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第八章 過去と未来と

9 婚儀前夜

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 海底皇国・滄海わだつみに到着してからも、ユーリは玻璃とともに古式ゆかしい伝統にのっとった儀式・儀礼で多忙を極めることになった。
 まずは海皇・群青への結婚の挨拶の場に臨み、玻璃とともに群青から結婚へのお許しと寿ことほぎのお言葉を頂戴することになった。今回は、群青のいる《水槽》の手前に高さのある畳のようなものがいくつも敷かれ、玻璃とユーリは履物を脱いでそこへあがり、座って海皇をお迎えした。
 周囲をそっと見回してみたが、その場に瑠璃るりの姿はなかった。

 群青は以前と同様、水の奥から堂々たる姿で現れた。相変わらずの白く豊かな髪と髭の荘重たる出で立ちである。そのままゆったりと御座につき、玻璃の朗々たる感謝のことばの奏上をゆるやかに微笑みながら聞いておられた。
 ユーリはまだこのご老人と個人的に親密な言葉をかわしたことはない。けれども今回は、幸いにしてその尊い双眸そうぼうの奥に秘された優しい光を感じることができた。きっとこの義父上おちちうえも、この婚儀を喜んでくださっているのだろう。
 もっともそれは、事前に玻璃から「父上はこの婚儀に大いに賛成してくださっている」と何度も聞かされていればこそ、ではあったけれども。
 やがて最後に群青陛下は、ユーリに向かってこうおっしゃった。
「ユーリ殿。どうか幾久いくひさしく、わが子玻璃と仲良う添うてやってくだされよ」と。
「はは……!」

 ユーリは自然に、畳の上で平伏していた。玻璃もそろって頭を下げる。
 その後はすみやかに神前での結婚式となるのかと思っていたが、この日の儀式はそこまでで、正式な結婚の儀式は翌日ということになっていた。
 ユーリたちを宿泊のための部屋へ案内すると、玻璃はそこで一度ユーリを抱きしめて言った。

「ではユーリ殿。また明日に」
「えっ」
 驚いて顔を上げる。これからはずっと、玻璃と供にいられると思っていたのだ。急に不安げになったユーリの表情を読み取って、玻璃は優しく微笑み返した。そのまま両頬を手でつつみこむようにして顔を寄せ、軽く額をくっつけられた。
「婚前ゆえ、今宵はひとつしとねで休むことは許されぬ。俺も非常に残念だが、明日という日は必ず参る。決してがっかりはさせぬゆえ、どうか今宵は堪えてくれ。……よろしいな、ユーリ殿」
「は、……はい……」
 ひどく心細いような、さみしいような気持ちになったが、ユーリは敢えてきゅっと唇を噛むと、腹に力をいれて微笑んだ。
「わかりました。本日は遠いところ、お迎えをありがとうございました、玻璃どの。おやすみなさいませ」
「ああ、そなたも。どうかゆるりと休まれよ。明日からは大忙しゆえな」
「はい」

 それでもなんとなしに寂しい気持ちで夕食の膳をいただき、湯をつかって、その夜はユーリも早くに床に就くことにした。
 だがその前に、侍従長らしい男から翌日の式次第をこと細かに説明してもらわねばならなかった。
 ロマンはといえば、身の回りの世話のことで、ユーリ付きになっている女官や侍従をなにかというととっつかまえて、「あれはどうするのか」「これはこうでいいのか」としきりと質問攻めにしている様子だった。黒鳶は相変わらずユーリの身辺警護にあたっており、基本的にはずっと姿を隠していた。





 さて、翌朝。
 ユーリは思っていた以上に早い時間からたたき起こされることになった。
 なにしろ朝から様々な儀式が目白押しなのだ。新郎側はさほどではないけれども、男子とはいえ一応「新婦側」であるユーリには、なんやかやと準備が山積しているらしいのだった。
 まずは、朝一番の沐浴である。
 ロマンや侍従たちに手伝ってもらいながら木造りの爽やかな湯殿で身を清め、髪を整えて口を漱ぐ。
 上から下まで、もの慣れない滄海式の真っ白な装束に身を包み、玻璃がかぶっていたのと同じような冠をつけてもらうと、なんだか自分が別人になったような気がした。
 女官たちが、ほんのうっすらとだけれども、白粉おしろいを使って化粧までほどこしてくれる。

「わあ……。とてもお美しいです、殿下」

 ロマンが姿見に映ったユーリを見て思わずため息をついた。いや、美しいのは装束のほうだとは分かっている。分かっているが、ユーリは恥ずかしくてたまらなかった。そんな風に褒められるのはもの慣れなくて、なんだか身の置きどころがないような気分になる。

「うん。と、とても綺麗な装束だよね。さすがはワダツミの──」
「もうっ。『ユーリ様がお美しい』と申し上げているのですよ」
 途端にロマンが頬を膨らませた。
「ああ、うん。ロマンの目にはそう見えるだろうけど、でも──」
「『でも』は必要ありませんっ」
 遂にロマンはぴしゃりと言った。
「ユーリ殿下は素敵な方です。だからこそ、あのハリ殿下がお選びになったのです。どうか自信をお持ちください。いいですね? どうかどんな場にお出になっても、堂々と胸を張ってお臨みくださいませ。あなた様は相手が誰だったとしても、なにひとつ後ろ指をさされるような方ではないんですから。いいですね? いいですねっ?」
「……はい……」
 
 ユーリは小さくなって、さらに小さい声で答えた。
 と、だれかがくすっと後ろで笑った。それは嫌味なものではなく、いかにも思わず微笑ましくて笑ったという感じだった。
 周囲の人々は、一応アルネリオの言葉を学んでいる人たちばかりだ。ゆえにこちらの話していることは理解している。装飾品や扇などを持ってそばに控えていた女官たちがくすくすと袖の内側で静かに笑う。
 と、だれもいないはずの部屋の隅で、軽く咳払いをする音がした。
 恐らくは黒鳶だ。

(まったくもう……。くすぐったいな)

 首から頬、耳にかけてがあっという間に熱くなる。
 そんなこんなの末だったが、ユーリはそのまま朝食は摂らず、神前式に臨むことになった。
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