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第四章 皇帝と魔塔
3 船旅
しおりを挟む魔塔の島へのちょっとした旅に出たのは、それからしばらくしてのことだった。
この世界の魔導士や魔術師を擁しているという魔塔は、この大陸からは少し離れたとある島にあるのだという。
船旅は天候にめぐまれて順調に進んだ。
ただし、船に慣れないシディは最初のうち、きつい潮風と船の揺れですっかり酔ってしまったけれど。しばらくは気分が悪くて食事も喉を通らず、インテス様をかなり心配させてしまった。
かつて、船は風と船倉に並んだ奴隷たちの櫂によって進んだものだそうだが、今では特に皇族や貴族が使う船には基本的に魔石が装備されている。
魔石とは大量の魔力を注ぎ込まれた特別な石だ。それが基本的な推進力となり、周囲の脅威から船を守る役割も果たしている。ゆえに、必ず一人はその魔石を操作する魔導士が乗り組んでおり、船員たちは船の向きや風の調整などをおもな仕事にしている。それでも、甲板で帆を畳んだりひろげたり、重い綱をまとめておいたりする仕事で、みな忙しそうだった。
船員たちも様々な形質をもつ獣人たちがほとんどだった。ワニやカエルなど、水生の生き物の形質を持つ人が多いのは自然なことなのだろう。みんな基本的に屈強な男ばかりだ。
外海に出て海が凪いでからは、だいぶ気分がよくなってシディも舷へ出、インテス様と一緒に海原を眺めた。晴れ晴れとした空に明るく太陽が輝き、波に落ちた陽射しがきらきらと跳ねちっている。その間を、羽をもった魚がときどきピシピシと飛んだ。「トビウオ」というらしい。
もっと大きな魚もいる。群れになって、面白そうに船によってくるのがいるのだ。それは「イルカ」と呼ばれる生き物だった。「魚とちがって随分賢いんだ。船乗りをからかいに来ることもあるんだそうだぞ」とインテス様が教えてくれた。
(ああ、きれいだなあ……)
これが海。ただ塩水がいっぱいあるだけではなくて、お腹にいっぱいの生き物をかかえた世界だなんて知らなかった。
もうウキウキしてしまって、シディはいつもよりだいぶ落ち着きがなかった。
「あっ、またトビウオが飛びましたよ。ほら、インテス様、あっち、あっち! 本当に鳥みたい」
「ああ、うん。気をつけろよ、シディ」
言って殿下はさりげなくシディの腰に腕を回す。
「あまり身を乗り出すな。危ないぞ」
「あ、はいっ。あ、イルカが鳴いてますっ。イルカって、『くけけけ』とか『きゅいーん』とか、いろんな鳴き方をするんですね~」
「ああ。それでちゃんと仲間と意思の疎通ができるらしい。非常に賢くて、人間とさほど変わらないようだな」
「へええ……」
夜になると、昼には聞こえなかった色々な音がシディの耳に聞こえてきた。
水の中をすいすい泳ぎ回る大小さまざまな生き物の息吹き。ぶつぶつ言ったり、ぷくぷく泡を吹いたりしながら、みんな食べたり、食べられたりを繰り返しながら生きて、死んでを循環させている。そこは静かに、そして淡々とそれが繰り返されている世界だった。
世の中には、自分が知らないことがこんなにたくさんあったのか。シディは興奮しながら、持ってきていた羊皮紙のつづりにあれこれと旅の出来事を書きつづった。ときどき、下手くそな絵もつけている。インテス様はそれを見て面白がってくださった。
「字がずいぶん上手くなったんだな。絵もなかなか味があっていいぞ。才能がある」
「わっ。み、見ないでください……」
慌てて隠そうとするのに、インテス様は長い手でまたサッとそれを取り上げてしまう。
「……ふむ。シディには海の中の様子がこんなに鮮明に聞こえるのだな。興味深い」
「えっ。インテス様には聞こえないんですか……?」
言ったらインテス様は優しく苦笑した。
「残念ながら、人間としての耳はそなたたちほど出来がよくないのさ。まったく、不便なものだよ」
「………」
(でも……)
指さす先にあるインテス様の耳は、きれいな形をしていて金色のうぶ毛がうっすらと生えている。とてもきれいだ。こんなにきれいなもの、見たことがない。
耳だけじゃない。この人はどこもかしこも本当にきれいなのだった。
皇族と高級貴族たちは、基本的にみな獣の形質をまったくもたない完全な《純粋な人間》である。昔からその「純血」を保つために、細心の注意を払って人間同士の結婚が繰り返されてきたらしい。
しかしこれには弊害もあった。
獣の形質をもたない人は、どうしても獣人よりも虚弱で厳しい環境に適さないのだ。病気になりやすく、そのために亡くなる確率もはるかに高い。爪も牙も、鋼のような筋肉も、ある程度訓練しても熊や獅子の獣人にはとても敵わない。
純粋な人間であることが貴人にだけ許されるのも、多くの医師や治癒師に手厚く守護されることが可能だからだとも言えるだろう。
そのもともと虚弱な人間が、同じ人間同士での婚姻を繰り返すうち、さらに虚弱になってきているらしいのだ。
実際、インテス様のきょうだいたちには病のために早死にしたり、重い病や障害のためにほとんど外にでてこない方々も多い。上にいる四人の兄たちだって、決して丈夫な人たちではないという。健康で大した病気もしたことがなく、健やかな筋肉をもつこの方が非常に稀有な存在であるだけなのだ。
だからシディはずっと不思議だった。
(インテス様は、皇帝になりたいとは思わないのかな……?)
心も体も健全そのものであるこの人が皇帝になってくれたら、この国にとってどんなにいいかわからない。
自分みたいな性奴隷たちのことにすら心を砕いてくださる慈悲深い人が上に立ってくれたら、下々の者はどんなにか心やすらいで暮らせることだろう。
なのに殿下は、そういう権力争いにまったく興味がなさそうだった。
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