白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第三章 離宮にて

2 インテス様との日々(2)

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「い……一緒に寝るだと? シディ」

 そう言ったきり、インテス様は非常に複雑な顔になって黙りこんでしまった。

(ハッ。しまった……!)

 この人を困らせたり、嫌われたりするのはイヤなのに! 絶対に絶対にイヤなのに。どうして自分はこう、すぐにぽろっとわがままなことを言ってしまうんだろう。
 少年は慌てて首をぶんぶん左右に振った。

「すっ、すみません! ごめんなさいっ……! ダメならいいんです。勝手なこと言って、ごめんなさ──」
「いや、ちがうんだ! そうじゃない!」

 インテスもまた、なぜか急に慌て始めた。両手をぱたぱたさせて、やっぱり顔を横に振っている。そしてその顔がなぜかちょっと赤くなっているのだった。

「……そうじゃないんだ。誤解しないでほしい」
「は……はい?」

(そりゃそうだ。なに言ってるんだよ、オレは)

 自分はただの薄汚い性奴隷、男娼だった者ではないか。だれかれ構わず金をもらって男に抱かれて、かれらの精液まみれになっていくつもの夜を過ごしてきた、そんな穢れた存在なのだ。まちがってもこんな、きらきらの皇子さまと一緒の寝室で眠ったりできるはずがないではないか。
 ……わかっていたのに。
 ついつい、この幸せな日々が汚らわしい自分を忘れさせてしまうから──。
 しょぼんと耳としっぽを垂れてしまった少年を見て、青年はますます困った顔になって慌てたようだった。

「ち、ちがうっ。ちがうぞ、シディ! なにか誤解してるだろう。そんなに気落ちしないでくれ、悪いのは私なのだから」
 でも少年はふるふる首をふった。
「……インテス様が悪いなんて」

 そんなはずはない。
 彼自身がイヤではなくても、周りの人たちはそう思わないのだろう。清らかなこの国の皇族──そうだ、この人は事実、紛れもない皇子だった。
 その後、使用人のみなさんから聞いて知ったのだ。
 彼はこの神聖帝国シンチェリターテの皇帝の子。つまり皇子だ。とはいえ、皇帝には正妃以外にも多くの側女がいるらしく、子どもは何十人もいる。皇子だって八人ほどもいて、この人はその五番目なのだそうだ。
 まあ、何番目であろうが高貴で穢れなき皇族さまであることにはちがいない。

「寝台の……ほんの、足元のところで眠りたいって……ちょっと思っただけなんです。でも……ダメですよね、そんなの。本当にごめんなさい」
「ちっ、ちがうんだって!」

 座っていた場所からがばっと立ちあがり、インテスはつかつかと少年に近づいてきた。

「ぴゃっ!?」

 びっくりして飛びさがったが、青年の足は止まらない。そのままあっという間に壁ぎわまで追い詰められてしまう。

(……!)

 少年はぎょっとなって身を固くした。本能的に背中を丸め、両腕を上げてしゃがみこみ、頭を庇うような姿勢になる。
 この青年が自分を殴るはずがない。そんなことは分かっているのに、この体はどうしても日々鞭をうけていたあの経験を忘れることがないのだ。
 青年は、あっ、と言って立ち止まった。少年の異様な様子にすぐに気づいたらしい。

「す、すまない。怖がらせるつもりはなかった」
「……い、いいえ」
「だが、その……本当に誤解しないでほしいんだ。悪いのは私なんだ」
「…………」
「つまりその……『修行が足らぬ』、とでも言うか──」

 おそるおそる目を上げてみると、彼はやっぱり困ったような、申し訳ないような顔になっていた。しきりに片手で口許を隠している。そのまま、少年と目線を合わせるように彼もその場に片膝をつく。
 次にやって来たのは、少年が予想だにしなかった言葉だった。

「……そ、そなたと同じ寝室を使うなど……とても自信がない」
「は?」

 自信? って、なんの自信なのだろうか。
 さっぱりわけがわからない。
 よほど変な顔になっていたのだろう。青年は何度か瞬きをしてから、ぷふっと吹き出した。

(えっ……?)

 笑われた? いったいなんで笑ってるんだ、この人は。

「す……すまぬ。いや、本当に私が悪いから」
「…………」
「が、そなただっていけないのだぞ?」
「えっ」

 ぴくっと身を竦めたら「いやいや、そうではなく」と青年が優しく頭をなでてくれた。いつものように。

「……そなたがそんなに、可愛いすぎるのがいけない」
「……は?」
「そなたの可愛さが罪なのだっ。……いや、悪くはない。むしろ素晴らしい。だから決して悪くはないのだがっ……!」
「…………」

 完全に意味不明だった。
 その夜はそれまでのことで、インテス様は「ではおやすみ」とシディの手の甲に軽く口づけを落としただけで、さっさと自分の寝室に行ってしまった。
 なにがなんだかわからないまま、自室にぽつんと残されてしばし呆然としたものだ。いまだにわけがわからない。

(でも)

 ──『可愛い』だって。

(ほんとかな……?)

 それを考えるとドキドキしてきて、勉強が手につかなくなる。つい羽ペンを放り出して鏡の前に行き、体を回して自分の姿を見直してしまう。
 ここへ来てから入浴もさせてもらえてずいぶん清潔になったし、毛艶もすごくよくなった。だがそれでも、自分はやっぱりどこもかしこも真っ黒な、やせ細った犬の少年だ。これのどこがどう「可愛い」のだかさっぱりわからない。

 ……でも、嬉しい。
 青年が言ってくれたあの言葉を反芻するたび、体じゅうの細胞がものすごく嬉しそうに脈打つのがわかる。
 あの人がそう言ってくれるのならいい。
 こんなみすぼらしい、黒い犬っころの自分でも。

(インテス様……)

 あの人のことを考えると、それだけで胸の中がほこほこする。
 ……しあわせだ。
 たぶんこれが、「しあわせ」ってことなんだな。
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