白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第五章 輝く世界

4 魔法と師匠

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(なんてことだ──)

 想像するだけでぞっとする。体が震えてくるほど怖い。もしもそんなことになっていたら、今、自分の隣にこの人はいなかったのだ……!
 これまで自分は、自分ばかりが大変な環境にいて辛い思いをしてきたと思っていた。けれど、実はそんなことはなかったのだ。だが、インテス様が言ったのは正反対のことだった。

「なあに。シディが舐めた辛酸しんさんに比べればこんなものはな。表立って私を殴りつける者も罵倒する者も、手足や耳を切り落とそうとしてくる者も、ましてや体を蹂躙し、人としての尊厳を奪おうとする薄汚い男どももいなかった。……どうということはないさ」
 ぽおん、と放り投げるように言う。いかにも「当然だろう」と言わんばかりだった。
「で、殿下……」
「こら。そんな顔をするな」

 また頭をわしゃわしゃされて、しゅんと項垂うなだれる。
 この国の皇子。自分はこの人のことを、毎日おいしいものを食べてきれいな服を着て、みんなに「皇子さま、皇子さま」とかしずかれて、なに不自由なく生きてきたものだと勝手に想像してしまっていたかもしれない。多少皇帝と折り合いが悪いといっても、絶対に自分ほどつらい思いはしていないなんて、勝手に考えてしまっていたかも──。
 なんて愚かだったのだろう。殿下は殿下で、小さいころからこんなにご苦労されてきたのに。地位が高い人には高い人だけに特有の悩みがきっとあるものなのだ。
 シディはおのが視野の狭さを恥じた。ひっそりと心の中で。

「さあさあ、シディ。そんな顔をしなくてもいい。これが今日の話のきもではないんだ。もっと大事な話がある。ここからが本題だぞ」
「えっ……」

 目を上げたら、老人も「左様」と言うようにゆったりとうなずき返してきた。

「古代文書によれば、《救国の半身》は《闇の勢力》の台頭からこの世を守るものとされておりまする。現在、各地で闇の力が強まり、農作物の生育が悪くなり、飢饉が起こりかけている場所もございます。封印されていたはずの魔獣が現れ、野獣らが狂暴化して人々を襲っている地域もござりまする。これらを放置しておけば、さらなる甚大な被害が起こることも想定されまする。そこで」

 言ってセネクス翁は、大きな卓の上に人が両腕を広げたほどの大きな羊皮紙をばらりとひろげた。周囲が変色し、あちこち破れた年季の入ったしろものだった。
 そこには先日見せてもらったこの世界の地図が、より詳しく大きく描かれている。

「これから順に、お二人で被害が増えてきている地域に出向いていただかねばなりませぬ。もちろん《闇》の勢力を削ぐためにござります。まずはこちら」

 言って細い指先が指し示したのは、神聖シンチェリターテ帝国のある最も大きな島からだいぶ離れた小さな島だった。シンチェリターテ帝国は地図の真ん中に描かれているが、それはそこから北東にあたる小さな島がまばらに散らばる場所だった。

「……あの。そこでオレ、なにをしたらいいんですか」
「行けば自然とわかり申す。基本的なことは、すでにインテグリータス殿下にお伝えしておりまするし」
「そうだ。何も心配することはない」
「そ、そうですか……」
「ともかくオブシディアン殿は、殿下のお傍を離れなさいまするな。必ずそばにいて、力と心を合わせることをお考えなされ」
「は、はい」
「もっとも肝要なのは、『お互いがお互いを心から大切に思うこと』。これに尽きまする。お二人が心から愛し合っておいでならば、難なく乗り越えられることにござりましょう」

(……うう。大変そう)

 思っていた以上に重い責務だ。そんな感じがする。
 インテス様のことは大好きだけれど「心から愛し合うように」と他の人から言われるというのも変な話だ。それもこの世界を、人々を救うために。
 なるほど、インテス様が感じておられたという違和感はこれなのか。

「ただし、オブシディアン殿もまるきりというわけには参りませぬ。これからしばらく、この魔塔にお留まりいただき、しばしこのジジイと魔力の操作法を学んでいただこうと愚考いたしておりましての」
「えっ。ま、魔力の使い方を? 教えてもらえるんですかっ? オレに?」
「左様。当然にござりまする」
 魔導士はおほん、とひとつ咳ばらいをしてちょっと胸を反らした。
「それだけの魔力を秘めておられながら、調節法を知らぬというはいかにも危険なことにござりまするしな。オブシディアン殿ご自身をお守りするためにも、ぜひとも必要な学びにござります」

(うわあああ……!)

 信じられない。
 まだ全部とはいかないが、過去のことも少し思い出した。過去を思い出せば魔力が戻ると殿下はおっしゃった。でも、今のところシディの体に変化はない。だから実感も少なかった。魔法を使うやり方がちっともわからないから、確かめようもないのだ。こんなことで本当に殿下と一緒に世界を守ったりできるのかと不安に思わないわけがなかった。
 だからこれは願ったりの申し出だった。

「ありがとうございます! 最高位魔導士さまっ……いえ、お師匠さま!」
 
 ぴょこんと頭を下げたら、後頭部に「ほっほっほ」と楽しげな老人の声が降ってきた。

「『師匠』と呼んでくれるのですかな。いやはや、これは心が躍りまする」
「楽しそうだな、じい」インテス様もくすくす笑っている。「そんな顔は久しぶりに見るぞ」
「それはもう。なかなかこの年になりますと、まこと胸躍ることは少ないもの。斯様かように麗しい黒狼王ニグレオス・ウォルフ・レックスの御子さまに魔法をお教えできるとは、なんという特権にござりましょうや」
「よ、よろしくお願いしますっ、お師匠さま!」
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