白と黒のメフィスト

るなかふぇ

文字の大きさ
上 下
25 / 209
第四章 皇帝と魔塔

4 海からの声

しおりを挟む

 こん、こん、こおおん……

 その不思議な音が聞こえてきたのは、深夜のことだった。もちろん船乗りは全員が眠ってしまうことはないが、殿下をはじめ多くの者は眠っている時間帯だ。

 こん、こん、こおおん……

(ん、なんだ……?)

 シディは不思議な違和感をおぼえて目を覚ました。
 海の中は夜といえども豊かな音に満ちていたけれども、こんな音を聞いたのははじめてのことだった。
 ひどく眠い。
 衝立ついたての向こうからは、殿下の静かな寝息が聞こえている。

 実はこの船旅中、自分は珍しく殿下と同室で眠っている。殿下のお部屋は貴人のためにきれいにしつらえられた広い空間だったが、シディの寝る場所として適当なものがなかったからだ。
 殿下はシディが荒々しい海の男たちと同室で眠ることをよしとされなかった。それは身の安全を心配してくださってのことだったろう。
 殿下の部屋の前室にあたる場所は殿下の護衛たちとティガリエの詰め所になっているため、そこも使ってはだめだとおっしゃる。だったら殿下のお部屋で眠るしかないではないか。そう言ったらようやく、しぶしぶ承諾してくださった。
 それはいいのだが、「それならどうしても」とおっしゃるので、ふたつの寝台の間につねに無粋な衝立ついたてが置かれるという事態になったのだ。

 まったく、よくわからない人だ。
 シディのことはことのほか気にいってくださっている様子なのに、手の甲に優しいくちづけをしてくださったり、頭をなでてくださったり、ときどき少し抱きしめてくださる以外、ちっとも触れてはこられない。何かと言えば「修業が足らぬゆえ」とかおっしゃって、むしろ自分を遠ざけようとすらなさる。そのへんが最近、ちょっと不満である。……いや、言えないけれど。

 こおおお……ん。

 そんな風に考えるうちにも、奇妙な音は続いている。
 みんな、この音が聞こえないのだろうか?
 シディはむくりと身を起こした。
 音をたてないように、そろっと寝台から滑りおりる。ディガリエほどではないけれど、足音を消すのは得意なほうだ。体をかがめて、這うようにして扉へむかった。実際、これまでも小用のために部屋から這い出ることはよくあったのだ。
 しかし。

(あれっ……?)

 護衛たちの部屋をのぞいてみて、驚いた。なんと三名の殿下の護衛とディガリエが深く眠りこんでいたのだ。
 ほかの者はともかく、ティガリエが眠り込んでいる姿なんてはじめて見た。彼はシディの専属護衛だから、いつでもどこでもシディが行くところには影のようについてくる。こうして目をさましたシディが外へ出ようとするときには、すでに目を覚ましていて黙ってついてくるのが普通だったのに。

(どうしたんだろ……。なんだか様子がおかしいな)

 眠っている者をわざわざたたき起こすのは忍びない気がして、シディはそのまま前室の外へ出た。船室をつなぐ廊下はとても狭い。が、小柄なシディにはたいした障害にはならなかった。
 ネコ族ほどではないけれど、それなりに夜目もきく。ほとんど明かりのない通路でも、問題なくするすると歩いて、いつものように甲板に上がる階段をのぼった。

 こん……ここん、こおお……ん。

 音は相変わらず続いている。
 よく聞くと、つくりのいい陶器の鈴かなにかを鳴らしているような澄んだ音だ。
 進んでいくうち、さらに妙なことに気付く。船の中があまりにも静かすぎるのだ。
 船乗りたちは、夜も交代で不寝番をやっている。数名の者は必ず目を覚ましていて、船の周囲に気を配っているものだ。それなのに、帆柱の上の高い見張り台にいるはずの船員すら姿が見えない。どうやらその中で座り込んで眠ってしまっているらしいのだ。

 シディは恐るおそる甲板の上を歩いていった。
 案の定だ。見張り台だけではなく、本来ふなばたのところで仕事をしているはずの船員も、舵を握っている船員も、その場で座り込んで眠りこけている。

(これって……まずいんじゃ)

 と思ったときだった。
 突然頭の中で声がしたのだ。

《モドッテ、キタ……カ?》

「ひっ」

 びっくりしたなんてもんじゃなかった。シディは自分の身長ほども飛び上がって、一目散に物陰に駆け込み、うずくまった。ほとんど本能的に。
 が、声はそれでも聞こえてきた。

《オカ、エリ……》
《クロイ、コ……》
《オ、カエ、リ……》

「ひいいいいっ!」

 どうして聞こえてくるんだ。こんなにもはっきりと。
 こんなにしっかり、耳をおさえているのに!
 小用に起きてきたわけでもないのに、今にも失禁しそうになる。
 これはきっと、海にいる悪霊かなにかの仕業に違いない。起きているはずの船員たちや、あのティガリエですら眠らされているのは、きっとこいつのせいなのだ……!

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。

N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間 ファンタジーしてます。 攻めが出てくるのは中盤から。 結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。 表紙絵 ⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101) 挿絵『0 琥』 ⇨からさね 様 X (@karasane03) 挿絵『34 森』 ⇨くすなし 様 X(@cuth_masi) ◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する

あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。 領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。 *** 王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。 ・ハピエン ・CP左右固定(リバありません) ・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません) です。 べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。 *** 2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。

【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜

N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。 表紙絵 ⇨元素 様 X(@10loveeeyy) ※独自設定、ご都合主義です。 ※ハーレム要素を予定しています。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜

天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。 彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。 幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。 運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

処理中です...