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第六章
3 水がめ
しおりを挟む「はわ、はわわわっ」
「シディ、落ちつけ。さっき一人でやった通りに集中するんだ」
「は、はいいっ」
良かったのはその返事ぐらいだった。
師匠から説明された通り、ふたり並んで精神を統一し、魔力を手の間に集中させるところまでは順調だったのだが。
「まずは落ちついて、心を研ぎ澄ませるじゃ。シディ」
「はいいっ」
言われた通り一生懸命やっているつもりなのに、どうしてもさっきのようにはいかなかった。指先から手の間に魔力が流れ出て「水がめ」に満ちるところまではいい。でもそこから、師匠が言うように殿下の「水がめ」から放出される白い魔力と絡ませることが難しかった。シディの魔力は殿下のものに比べると黒い輝きを持っている。
二人の間にもっと大きな「水がめ」を想定し、お互いにそこに魔力を注ぐというのが今回の目的だった。これは第一段階だ。
しかしシディの魔力はちっとも言うことを聞いてくれなかった。大きな水がめに入る直前に、ぱあっと四散して空中に戻っていってしまう。
「……うむ。性急に過ぎたかもしれぬな。一旦やめ」
遂にセネクス老人がそう言って片手を上げたときには、シディの息はすっかりあがっていた。そのままべしゃりと膝をつく。殿下も少し疲れた様子だ。
「す、すみません……」
「いやいや。初めてなのじゃ。気にするでない」
「そうだぞ、シディ。この短期間でここまで来ただけでも相当な才能なのだから」
少し息を弾ませながらインテス様も師匠につづく。お二人とも優しい。絶対にシディを責めるなんてことはなさらない。でも、だからこそ申し訳なくて、そこらに逃げ込む穴を探しまわりたい心境になる。
残念ながら穴などないので、シディはその場で小さくなった。
「本当に、すみません……」
「よいよい。訓練が少し長引いた。部屋に戻って休むがよいぞ。殿下もどうぞ」
促され、ふたりで師匠に最後の挨拶をしてから、しょぼんと項垂れて部屋に向かった。殿下が肩に手を置いてくださり、背後から心配そうな目をしたティガリエたちがついてくる。
実際はあそこから、溜めた二種類の魔力を撚り合わせ、強力な魔法を創り上げなくてはならなかったのに。その入口に立つことすらできなかった。主に自分のせいで。
「なんでもそうだが、最初からいきなりうまくいくなんてことはないさ。気にするなよ、シディ」
「……はい」
そう言われても、肩をがっくり落としたままなのは変わらない。
「前にも言った通り、私は子どものころからこの訓練をやってきた。才能の面から言えば、シディの方が私などよりはるかに優秀なのだからな。そこは間違ってはいけないぞ」
きっと殿下は本気でこうおっしゃっている。でも今のシディには、それが殿下のお優しさからくる慰めだとしか聞こえなかった。
ずっと視線の合わないままのシディを見下ろして、インテス様は少し沈黙したけれど、すぐににこやかに微笑んだ。
「まあ、要するにだな。『もっと親密になるべきだ』と、そういうことだな? 我々は」
「……は?」
変な顔になって見上げたら、この間の師匠みたいな意味深な目をしてインテス様が笑っていた。
「しんみ……いっ、いやあのっ」
言葉の意味するところにハタと気づいて、急にわたわたと慌ててしまう。
そんなこと、ティガリエたちが聞いている所で言わないでほしい。全身がまた急にかあっと熱くなる。
「まあまあ、よいではないか。そなたがイヤだと申すことはしないが、そうでない限りは極限まで『親密に』しておこう」
「……い、インテスさまあ……」
完全に両手で顔を覆ってしまったシディを、インテスさまはひょいとまた横抱きに抱え上げる。
「わああっ」
「暴れるな。食事までは部屋でゆっくりすることにしよう。な?」
「ううう……」
指の間からチラッと見たら、後ろに続く護衛たちはみな妙に優しいというか、満足げな目で二人を見ていた。あの無骨なティガリエですら、全身から醸し出す雰囲気が柔らかいのがもう耐えられない。
(あああっ……。本当にこんなことでいいの!?)
いや、きっと悪くはない。それは本能的にわかっている。
自分がこうした殿下との触れあいを深め、心が近づいていくにつれて、魔力の操作がうまく行きはじめたのだから。ここからもっともっと殿下と「親密に」なれれば、二人の合わせ技だってうまくいくに違いないのだ。
わかっている。わかっているけれど──
「今日は先に入浴しようか、シディ。私も外回りから戻ったばかりだし。先に汗を流しておきたい」
にっこにこで上機嫌なこの人に、「それは恥ずかしいから」とお断りを入れられるほど、シディはもうこの人を嫌うことはできなくなっている。
しまいにはいつも通り、真っ赤な顔をして小さな声で「ハイ」と言うぐらいのことしかできないのだった。
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