白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第七章 闇の鳴動

11 しあわせな朝

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 翌朝は、ふたりでしばらくゆっくりしていた。生まれたままの姿で。
 というか、すぐに動くのは少なくともシディには無理だった。昨夜はいつものこの方らしくもなく、インテス様がちょっと理性をどこかへ置き忘れてしまわれたからだ。腰と足の付け根のあたりが重だるくて、すぐに起き上がるのは非常に億劫おっくうだった。
 シディが身につけているのは、インテス様から頂いた首飾りだけだ。少し動くと、首元でその鎖がちゃりちゃりと軽い音をたてる。
 先に目覚めていたらしいインテス様の優しい指が、お気に入りのシディの耳とその間をそっと撫でてくださっている。それがあんまり気持ちいいものだから、せっかく覚醒しかかったところを何度も寝かしつけ直されてしまって困ったのは内緒だ。

「まったく、ダメだ……シディはダメだ」
(えっ)

 そんな風に聞こえて一瞬だけドキッとしたけれど、それは決して悪い意味ではなかった。
 だってすぐに、殿下はこう言ったから。

「シディは私をどんどんダメにする。まったく、可愛すぎる。罪つくりにもほどがある。まことにどうしたらいいものか──」
「……ぷくくっ」
「あっ。シディ!」

 思わず吹き出してしまったら、インテス様が慌てて体を起こした。
 手で顔を覆い、ずいぶん慌てていらっしゃる。金色の髪の隙間から見える耳が確かに赤くなっているのがわかった。

「起きていたのか? ……き、聞こえていたか」

 当然だ。純粋な人間の耳と、自分のこの耳を同じと思っていただいては困る。しかしシディはふるふると首を横に振った。

「いいえ。なあんにも?」
「嘘をつけ、嘘を」
 つん、と額をこづかれる。
「うふふっ」
「こいつ!」
「わっ、あ、あはははっ!」

 とつぜん髪をぐしゃぐしゃとかき回され、脇腹までくすぐられて身をよじる。やっと起き出して寝台のそばのたらいで顔を洗ったところで、部屋の外から控えめな声が掛かった。

「おはよう存じます、インテス殿下、オブシディアン様。お目覚めでいらっしゃいましょうや」
「ああ、おはよう、ティガリエ」
「先ほどからレオ千騎長が参っておりますが」
「そうか。少しだけ待たせておいてくれ」
「承知つかまつりました」

 低い声とともに、トラの獣人の気配が遠ざかる。なにしろ猫族の人たちは足音をたてない。ゆえにわずかな匂いと気配をたどるしかないのだ。
 ひと通り身支度をしてふたりで朝餉あさげに出向くと、見慣れたライオンの男が待っていた。相変わらずの、質素だが堂々たる姿だ。

「おーう、お疲れ」

 その金色の瞳は、一瞥で昨夜のシディたちの状況を察したらしい。いきなり、にやりと片方の口角を引き上げた。

「ほほーん。ゆうべもさぞかしあったけぇ夜だったらしいな。結構、結構」
「やかましい。用件だけ言え」

 インテス様はこの男のこういう揶揄からかいにはとうに慣れっこらしい。眉のひとつも動かさずに席についた。対するシディは体じゅう真っ赤になって固まってしまったというのに。
 そこからは朝餉をとりながらこの千騎長の報告を聞くことになった。男は席にはつかず、立ったままだ。

「第二次討伐隊の編成が終わった。まずは一個中隊を動かす。指揮は一応、俺が拝命した。まあいつも通り、お前が文句さえ言わなきゃあいいってよ」
「もちろん構わん」
「なるべく早く向かえとの陛下のお達しでな。お楽しみのとこわりぃが、午後から出かける。準備しとけよ」
「了解だ。……シディは大丈夫か? そなただけでも、もう少し休養をとってからにしても──」
「いいえっ」

 例によってすぐに心配してくるインテス様に、シディは慌てて首を振ってみせた。

「オ、オレももちろんお供しますっ。置いていくなんておっしゃらないでください……」

 きゅっと殿下の袖のはしをつかんで下から見上げるだけで、インテス様の頬がふわっとほころんだ。

「わかったわかった。まことに可愛いなあ、そなたは」
「いい加減にしろっつーの」途端、レオが死んだ目になる。「そーゆーのは部屋だけでやれ。せっかくのイイ顔が雪崩を起こしてんぞ。……アンタも大変だな」

 最後のセリフはティガリエに向けたものだったが、トラの男はわずかの動揺も見せず「いえ」と言っただけだった。この二人の仲にはもうすっかり慣れてしまっている顔だ。それはそれでめちゃくちゃに恥ずかしくなる。口に入れかかっていた果物が、つい喉につかえそうになった。

「魔法攻撃の精度を上げるために、お前らの仲がいいのは最重要事項だっつーのは理解してるが。ひとり身の兵も多いんだかんな? 恋人や家族がいたってこっちに置いていく奴がほとんどだ。ちったあ周りに気を使えよ」
「わかっているとも」
「ほんとかよ……」

 男は「だはー」と息を吐き出し、呆れたように自分のたてがみをばりばりやったが、口で言うほど不満に思っている様子ではなかった。この程度の言い合いは、どうやらこの二人の日課に近いらしい。

「前回より格段に人員が増えるからな。魔法移動も回数をこなさなきゃなんねえ。下っ端にはそろそろ移動を始めさせてる。遅れんなよ」
「わかった」
「んじゃな」

 大股に出て行くレオに、ティガリエが軽く頭を下げた。
 後にして思えば、それはなんとも暢気のんきな朝餉のひとコマだった。美味しい朝食に、優しく微笑むインテス様。頼りになる護衛官ティガリエ。

 だからシディは夢にも思わなかったのだ。
 その後の戦闘がいったいどういうものになるかなんて。
 そしてこれが、インテスさまとゆっくりと食事を楽しめる最後の機会になるかもしれなかったなんて。
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