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第四章 皇帝と魔塔
4 海からの声
しおりを挟むこん、こん、こおおん……
その不思議な音が聞こえてきたのは、深夜のことだった。もちろん船乗りは全員が眠ってしまうことはないが、殿下をはじめ多くの者は眠っている時間帯だ。
こん、こん、こおおん……
(ん、なんだ……?)
シディは不思議な違和感をおぼえて目を覚ました。
海の中は夜といえども豊かな音に満ちていたけれども、こんな音を聞いたのははじめてのことだった。
ひどく眠い。
衝立の向こうからは、殿下の静かな寝息が聞こえている。
実はこの船旅中、自分は珍しく殿下と同室で眠っている。殿下のお部屋は貴人のためにきれいに設えられた広い空間だったが、シディの寝る場所として適当なものがなかったからだ。
殿下はシディが荒々しい海の男たちと同室で眠ることをよしとされなかった。それは身の安全を心配してくださってのことだったろう。
殿下の部屋の前室にあたる場所は殿下の護衛たちとティガリエの詰め所になっているため、そこも使ってはだめだとおっしゃる。だったら殿下のお部屋で眠るしかないではないか。そう言ったらようやく、しぶしぶ承諾してくださった。
それはいいのだが、「それならどうしても」とおっしゃるので、ふたつの寝台の間につねに無粋な衝立が置かれるという事態になったのだ。
まったく、よくわからない人だ。
シディのことはことのほか気にいってくださっている様子なのに、手の甲に優しいくちづけをしてくださったり、頭をなでてくださったり、ときどき少し抱きしめてくださる以外、ちっとも触れてはこられない。何かと言えば「修業が足らぬゆえ」とかおっしゃって、むしろ自分を遠ざけようとすらなさる。そのへんが最近、ちょっと不満である。……いや、言えないけれど。
こおおお……ん。
そんな風に考えるうちにも、奇妙な音は続いている。
みんな、この音が聞こえないのだろうか?
シディはむくりと身を起こした。
音をたてないように、そろっと寝台から滑りおりる。ディガリエほどではないけれど、足音を消すのは得意なほうだ。体をかがめて、這うようにして扉へむかった。実際、これまでも小用のために部屋から這い出ることはよくあったのだ。
しかし。
(あれっ……?)
護衛たちの部屋をのぞいてみて、驚いた。なんと三名の殿下の護衛とディガリエが深く眠りこんでいたのだ。
ほかの者はともかく、ティガリエが眠り込んでいる姿なんてはじめて見た。彼はシディの専属護衛だから、いつでもどこでもシディが行くところには影のようについてくる。こうして目をさましたシディが外へ出ようとするときには、すでに目を覚ましていて黙ってついてくるのが普通だったのに。
(どうしたんだろ……。なんだか様子がおかしいな)
眠っている者をわざわざたたき起こすのは忍びない気がして、シディはそのまま前室の外へ出た。船室をつなぐ廊下はとても狭い。が、小柄なシディにはたいした障害にはならなかった。
ネコ族ほどではないけれど、それなりに夜目もきく。ほとんど明かりのない通路でも、問題なくするすると歩いて、いつものように甲板に上がる階段をのぼった。
こん……ここん、こおお……ん。
音は相変わらず続いている。
よく聞くと、つくりのいい陶器の鈴かなにかを鳴らしているような澄んだ音だ。
進んでいくうち、さらに妙なことに気付く。船の中があまりにも静かすぎるのだ。
船乗りたちは、夜も交代で不寝番をやっている。数名の者は必ず目を覚ましていて、船の周囲に気を配っているものだ。それなのに、帆柱の上の高い見張り台にいるはずの船員すら姿が見えない。どうやらその中で座り込んで眠ってしまっているらしいのだ。
シディは恐るおそる甲板の上を歩いていった。
案の定だ。見張り台だけではなく、本来舷のところで仕事をしているはずの船員も、舵を握っている船員も、その場で座り込んで眠りこけている。
(これって……まずいんじゃ)
と思ったときだった。
突然頭の中で声がしたのだ。
《モドッテ、キタ……カ?》
「ひっ」
びっくりしたなんてもんじゃなかった。シディは自分の身長ほども飛び上がって、一目散に物陰に駆け込み、うずくまった。ほとんど本能的に。
が、声はそれでも聞こえてきた。
《オカ、エリ……》
《クロイ、コ……》
《オ、カエ、リ……》
「ひいいいいっ!」
どうして聞こえてくるんだ。こんなにもはっきりと。
こんなにしっかり、耳をおさえているのに!
小用に起きてきたわけでもないのに、今にも失禁しそうになる。
これはきっと、海にいる悪霊かなにかの仕業に違いない。起きているはずの船員たちや、あのティガリエですら眠らされているのは、きっとこいつのせいなのだ……!
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