白と黒のメフィスト

るなかふぇ

文字の大きさ
上 下
30 / 209
第四章 皇帝と魔塔

9 困惑

しおりを挟む
「はいはい、もうよかろう。双方、落ちつけ」

 片手をあげて割って入ったのはインテス様だった。

「インテス様……っ」

 シディはもう半泣きになっている。心臓なんてバクバクだ。
 こんなことで、こんなすてきな虎の獣人を罰するなんてとてもできない。もちろん首はおろか、腕や足なんて奪いたくない。絶対にイヤだ。
 インテス様がすぐ隣に座って、震えているシディの体をぎゅっと抱きしめてくださった。

「だから申したではないか、ティガリエ。私のシディが、側近のそなたにそんな酷薄な罰を下すはずがないと。勝手な自決を思いとどまらせた私の判断は誤りではなかっただろう? どうだ」
「じ、じけつ……」

 くらくらと眩暈めまいがする。
 もしもインテス様が止めてくださっていなければ、自分が気を失っていた間にこの武人は自ら命を絶っていたかもしれないのだ。

「ああ、ほらほら、シディ。安心してくれ。そんなに震えなくてもいい。そんなことにはさせなかったのだから。な?」
「は、はい……」

 よしよし、と頭を撫でられて、ようやく落ちついてくる。

(そうか……。もうオレは)

 性奴隷として社会の最底辺にいたあの頃とは、ちがう存在になってしまったのだ。
 あの頃にはまったく考えもしなかったことだが、どうやらこうして高い身分を持つ人には、高貴な人なりの責任や、周囲の者らに迷惑を掛けぬようにふるまう自覚と智恵などが必要であるらしい。
 自分が下手なことをやらかしてしまえば、側にいる人たちの命さえ危うくなる場合だってあるのだ……。なかなか責任重大である。

「……とにかく。ティガリエさん」
「はい」

 床にぴたりとはいつくばった状態のまま、ティガリエが頭を垂れる。

「自殺なんて許しません。絶対に許しませんっ。オレは、あなたの首も腕も足もいらない。それに、どこへも追放なんてさせませんっ! ……いいですね?」
 ティガリエは答えない。
「このままずっと、オレの護衛でいてください」
「は……」
 ぴく、と武人の肩が震えた。
「オレの望みはそれだけです。オレはあなた以外の人に、自分の護衛になってほしいとは思わないです」
「…………」
「あなたに守ってほしいです。……オレを。ずっと」

 震えながらも、シディは自分でも驚くほどしっかりした声を出しているのに気がついた。隣で自分を抱きしめて優しい瞳で見守ってくれている人が、きっと勇気をくれたのだろう。

「いいですねっ? ティガリエさんっ!」

 叫んだらとうとう、ティガリエはまたごん、と床に額を叩きつけた。
 ひいっ、とまた尻が浮いてしまう。

「……承知つかまつりまして、ございます──」

 武人の大きな拳と声がほんのわずかに震えていたのを、シディの目と耳は見逃さなかった。武人の匂いも、緊張した悲壮なものから感極まったようなやわらかなものに変化している。

(よかった……とりあえず)

「うーん。ちょっと妬けるな」
 ようやくほっとしていたら、隣からこんな囁きが聞こえてきた。
「でっ……殿下!?」

 かっと体が熱くなる。
 なにを言ってるんだ、この人は!

「あはははは!」

 楽しげに大笑いして、殿下は素早くシディこめかみに口づけを落とした。ちゅっと軽い音がする。

(わ……!)

 全身がかちんと固まる。
 やっぱり慣れない。こういう扱い、どうしても慣れない。いったいこの人は自分をどういう扱いにしているつもりなのだろう。

「さあ。ということで、いろいろあったがそろそろ魔塔の島が近いぞ。シディはなるべく体力の回復に努めなければな。ティガリエは上陸の準備にかかってくれ」
「……は、はは」

 武人は再び、床をかち割る勢いでおおきな頭を低く下げた。

「あ。その前に!」
「……は」

 はっと顔を上げたティガリエに、シディはにっこり笑って見せた。

「ティガはちゃんと寝てください。寝不足のままオレの護衛をすることは許さないです。……いいですね?」
「……は、はは」

 大きな体をかしこまらせてトラの武人が出ていくと、殿下はあらためてシディの体を抱き寄せた。

「う、うわっ……」
「シディ。『ティガ』と呼ぶことにしたのかい?」
「え──」

 そう言えば。どうやら無意識にそう呼んでしまっていたようだ。

「私は?」
「……は?」
「私のことも、いい加減『インテス』呼びにして欲しいのだが。もちろん無粋な『様』などつけずに」
「そっ……そそそ、それはっ」

 無理だ。
 無茶を言わないでくれ!
 必死に目でそう訴えたら、殿下はしばらく不満そうにしていたが、やがて表情をあらためて話題を変えた。

「ともかく、良かった。そなたが目を覚まさなかったら、いかに海の精霊といえども必ず復讐を遂げるつもりでいた。我が手でな」
「でっ……殿下!」

 声も目つきもまったく冗談とは思えないのだが。……いや、冗談だよな??

「黒狼王の末裔たるそなたが、ようやくその記憶を取り戻した。……これからは、恐らくその身に魔力が宿ることになるだろう」
「ま……魔力ですか? オレに……?」
「ああ。魔塔のジジイどもに、扱い方をよく教わっておくとよいぞ」

 言って殿下はまたシディの頭をぽすぽす叩いた。

「そなたの父御ちちごがそうであったように、今後はその姿も変化へんげさせられるようになるだろう」
「そ、それも精霊さんたちが?」
「ああ」

 言って殿下はまたニコニコ笑う。

「可愛いだろうなあ、黒狼になったシディ。ぜひ私にも見せてくれよな。それから存分に撫でさせてくれ。しかも最初に!」
「え、ええっ……」
「今のように、耳と尻尾だけがふさふさしているのも可愛いが。全体が狼になっても、シディなら至上の可愛さ、そして美しさに決まっている。オオカミというのは、まことに高貴な生き物だと言うからな。……ああ、まことに楽しみだ」
「…………」

 まったく、この人は。
 なんと返事すればいいのかさっぱりわからない。
 黒ではなく、もう体じゅうが真っ赤になりそうな気になりながら、シディは体を小さくして、しばらく殿下に撫でられていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私と番の出会い方~愛しい2人の旦那様~

柚希
ファンタジー
世界名:グランドリズ ハーレティア王国の王都、レティアの小さな薬屋の娘ミリアーナと番の2人との出会い。 本編は一応完結です。 後日談を執筆中。 本編より長くなりそう…。 ※グランドリズの世界観は別にアップしてます。 世界観等知りたい方はそちらへ。 ただ、まだまだ設定少ないです。 読まなくても大丈夫だと思います。 初投稿、素人です。 ふんわり設定。 優しい目でお読みください。

【完結】結婚式当日、婚約者と姉に裏切られて惨めに捨てられた花嫁ですが

Rohdea
恋愛
結婚式の当日、花婿となる人は式には来ませんでした─── 伯爵家の次女のセアラは、結婚式を控えて幸せな気持ちで過ごしていた。 しかし結婚式当日、夫になるはずの婚約者マイルズは式には現れず、 さらに同時にセアラの二歳年上の姉、シビルも行方知れずに。 どうやら、二人は駆け落ちをしたらしい。 そんな婚約者と姉の二人に裏切られ惨めに捨てられたセアラの前に現れたのは、 シビルの婚約者で、冷酷だの薄情だのと聞かされていた侯爵令息ジョエル。 身勝手に消えた姉の代わりとして、 セアラはジョエルと新たに婚約を結ぶことになってしまう。 そして一方、駆け落ちしたというマイルズとシビル。 二人の思惑は───……

貴方にとって、私は2番目だった。ただ、それだけの話。

天災
恋愛
 ただ、それだけの話。

欲情しないと仰いましたので白い結婚でお願いします

ユユ
恋愛
他国の王太子の第三妃として望まれたはずが、 王太子からは拒絶されてしまった。 欲情しない? ならば白い結婚で。 同伴公務も拒否します。 だけど王太子が何故か付き纏い出す。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ

【完結】浮気者と婚約破棄をして幼馴染と白い結婚をしたはずなのに溺愛してくる

ユユ
恋愛
私の婚約者と幼馴染の婚約者が浮気をしていた。 私も幼馴染も婚約破棄をして、醜聞付きの売れ残り状態に。 浮気された者同士の婚姻が決まり直ぐに夫婦に。 白い結婚という条件だったのに幼馴染が変わっていく。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ

【完結】8私だけ本当の家族じゃないと、妹の身代わりで、辺境伯に嫁ぐことになった

華蓮
恋愛
次期辺境伯は、妹アリーサに求婚した。 でも、アリーサは、辺境伯に嫁ぎたいと父に頼み込んで、代わりに姉サマリーを、嫁がせた。  辺境伯に行くと、、、、、

魔力ゼロの出来損ない貴族、四大精霊王に溺愛される

日之影ソラ
ファンタジー
魔法使いの名門マスタローグ家の次男として生をうけたアスク。兄のように優れた才能を期待されたアスクには何もなかった。魔法使いとしての才能はおろか、誰もが持って生まれる魔力すらない。加えて感情も欠落していた彼は、両親から拒絶され別宅で一人暮らす。 そんなある日、アスクは一冊の不思議な本を見つけた。本に誘われた世界で四大精霊王と邂逅し、自らの才能と可能性を知る。そして精霊王の契約者となったアスクは感情も取り戻し、これまで自分を馬鹿にしてきた周囲を見返していく。 HOTランキング&ファンタジーランキング1位達成!!

排卵誘発♡発情カラコン

コウシ=ハートフルボッコ
ファンタジー
(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14531236)

処理中です...