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閑話
閑話(3)
しおりを挟む今までの失敗を繰り返さないため、まずは帝都の入り口を封鎖した。夜のことだったので、さほどの手間はかからなかった。普段であっても、一般民による日没後の帝都への出入りは禁じられているからだ。もちろん皇族や貴族はその限りではない。
フルーメン川を下っていく商人たちの船にも移動禁止令を敷き、まず武官たちで帝都の防壁のすぐ内側に大きな輪をつくらせた。それを少しずつ狭めていきながら彼を探すためである。ちょうど、獣や魚を捕まえるときのような方法だ。
狭めた円の範囲の中に彼の匂いがするかどうか。自分は慎重に匂いをたどり、少しずつ少しずつその輪を縮めていった。
実際、それには何日もかかった。縁の外になり、対象外になった人々については移動の自由を許し、最後に残ったのがあの下町の市場だったのだ。市場の中で起こっていることについては、部下たちを投入して細かい聞き込みをさせ、事前の調査も怠りなく行わせた。
そこで身動きの取れない状態になっている者など限られている。
遂にその夜、その市場に足を踏み入れたとき、インテスの胸は高鳴った。
(いる……。ここに!)
ここまで来ると、もはやこの役立たずな人間の鼻でも見誤りようのないほどのかぐわしい《半身》の香りが、あたりに立ちこめていた。うっかりするとその芳香に神経をやられて、気を失いそうになるほどの強い香りだった。
「てめえ! いま、唸りやがったな!?」
少し酒に酔ったような、下卑た怒鳴り声が響いたのはその時だった。
つづいて、地面を打つ鞭の音。
「客の前で粗相をするんじゃねえといつも言ってるだろうが! 貴様はいつになったらその小せえ頭に俺の教えをきざみこむんだ? ええ?」
「きゃうん……」
(ああ……!)
その時の思いを、なんと表現したらいいものか。
もちろん、まずは喜びと達成感だった。何よりも「やっと会えた」という歓喜に似た感情。ここまで接近すれば、さすがに人間のインテスにでもはっきりとわかった。いまそこで怯えて蹲っている小さな獣人の少年が、その人であるということが。
しかし。
次の瞬間やってきたのは、凄まじい怒りだった。
売春宿の親方らしい男に、首につけられた鎖で引きずり出されている少年。全身が黒いその人は、それはひどいありさまだった。
伸び放題の髪も毛皮もぼさぼさで艶がなく、埃と垢だらけだ。しっぽにも耳にも、途中で無惨に切り刻まれたような痕がある。皮膚もあちこち傷と痣だらけなうえ、歯をすべて抜かれているようにも見えた。
(なんということを──)
私の大事な半身に。
目の前に、とつぜん赤黒い幕が下りたようだった。
世の中に、こうした下衆な人間がたくさんいることは知っていた。下々の暮らしは皇族や貴族のようなわけにはいかぬ。この国には貧しい者が大勢いて、それぞれ自分にできる仕事をしなければ今日の食い物すら得られない。
机上で学んだそんな知識は、現実のほんの断片ですらなかった。
強い者が奪い、弱い者は虐げられる。
その争いに負ければただ死ぬだけだ。またはこうして、この少年のように貪られ、利用され、骨の髄までしゃぶりつくされる。
(……醜い)
まことに醜い。目を背けたくなる。
だがそれもまた、人間の真実の姿だとも言えるのだろう。
そして、これまで何度も脳裏をよぎったとある疑問がまた頭の奥をかすめていった。
──このような人間たちに、まことに「救い」が必要なのか……?
それは根源的な疑問だった。
庶民たちばかりではない。母と弟妹の赤子を殺し、自分を幾度も殺そうとしてきた者たち。母を道具として扱った皇帝。そのほかの貴族たちだって、利己的な陰謀に散々に手を染めている。
かれらに救う価値などあるだろうか……?
それはインテスが他人の敵意をはっきりと認識したときからずっと心の底に持ちつづけてきた疑問だった。
が、次の瞬間にはハッとした。目の前では今にも大切な少年が、男に鞭打たれようとしていたからだ。
インテスは即座に武官らに命じ、彼を男の手から救い出した。
この手でその男に、少年にやったのと同様の仕打ちを与えてやりたいのは山々だった。だがまずは少年自身を救い、傷を癒すことが先決だった。少年は、自分が「その者こそは我が半身」と宣言したとき、大きな黒い目を見開いてぽかんと口をあけていた。だが次の瞬間には、すうっと気を失ってしまったから。
少年が頭を地面に激突させる寸前で、自分は彼を抱きとめた。
半身としての強い香りとともに、長年ろくに体を洗えず、不潔な場所で生活させられてきた人の臭気がした。だがそんなものは構わなかった。
(見つけた。見つけた。見つけたぞ……!)
インテスはやっとのことで見出した自分の《半身》を、思う存分だきしめた。
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