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第二章 新たな生活
5 忌み色
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促されるまま寝台をおり、少年はその謎の物体の前へ歩いていった。
(えっ……?)
近づきかかって、ぎょっとした。思わず立ちすくむ。
壁に立てかけられるように置かれている板のようなもの。その中に、真っ黒な耳と尻尾と肌をした少年が驚いたような顔で立ち尽くしていたのだ。少年は着ている上等そうな衣服の前をもじもじと握りしめるようにしている。
「だれだろう」と思う間もなかった。板の中の人物のすぐ隣に、ほかならぬインテス青年が微笑みながら立っていたから。
「鏡を見たことはないのかな?」
「……う、うう」
こくこくやったら、鏡の中の黒い少年もこくこく。今まであまり意識していなかったが、こうして見ると自分は青年の肩のあたりまでの身長しかない。
少年はあらためて鏡の中の自分を凝視した。
(……すごい。耳が……尻尾も)
ふさふさした黒い毛並みに覆われた大きめの耳。そして長くて大きな尻尾。ちぎられ毟られてボサボサに醜くなっていたそれらが、いまやきれいに元通りになっていた。
思わず自分の耳と尻尾にさわってしまう。あれだけごわごわになっていたはずなのに、滑らかな毛並みが手に触れた。なんと、汚れまで落とされてきれいになっているようなのだ。
あまりの驚きに声もでない。
「どうだ? 私が『美しい』と言うのは嘘ではないだろう?」
鏡の中の青年がこちらを見て笑いかけてくる。
途端、鏡の中の少年の顔がぶわわっと赤くなったのが見えた。
「で、……も」
そうだった。よく見ると、すっかり抜かれてしまっていた牙もきれいに生えそろった状態にもどっている。
しゃべれる! 言葉をつむぐことができている!
「ぼ、……オレ、くろい、し」
それでも訥々としかしゃべれない。あまりにも長くしゃべらずにいたことの弊害だろうか。舌や唇がうまく動いてくれないのだ。
実は自分のことを「ぼく」と言うのか「オレ」と言うのかでも迷った。ずっと幼いころは「ぼく」だったような気がするけれど、あの売春宿では無理をして「オレ」と言うことが多かったのだ。あそこにいる少年たちは、自分のことを「ぼく」なんて言う奴はすぐにバカにして見下したものだから。
まあ普段は「オレ」なんて得意げに言っていながら、ついた客によってはすぐに「ぼく」呼びに変えて媚びを売る少年が大半だったけれども。少年はそういうあたり、まったく器用にはできなかった。
が、たとえ少年が「オレ」を使ったところで、ほかの少年たちから距離を置かれたことに変わりはなかった。
「の、ろわれた、こ……だし」
「そのような──」
どんなに傷がきれいになったところで、全身真っ黒の「呪われた仔」は「呪われた仔」でしかない。
ぼそぼそとそう言うと、青年の目がまた少し悲しげに曇った。隣ですっと片膝をつき、少年の手を取る。途端、少年はびくっと体を竦ませた。
「そんなことを言わないでおくれ。『呪われた仔』だなどと。その呼び名こそが、なにより忌まわしいではないか」
「で、……でも」
「さきほどキュレイトーも言っていただろう。そなたは私の唯一無二の半身なのだよ。私が長年、どんなに会いたいと思い、探しつづけてきたと思う?」
「…………」
そう言われても、自分にはなんの実感もないのだ。自分にあるのはただただ、「呪われた忌み子」として蔑まれ、嘲られ、性奴隷として日々いたぶられるだけの経験だけだった。
と、老人がゆっくりと口を開いた。
「体の傷は、治癒の技さえありますればいくらでも癒せまする。が、心のそればかりは治癒師のこの身にもなかなか癒せるものにはございませぬ」
インテスがハッと老人を見て目を見開く。
「キュレイトー」
「それは、殿下。これからのあなた様のお仕事にござりましょうな」
ほほほ、とまた笑う目は皺の間に埋もれてみえないが、ひどく優しいものに見えた。少年はほっとした気になって体から力を抜いた。
インテスも少し何ごとかを考えた様子で、再び少年を見上げた。
「……そうだな。爺の申す通りだ。すまない、シディ」
「う、うう」
彼に頭を下げられてしまって、少年はびっくりして首をぶんぶん横に振る。
「だが、信じてほしいんだ。……そなたは美しい。そもそも『黒は悪いもの、醜いもの』という考え方を私は信じぬし」
「え……?」
意外なことをいわれて、首をかしげる。
「そうじゃのう。確かにおぬしの体は黒い」
返事をしたのは老人のほうだった。これは少年に対してだったが、つぎに老人は青年に目を向けた。
「確かにこの国の習わしとして、民らが黒きものを忌むのは事実。長年の習慣ですがのう。どうもわしは、あれを今ひとつ信じられませぬでの。殿下には以前にも申したことですじゃが」
「ふむ。そうだったな」
青年がひとつ頷く。
「風のヴェントスは緑。火のイグニスは赤。土のソロは茶──」
歌うように老人がいいかけるのに、青年がつづいた。
「金のメタリウム、黄色。そして水のアクア、青……。それが?」
「左様」
老人は満足げに目を細めた。
「精霊に黒という色はない。ゆえに我が国にあっては長年、『黒は忌み色』と言われてまいった。……しかしまことに、そうなのであろうか。黒はまことに、忌むべき色と申せるのか──」
「と言うと?」
青年はもう少し詳しく話を聞く気になったらしく、少年とともに老人をそばの椅子の方へ導いた。
(えっ……?)
近づきかかって、ぎょっとした。思わず立ちすくむ。
壁に立てかけられるように置かれている板のようなもの。その中に、真っ黒な耳と尻尾と肌をした少年が驚いたような顔で立ち尽くしていたのだ。少年は着ている上等そうな衣服の前をもじもじと握りしめるようにしている。
「だれだろう」と思う間もなかった。板の中の人物のすぐ隣に、ほかならぬインテス青年が微笑みながら立っていたから。
「鏡を見たことはないのかな?」
「……う、うう」
こくこくやったら、鏡の中の黒い少年もこくこく。今まであまり意識していなかったが、こうして見ると自分は青年の肩のあたりまでの身長しかない。
少年はあらためて鏡の中の自分を凝視した。
(……すごい。耳が……尻尾も)
ふさふさした黒い毛並みに覆われた大きめの耳。そして長くて大きな尻尾。ちぎられ毟られてボサボサに醜くなっていたそれらが、いまやきれいに元通りになっていた。
思わず自分の耳と尻尾にさわってしまう。あれだけごわごわになっていたはずなのに、滑らかな毛並みが手に触れた。なんと、汚れまで落とされてきれいになっているようなのだ。
あまりの驚きに声もでない。
「どうだ? 私が『美しい』と言うのは嘘ではないだろう?」
鏡の中の青年がこちらを見て笑いかけてくる。
途端、鏡の中の少年の顔がぶわわっと赤くなったのが見えた。
「で、……も」
そうだった。よく見ると、すっかり抜かれてしまっていた牙もきれいに生えそろった状態にもどっている。
しゃべれる! 言葉をつむぐことができている!
「ぼ、……オレ、くろい、し」
それでも訥々としかしゃべれない。あまりにも長くしゃべらずにいたことの弊害だろうか。舌や唇がうまく動いてくれないのだ。
実は自分のことを「ぼく」と言うのか「オレ」と言うのかでも迷った。ずっと幼いころは「ぼく」だったような気がするけれど、あの売春宿では無理をして「オレ」と言うことが多かったのだ。あそこにいる少年たちは、自分のことを「ぼく」なんて言う奴はすぐにバカにして見下したものだから。
まあ普段は「オレ」なんて得意げに言っていながら、ついた客によってはすぐに「ぼく」呼びに変えて媚びを売る少年が大半だったけれども。少年はそういうあたり、まったく器用にはできなかった。
が、たとえ少年が「オレ」を使ったところで、ほかの少年たちから距離を置かれたことに変わりはなかった。
「の、ろわれた、こ……だし」
「そのような──」
どんなに傷がきれいになったところで、全身真っ黒の「呪われた仔」は「呪われた仔」でしかない。
ぼそぼそとそう言うと、青年の目がまた少し悲しげに曇った。隣ですっと片膝をつき、少年の手を取る。途端、少年はびくっと体を竦ませた。
「そんなことを言わないでおくれ。『呪われた仔』だなどと。その呼び名こそが、なにより忌まわしいではないか」
「で、……でも」
「さきほどキュレイトーも言っていただろう。そなたは私の唯一無二の半身なのだよ。私が長年、どんなに会いたいと思い、探しつづけてきたと思う?」
「…………」
そう言われても、自分にはなんの実感もないのだ。自分にあるのはただただ、「呪われた忌み子」として蔑まれ、嘲られ、性奴隷として日々いたぶられるだけの経験だけだった。
と、老人がゆっくりと口を開いた。
「体の傷は、治癒の技さえありますればいくらでも癒せまする。が、心のそればかりは治癒師のこの身にもなかなか癒せるものにはございませぬ」
インテスがハッと老人を見て目を見開く。
「キュレイトー」
「それは、殿下。これからのあなた様のお仕事にござりましょうな」
ほほほ、とまた笑う目は皺の間に埋もれてみえないが、ひどく優しいものに見えた。少年はほっとした気になって体から力を抜いた。
インテスも少し何ごとかを考えた様子で、再び少年を見上げた。
「……そうだな。爺の申す通りだ。すまない、シディ」
「う、うう」
彼に頭を下げられてしまって、少年はびっくりして首をぶんぶん横に振る。
「だが、信じてほしいんだ。……そなたは美しい。そもそも『黒は悪いもの、醜いもの』という考え方を私は信じぬし」
「え……?」
意外なことをいわれて、首をかしげる。
「そうじゃのう。確かにおぬしの体は黒い」
返事をしたのは老人のほうだった。これは少年に対してだったが、つぎに老人は青年に目を向けた。
「確かにこの国の習わしとして、民らが黒きものを忌むのは事実。長年の習慣ですがのう。どうもわしは、あれを今ひとつ信じられませぬでの。殿下には以前にも申したことですじゃが」
「ふむ。そうだったな」
青年がひとつ頷く。
「風のヴェントスは緑。火のイグニスは赤。土のソロは茶──」
歌うように老人がいいかけるのに、青年がつづいた。
「金のメタリウム、黄色。そして水のアクア、青……。それが?」
「左様」
老人は満足げに目を細めた。
「精霊に黒という色はない。ゆえに我が国にあっては長年、『黒は忌み色』と言われてまいった。……しかしまことに、そうなのであろうか。黒はまことに、忌むべき色と申せるのか──」
「と言うと?」
青年はもう少し詳しく話を聞く気になったらしく、少年とともに老人をそばの椅子の方へ導いた。
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