきった目を。
要するにこれが、「最高位神官サクライエの目」でありインテスに対する評価と態度なのだろう。
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