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第二章 新たな生活
4 治癒師キュレイトー
しおりを挟む老人はやっぱり枯れ木みたいな細い足をのそのそ動かしてこちらへ近づいてきた。
「おお。これがかの、殿下の半身の御方にござりまするか」
皺だらけの口元から流れ出た声も、やっぱり非常にしゃがれたものだった。だがそこに、滋味の多い土の匂いのような、どっしりとした温かみを感じる。
(……あ)
それまでびくびくしていた少年は、ついついちょっと安堵した。これは予期せぬことだった。なぜかわからないが、とにかく本能的に「あ、このひと悪い人じゃない」とわかってしまったのだ。
実は少年は、こういう方面でかなり鋭い勘を持っていた。まあ、生き残るために鋭くならざるを得なかったとも言えるけれど。あの売春宿で客の内面を読み間違えることは、即座に自分の健康と命を危険にさらすことを意味していたから。
老人を寝台のそばに招き寄せ、インテス自身は少し下がった。
「よろしく頼むぞ。なるべく痛みのないようにしてやってくれよ」
「もちろんにござりまする。あなた様にとって唯一無二の大切な御仁に、なんの無体などいたしましょうや。ご心配召されまするな」
老人はなんとなく、小さな少年でも宥めるみたいな口調だった。
「ならいいが」
インテスが微妙な形に眉をしかめる。
「しかしながら、どうやら話に聞いておりました以上の惨い傷のようにございまするなあ」
「そうであろう? まったく、ひどいものさ」
インテスが厳しいしかめっ面をする。老人は少年に顔を戻した。
「随分とひどい目に遭わされ申したな。さぞや苦労を重ねてきたものにござりましょう。つらかったろうのう、少年よ」
皺の奥にきらりと見えた暗灰色の瞳も、やっぱり少年に対する深い温情のようなものを感じさせる。少年は唐突に胸の奥底に、ぎゅっと温かなものが溢れるのを感じた。とても不思議な感覚だった。これも生まれて初めての感覚だ。
「……では、早速に始めましょうぞ」
「ああ、頼む」
「さあ、坊や。準備はよろしいかな? この爺に、ちょいと手を握らせておくれでないかな」
「……あうう」
少年は思わず、おどおどとインテス青年の方を見あげた。
やっぱり怖い。なにしろこんなことをされるのは生まれて初めてなのだ。恐怖を感じるのは当たり前だろう。
少年の必死に救いを求める目を見て、青年はハッとした顔になり、素早く寝台の反対側へやってきた。治癒師の許可を得て、もう片方の手をそっと握ってくれる。
「では、よろしいかな。始めまするぞ……」
(うわっ……!?)
途端、部屋じゅうに若草のような香りが満ちみちた。周囲をほわんとした温かな光が包みこむ。
これはインテス青年のものとはまた違う、豊かな自然物の香りだった。それは特に植物系の、さまざまな爽やかな香りに感じられる。
それと同時に、体じゅうに不思議な熱がひろがっていく。不愉快な熱ではない。痛い感じもしなかった。胸の中が大きく膨らんで、体全体の細胞が歓喜の声をあげている。そんな感じだった。
周囲を舞い飛んでいた光たちが少しずつ粒状に集まりはじめ、やがて波打つように収束したかと思うと、しゅうっと少年の体に吸い込まれていく。
(ああ……!)
心地いい。なんという幸せな感覚だろう。
少年は目を閉じた。この素晴らしい香りと感覚を、しっかりと脳に刻みつけておこうと思った。
それから、どれぐらい時間が経ったものか。
「……さあ。そろそろよろしゅうございましょうかの」
老人のしゃがれた声がして、やっと少年は目を開いた。
すでにキュレイトーは少年の腕から手を放していたが、左にいるインテス青年はじっと少年の手を握ったままだった。
見れば、なんとなく呆然としたような顔でぽかんと少年を見つめている。
「……?」
少年がぴょこんと首をかしげると、ハッとしたような顔になり、急に慌てはじめた。
「あ、ああ。すまない。あまりにもそなたが美しいものだから」
「……え?」
またこの人は。何を言っているのだろう。
いくら傷が治ったからと言ったって、こんな自分が急に美しくなるはずがない。
変な顔になっていたら、ウサギの老人がほほほ、と丸い笑い声をたてた。
「どうやらこの御仁は、殿下のお言葉を信じられぬ様子じゃがの」
「そんな。事実、シディは──」
言いかけたインテスに、老人は「まあまあ」と軽く片手を上げてみせた。
「ともあれ、まずはそちらへ連れて差し上げなさりませ」
言って指さす先には、なにやら大きくて平たく、つややかに光っているものがある。周囲を美しい彫刻飾りされた四角い板のようなものだ。
少年にはそれが何なのかがわからなかった。
青年は「そうだな」と気を取り直し、「さあ」と少年の手をとった。
促されるまま寝台をおり、少年はその謎の物体の前へ歩いていった。
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