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第二章 秘密の子
4 過去 ※※
しおりを挟む貴人の護衛は、基本的にはきつい仕事だ。
護衛対象者である主人が目覚めるときにはすでにそばに居て、お眠りになるまではほぼ席をはずすことも許されない。
忍びも機械でできているわけではないので、ごく短時間用を足しに行くなどは許される。もちろんそのあいだ、別の者に警護を頼んでおく必要がある。
さまざまな政争はあるけれども、いまの滄海は基本的に平和である。これまで仮想敵国だった帝国アルネリオとの関係もごく平和裏に進行している。そのため、殿下たちに差し迫る危険などをさほど心配する必要はないけれども。
今夜の瑠璃殿下は、エア・カーの中にいる時からご機嫌斜めのご様子だった。それなのに、なぜか多少頬を染めておられるのが不思議だったが。そのままさっさと湯浴みをなさり、ふくれっ面を解かないまま床に入られた。その顔は、ただひとり藍鉄だけに見せるためのものだろう、ということは十分わかっていた。
(……相変わらず、……)
その後に続く感慨に、藍鉄は敢えてまた蓋をした。それは藍鉄の胸の中で、どうしたって甘やかで優しい響きを帯びた言葉に変貌してしまうからだ。
言葉にすれば、それははっきりとした形を持ってしまう。気持ちが形を持ってしまったら、それに抗うことは難しくなる。
叶うはずもない兄殿下への恋心を打ち砕かれたばかりの瑠璃殿下に、自分のような男がどんな気持ちを抱くことも許されるはずがなかった。自分はただただ、この方の心身を身命を賭してお守りするばかりである。
自室へ戻って日々の決まった鍛錬を終え、使用人のための湯殿で汗を流すと、藍鉄はすぐに床に入った。翌朝も早朝から仕事である。はやく眠るに越したことはないのである。
が、目をつぶるとすぐ、車の中でふと訊ねられた殿下のお声が耳の奥で再生されはじめた。
『そう言えば……お前、家族は?』
藍鉄は目を開けた。
なんの気なしに訊ねたという風情だったが、瑠璃殿下の紺の瞳は意味ありげにじっとこちらを見つめていた。
「そんなものは居りませぬ」と答えたが、あれは事実である。
あの黒鳶も天涯孤独の身であるが、自分もまたそうだった。実際、忍びにはそうした境遇の者が多い。そこに至った顛末はそれぞれに違えども、近しい誰かと生活を共にしている者は多くないのが普通である。
──『にいちゃん……!』
幼い少年の声と表情が記憶の底から呼び起こされそうになり、藍鉄はきつく目を閉じた。
思い出しても詮ないことだ。喪われた命を覚えていてやることは、遺された者としての使命であり、責任だとは思うけれども。
◇
滄海の交通システムは、基本的に巨大な中央制御機構であるAIによって、細かく管理・監視が行われている。
かつて地球上には、膨大な数の交通事故があったのだという。だが現在は、エア・カーや都市内を縦横無尽に走るチューブ・トレインがAI制御されて運用されているために、その数を激減させている。
だが、システムというのは結局のところ人間の作ったものだ。どんな場合にも「完全・完璧」などということはない。なんとなれば、人間は常に不完全な生き物であり、「不測の事態」というのは常に起こりうるものだからだ。
藍鉄が少年時代に遭遇したその事故も、そのうちの稀有な例のひとつだった。
当時、藍鉄は十五になったところだった。当時から体格には恵まれており、スポーツは全般的に得意で学業の成績もよく、ハイレベルな高校へ進学することが決まった頃のことだった。
母は滄海に蔓延る「血の病」もあって虚弱な体質だったため、藍鉄の次に子供を作ることはしばらく控えていたようだったが、事故の数年前に「遺伝情報管理局」の助けを借りて、下に弟ができていた。
しかし母の命はもたなかった。弟が三歳になったころ、流行りのちょっとした風邪にかかったと思ったらあっというまに肺炎を引き起こし、対処が遅れたこともあってあっけなく他界した。手のかかる小さな子供がいたために、すぐに医療機関にかからなかったことがいけなかった。
父はしばらく落胆していた様子だったが、二人の息子の前では無理にも明るく振舞っていた。
事故は、藍鉄が上の学校への入学許可をもらったことのお祝いとして、外で食事をしようとエア・カーで出かけたときに起こった。
ごくごく些細なシステム上のエラーと、エア・カーそのものの電気的な不具合その他が絶妙に──という言葉はまったくの皮肉でしかないけれど──絡み合って起こった悲劇だった。
車体は高く跳ね飛ばされ、砕けた窓から藍鉄は放り出された。道路脇の建物にエア・カーがぶつかった拍子に、安全ベルトの端が壊れてしまったのだ。
父と小さな弟は車の中に取り残されたが、全身を強く打って身動きできずに転がっていた藍鉄には、ひっくり返ってめちゃくちゃに壊れた車体がどうにか見えているだけだった。
薄く開けた目の中に赤いものが混じりこんで視界を遮る。
そのカーテンの向こうから、弟が泣き叫ぶ声がした。
『にいちゃん……いたいよう、にいちゃん……!』
父はこちらに背を向けた状態でぴくりとも動かない。弟は安全ベルトが自分では外せずに、小さな腕をひくひく揺らして必死にもがいているようだった。顔じゅうを涙と血で濡らして、わあわあ泣き続けている。
藍鉄は動かない身体を叱咤し、どうにか這ってそちらへ近づこうとした。
だが、無駄だった。
車はそこであっけなく爆発し、少年藍鉄の目の前で燃え上がった。
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