白と黒のメフィスト

るなかふぇ

文字の大きさ
上 下
108 / 209
第十章 決戦

6 邁進

しおりを挟む
 そこからは無我夢中だった。
 ゆったりとうねる真っ黒な《闇のヘビ》に、シディはいっさいの躊躇もなく齧りついた。自分ごときの牙で何ができるとも思わなかったけれど、なぜかその《闇》の表面はがりがり音をたてながら漆黒の鱗をまき散らし、咬み裂かれていく。
 気のせいかもしれなかったが、あれほど大きいと思えたはずの《闇のヘビ》の胴体が、今はさほどの太さには感じられなくなっていた。

(インテス様、インテス様、インテスさま……っ!)

 頭の中心ではただそれだけがこだましていた。
 牙だけでなく両手両足もめちゃくちゃに振り回し、爪で切り裂き、ばりばりと《闇》を食いちぎって掘り進んでいく。

「ギュエオオオオン!」
「ギィエアアアアア──ッ」

 ひとつ咬み裂くたび、爪で切り裂くたびに、凄まじい悲鳴が耳をつんざき、ともすると聴覚を奪い去ろうとする。だがシディはやめなかった。ただただ、頭の中で点滅する温かな光に向かって邁進まいしんする。
 この先だ。この先にあの人がいる。
 いまやシディの本能はその存在をかけらも疑ってはいなかった。
 何を疑う必要もないのだ。この耳が、鼻が、「その人はそこにいる」とこれほどはっきりと教えてくれている。

(インテス様! インテスさまっ……!)

 最後にぐわりと《闇》を食いちぎったとき。
 ぱっと目の前が明るくなった。

「あっ……!」

 思わず目に鋭い痛みを感じた。真の闇の中にいた者が急に日の当たる場所に出た時と同じように。完全に目がくらみ、ぎゅっと目を閉じる。が、それは一瞬のことだった。
 薄目をあけてじっと窺うと、そこにはふんわりとした光に包まれて横たわる、恋しい人の姿があった。
 広がる長い金色の髪。だがその人はしっかりと目を閉じた状態だった。

「インテス様っ……!」

 夢中で駆け寄る。
 その胸に手を当ててそっと揺り起こそうとして、ハッとした。

(えっ。これ……なに?)

 シディはわが目を疑った。
 インテス様の胸を今しも踏み潰しそうなほどになっている「自分の手」。それはインテス様の身体ごと踏み潰すこともできそうなほど大きな大きな、真っ黒い狼の前足だった。

(えっ……? どうして? なに? どうなってるの??)

 おろおろして慌てて手を引っ込めると、その大きな前足も引っ込んだ。そこではじめてシディは自分の体を眺めまわすことになった。

(まってよ。これって──)

 黒くふさふさとした獣毛につつまれた大きなしっぽ。肩の筋肉が盛り上がり、丈夫な前足と後足も黒い毛につつまれた屈強な狼族のものだ。

(いや。驚いてる場合じゃない)

 混乱しまくってはいたが、今はそれに驚いている時ではなかった。なによりもまず、インテス様の安全を確保することが最優先だ。

(……え?)

「インテス様、起きてください」と、そう言ったつもりだった。しかしシディの口から漏れ出てきたのは「グルルッ、ウオオン」という狼そのものの唸り声のような音だけだった。
 仕方なく、鼻先でインテス様の頬や肩をぐいぐい押してみる。

(インテス様、お願い。起きて……。目を覚まして)

「うう……ん?」

 必死に何度かそれを繰り返していたら、果たして、ようやくインテス様がその美しい睫毛をあげた。紫の瞳が最初はぼんやりと虚空を見つめ、それからゆっくりとこちらを見た。

「シ……ディ?」
「ウオルルルゥッ」

(インテス様……!)

 さすがはインテス様だ。こんな姿になった自分のことも、即座にわかってくださるなんて!
 嬉しくて大きなしっぽをブンブンに振ってしまうと、その先が《闇》どもをしたたかに叩きつけた。

「私は……どうしたんだ。あの時、《闇》に取り込まれて──ええと」
「わうわうっ、わおんっ」

 今はそんなことはいいんです。早く起きて。オレの背中に乗って、はやく!
 そう言うつもりで、シディはまた鼻先でインテス様の胸元をぐいぐい押した。

「ああ、わかった。その背に乗ってもいいのかい? シディ」
「わう、わううっ」
「ありがとう。……おっと。すっかり足が弱ってるな」

 それはそうだろう。あれから何日も経っているのだ。それでもこうして飢えを感じておられないのが不思議なほど、インテス様はお元気そうだった。体もどこも傷めてはおられないらしい。そのことは健康そうな匂いからもすぐにわかった。
 思うように動かない足を使って、それでもなんとかインテス様はシディの背中によじ登ってくださった。

「これは……素晴らしいな、シディ。これが黒狼王ニグレオス・ウォルフ・レックスの末裔たる、そなた本来の姿なのだな」
「ウルルッ、わう、わうっ」
 と、インテス様がくすっと笑った。
「その首飾り。そなたの首に合わせて大きくなるよう、鎖に魔法がかかっているな……。どうやらセネクス殿のお気遣いらしい。さすがは師匠」
「わおんっ」

 そんなことは今はどうでもいい。
 とにかく一刻も早くここから脱出することが先決だ。

「うわおうっ」
(インテス様、しっかりつかまってて!)
「わかっている。そなたの声は私にはよく聞こえてるぞ。よろしく頼む」

 優しい声を首の後ろあたりで受けた次の瞬間、シディは全身のあらん限りの力を使って跳躍した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 独自設定、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

カランコエの咲く所で

mahiro
BL
先生から大事な一人息子を託されたイブは、何故出来損ないの俺に大切な子供を託したのかと考える。 しかし、考えたところで答えが出るわけがなく、兎に角子供を連れて逃げることにした。 次の瞬間、背中に衝撃を受けそのまま亡くなってしまう。 それから、五年が経過しまたこの地に生まれ変わることができた。 だが、生まれ変わってすぐに森の中に捨てられてしまった。 そんなとき、たまたま通りかかった人物があの時最後まで守ることの出来なかった子供だったのだ。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼第2章2025年1月18日より投稿予定 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

処理中です...