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第二章 秘密の子

6 秘めた心

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 殿下が肉親である兄君に特別な感情を抱かれていることは、すぐに知れた。前任の男も間違いなく気づいていたであろうが、そのことについては特に教えられていなかった。わざわざ教えずとも、すぐに気づくと思われていたのだろう。
 母君は瑠璃殿下をお産みになってすぐにお亡くなりになっている。少年の寂しい心はどうやら、才知溢れて心優しい八歳年上の兄君に向かったようだ。

 だがそれは、どう考えても許される恋ではなかった。
 いくら滄海で同性での婚姻と子をもつことが認められているとはいえ、遺伝的に近しすぎるふたりの婚姻は許されないことになっている。皇室も、長年血縁の近しい者同士の婚姻を慎重に避けてきている。
 庶民の間ではさほどひどくはないのだが、やはり近親婚を続けてきた皇室や貴族の中には例の「血の病」が頻繁に、なおかつ重度にあらわれることがわかっているからだ。
 
 年を重ねるに従って、瑠璃殿下の気鬱の頻度は高くなっていった。
 自分がどう頑張ってみたところで、あの兄上とは決して添うことが叶わない。思春期に入ってからの瑠璃殿下の目の前には、「それはダメ」「あれもダメ」という禁止事項ばかりが並んでいたことだろう。
 あのご気性のこともあり、同じ年頃のご学友にもあまり恵まれない。変な笑みをはりつけて湿っぽいお追従を言ってくるような「ご学友」を、殿下は特にお嫌いになったからだ。
 少しでもそんな様子でにじり寄ってくる者がいれば、殿下は閃くような鋭さでその者たちを退けるだけだった。

 あのぐらいの年の子供に心を許せる友達がいないというのは、不幸である。本来であれば、自分とは異なる感性、異なる価値観、異なる背景を持つさまざまな者と交わり、自分の「枠」を広げていくべき大切な時期であるはずなのだ。そうでなくても高貴すぎるその身分が、そうした道を阻みやすいお立場なのだから。
 本人がひどく孤独を愛する性質たちならばまだよかったのだが、あいにく瑠璃殿下はそうではなかった。
 幼くして母君を亡くしているゆえ、激しい気性ながらも人一倍寂しがりやであり、打算のない澄んだ友情や愛情を欲している。だがそれを肉親以外の相手に対して素直に表現するには、彼の矜持は高すぎ、また邪魔でありすぎた。

 そんな殿下のお気持ちをほぐすことができるのは、泰然としてお優しい父君と、兄君を措いてほかにはなかった。とりわけ身近にいて、弟をあれこれと気にかけ、優しく接してくださる兄、玻璃殿下の存在は非常に大きかったのであろう。
 瑠璃殿下の想いは日ごとに膨らみ、深化して、どんどん後戻りのできないものへと成長していった。
 その過程の逐一を、体を透明化させた状態で藍鉄はずっと見つめてきた。前任の男が心配したのであろうと同じ心配を、色濃く心に抱きながら。

 それでも殿下は、途中までしかない階段の最後の一段のところで長いこと踏みとどまっておられた。要するに、玻璃殿下に直接自分のお気持ちをさらけ出し、求愛されることはなかった。殿下のお心はとても危ない状態のまま、やっと均衡を保っていたのだ。
 ……そう。
 あの帝国アルネリオの第三王子が玻璃殿下の目の前に現れるまでは。

 実は藍鉄も、当時あの黒鳶が帝国アルネリオの間諜となって動いていることは知っていた。黒鳶以外にも何十名もの忍びが各地へ放たれて動いていたが、とりわけあの男はアルネリオ宮の奥深くを探る任にあたっていたらしい。
 そこから玻璃殿下があの第三王子ユーリに関心を持たれ、ある日ついに直接にお会いになる顛末を迎えたという。ほとんどハプニングのようなものだったが、それは決定的かつ運命的なものだった。
 その後、玻璃殿下はなんと、そのユーリ王子を己が配偶者として迎え入れる準備を始めたというのである。

『ふざけるな。ふざけるなッ……! 一体、どういうことなんだっ!』

 当時の瑠璃殿下の荒れようといったら、それはすさまじいものだった。
 居室のありとあらゆる調度を打ち壊し、食器を投げつけて鏡に皹を入れ、羽毛の入った布団や枕を裂きまくって部屋中をめちゃめちゃにしたものである。

『それに……相手は男だと!? どういうことだ。どういうことなんだよっ……!』

 雪のように羽毛の乱れ飛ぶ寝室で、頭を抱えて寝床に潜り込んでいたかと思えば、叫び散らして大暴れをする。食事も喉を通らない。あの十日あまりで、殿下はひどくお痩せになった。
 玻璃殿下はそれ以前に、深縹こきはなだという女人をご正室になさったこともある。入内じゅだいされてすぐに儚くなられてしまったが、その御方は女人であったがゆえに、そこまで瑠璃殿下のお心をさいなまなかったのであろう。
 もちろん苦しまれたには違いないのだろうが、早くに諦めもついたのに違いない。いくら滄海で同性婚が許されているとはいっても、いまだに圧倒的に多いのは異性婚だからである。

 だが、今回はそうはいかなかった。
 下等な──残念ながら滄海では、おかの国々の人々をそのように見下す風潮がある──アルネリオの王子。しかも聞くところによれば、さしたる才も美貌ももたぬ、凡人なのだという噂。
 相手の王子の為人ひととなりが誰かの口から詳しく知らされるたびに、瑠璃殿下はお荒れになった。美しい紺の髪をかきむしり、着ている衣の袖を引きちぎって、獣のように自室で咆哮を上げられた。

『殿下。侍従が心配しております』
『どうか一口だけでも、お食事を』
『どうかご入浴と、お召し替えを』

 静まり返った布団の塊に向かって、部屋の隅から低い声で何度そう進言したことか。
 返事はただの沈黙だったこともあり、「うるさい、黙れ!」という怒号だったこともあった。そばにあった茶器かなにかが飛んできたことも一度や二度のことではない。
 瑠璃に何をされようと、藍鉄は黙ってそれを甘受した。

(そんなにまでも、お慕いか)

 、という蟻の声よりも小さな不満の想いは、胸の奥底に封じ込めた。
 錆びた扉を軋ませるようにして。

 ──そうなのだ。

 そのときにはもう、遅かった。
 小さな野獣のように暴れ狂うこの美しい皇子殿下を、藍鉄の錆びた扉の奥底はとっくに……とっくに、「特別なもの」にしてしまっていたから。
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