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第四章 御子誕生 

7 期限

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 かもめ園での日々は、ごく穏やかに過ぎていった。
 気がつけば、電子カレンダーの日付が何週間分も先へ進んでいる。

「それではみなさん、いただきます」
「いただきまーす!」

 食事の席はいつもにぎやかだった。このときばかりは、一部を除いて入所している子のほぼ全員が食堂に集まるのだ。最初のうちはどうするか迷ったが、瑠璃殿下と藍鉄も結局そちらに参加させてもらうことになった。
 「だれそれがぼくのプリンをとった」と大泣きする子がいるかと思えば、年長の少年が「好ききらいの多いやつは大きくなれないぞ」と年下の子をからかったり、年長ぶってお説教をしたり。とにかく毎回大騒ぎである。
 藍鉄は当初、殿下にとって子ども特有のキンキンと耳に響く声がかんに障るのではないかと心配していた。が、意外にも瑠璃殿下はいつも、おっとりと鷹揚な微笑みを浮かべていらっしゃるだけだった。

「アオイお兄ちゃん、おいしい?」

 七つぐらいの少年が、殿下の隣で嬉しそうに殿下を見上げる。口の周りには、ハンバーグのソースがべったりだ。
 まさか本名を教えるわけにはいかないので、殿下にはここでは「アオイ」という仮名で過ごして頂いている。漢字にすれば、恐らく「葵」ということになるのだろうか。

『ああ、おいしいな。どうしてこんなにおいしいんだろう。みんなといっしょにいただくからかな』

 殿下は腕の装置にそう打ち込んで、微笑みながら少年に見せておられる。子ども相手であることをちゃんとお考えになり、基本的に漢字はお使いにならない。そこはさすがだと思った。やはりこの方、小さな者やかよわき者には非常にこまやかな気遣いをなさるのだ。
 日々のメニューはみなとまったく同じでごくごく庶民的なものだったけれども、離宮で召し上がるときの何倍も美味しそうなお顔で召し上がっている。

 藍鉄は内心ホッとしながら、そんな殿下のお顔を盗み見ていた。
 子どもたちと園内の庭いじりをしたり、動物舎で飼われているうさぎやニワトリやヤギたちの世話をしたり。そうしてみんなと暮らすうち、殿下のお顔の色が日に日に元通りになっていくのを、藍鉄は安堵の思いとともにじっと噛みしめてきた。お顔の線にも丸みが戻ってきている。
 いや、「元通り」は語弊があるかもしれぬ。今までのように離宮や御所で過ごされているのとは違い、日光の下で子どもたちと活動することが多くなって、いまや殿下のお顔は健康的に日焼けしているのだ。それでも十分、周囲の子どもたちよりは色白であらせられたけれども。
 土や草の汁で指先や衣服を汚した皇族らしからぬご様子。帝都の臣下らが見れば、眉を顰められることは必至であろう。
 だが藍鉄には、ここへお連れした時とは雲泥の差の殿下の笑顔も明るさも、ひたすら嬉しく思えるだけだ。

(ただ──)

 ただ、肝心のお言葉は戻らない。
 なまじ、腕輪でコミュニケーションが取れてしまうのもいけないのかも知れなかった。日常的な必要を感じなければ、このまま殿下はお声を発して言葉をあやつることを放棄してしまわれかねない。
 そのことは、カウンセラーや心療内科の医師たちも心配しているところだ。

(一体、どうしたものか)

 食事が終わって、いつものように背中や肩にしがみついてくる小さな少年少女の相手をしながら藍鉄は考えている。五歳ぐらいまでの子どもなら、四、五人ぐらいいっぺんに持ち上げるのはどうということもない。
 この園へ来て、すでに数か月。
 ここでどうにもならなかったら、もはや自分に残された手はない。
 玻璃殿下からは、「一応、半年ということにする」と期限も切られている。不調の期間がそれ以上になるならば、やはり帝都の医療センターで専門的な治療を受けていただくことになっているのだ。

(無理なのか? やはり……)

 もしも自分がお傍にいることで何のお役にも立てないのだとすれば。
 これ以上、自分ごときが殿下のお傍にいないほうがよいのかもしれぬ。
 自分でなく、もっとずっと有能で、殿下のお心に寄り添える者、ご病状に少しでも貢献できる者が傍にいたほうがよいのかもしれないのだ。





 小さな子どもたちが昼寝のために部屋に戻り、こちらも部屋に戻ろうとしたところで、不意にシャツの袖を引っ張られた。殿下である。

『どうしたのだ、藍鉄』

 ややふくれっ面になられ、腕輪の画面をこちらへ突き出して、下から少し睨むようになさっている。

「なんのことにございましょう」
『誤魔化すな。先日から様子がおかしい』
「……いえ。なんでもございませぬ。少し食事が多かったようで。ご無礼の段は、どうか平に──」
『嘘をつけ』
 殿下の目が細められた。
『私にわからないと思っているのか? もともと無口だからばれないとでも?』
「……は、いえ──」

 思わず返答に困った。
 無口な者がより無口になったからといって、さしたる変化はないはずだ……とタカを括っていたのは事実だった。図星である。
 先に立って部屋のドアを開けて差し上げたが、殿下は中へは入らずにこちらをじっと睨んだままだ。

『兄上から言われた期限が迫っているな。だからか?』
「…………」

 沈黙した藍鉄を、殿下は忌々しそうなお顔で見上げてこられた。
 そのままぐい、と袖を引かれて部屋へ連れ込まれかける。

「あ、いけませぬ。自分はここで」

 思わずドアの手前で踏みとどまった。小さな部屋はベッドもあり、そのまま寝室ということになる。まさか自分ごときが、うかうかと殿下のご寝所に入り込むわけにはいかない。
 藍鉄は敷居の手前で本気で足を踏みしめた。こうなってしまえば、殿下がいかに必死に引っ張ってもそうそう動くものではない。
 ご機嫌はさらに下降したようだった。刺すような眼光で下から睨みつけられる。

『いいから入れ。命令だ』
「……は」

 ついに藍鉄は腹をくくった。
 そうして、重い足どりで殿下のあとに続いた。

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