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第二章 秘密の子

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(それは、確かに……危ういな)

 瑠璃は先ほどから、顎に手を当てたまま考え込んでいる。目の前を通り過ぎていく滄海の夜景は今、まったく目に入っていなかった。

 このようなこと、おいそれと御前会議の面々に知られるわけにはいかない。ユーリに敵対的な右大臣派の者たちに、何を言われるかわかったものではないからだ。
 不可抗力だったことは明白だが、それでもユーリを「ほかの男に股を開いた下賤の王子よ」「不義の配偶者よ」と第三者が嘲ることは非常に容易い。それはユーリの、玻璃兄の配偶者という立場を即座に危うくするだろう。
 
 また、その子供のことも問題だった。
 ユーリと玻璃兄はその子供に「いつでも内密に地球に戻ってきて構わない」と許してしまったそうである。つまり少年は、滄海の技術でも発見することが不可能なほど高度なステルス機能を使って、いつでもこの惑星にやってくることができるのだ。
 ということは、その「アジュール」とやらいう恐るべき生き物だって、来ようと思えばいつでも地球に来られるという話になる。それも、こちらの目をかいくぐってだ。

(危うすぎる──)

 そんな馬鹿な話、放置しておけるわけがない。
 地球人類をもう一度、あの恐怖の谷に突き落とそうというのだろうか。

 ただ幸いにもと言うべきか、アジュールはその少年を自分のつがいとして心底溺愛しているのだという。他の男や女に奪われるリスクを考えれば、わざわざ少年をこの地球へ寄越すことは考えにくかった。そこが唯一、救いといえば救いだろうか。
 だが、それでももしも子供が地球へ戻ってきて「ユーリ殿下の長子は自分だ」と公表してしまったりすれば大問題だ。いや「大問題」などというものではない。滄海の面々のみならず、帝国アルネリオの皇帝エラストだって黙ってなどいるまい。
 エラストはその男はもちろん滄海に対しても「我が王子をそんな目に遭わせたか」と激怒せぬとも限らない。さらには玻璃兄とユーリの婚儀についても解消を迫ってくる可能性さえある。
 そのことは、せっかく話もまとまり落ち着いた両国の関係が損なわれるきっかけを作るであろう。

(それは……いかにも、できぬ相談よな)

 だから、瑠璃は理解した。
 二人は命のあるかぎり、これを公表することはない。
 いまだ、側近中の側近であるはずのロマン少年や黒鳶にすら事実を明かしていないというのはその証拠であろう。
 無意識に指先で眉間をもんでいたら、低い藍鉄の声がした。

「そろそろ到着いたします」
「ああ、うん。ご苦労」

 常に落ち着いた男の声を聞くといつも、波立っていた気持ちが知らずほっとするのを感じる。瑠璃は目を上げ、前の座席の男を見つめた。
 その言葉は、ついぽろりと転がり出た。

「そう言えば……お前、家族は?」

 それは瑠璃が、初めて男に投げた個人的な質問だった。藍鉄は一瞬ぴたりと体の動きを止めたが、顔だけをゆっくりとこちらに向けた。

「左様な者はおりませぬ」
「……そうか。そうだよな。お前も忍びなのだから──」

 言いかけて男とまともに目が合い、瑠璃は言葉を飲みこんだ。

(なんだ……?)

 男の瞳は不可思議な色を湛えていた。普段はいわおのように静かなのに、どうかした拍子に鋭く緑色に光る黒い瞳だ。その瞳が、いつも以上に不可解だった。
 いや、何を考えているのかさっぱり分からないのはいつも通りだ。けれども、男はいつにも増して変な顔をしているように見えた。
 瑠璃はなんとなく尻の辺りがむず痒いような、いたたまれぬような、奇妙な思いに囚われた。なにがこうまで自分の心をざわつかせるのか、しかとは見定められなかったけれども。
 藍鉄はすぐに瑠璃から視線を外し、前へ向き直った。黒ずくめの装備に覆われた分厚い胸の中に去来するものなど、ちらりとも見せてはくれなかった。
 
(……ふん。どうせそうだろうよ)

 なんとなく面白くなくて、瑠璃は密かに唇をとがらせた。わざと行儀悪く、窓のふちに肘をついて窓外を見るふりをする。

 藍鉄はかつて、上司としてあの黒鳶を指導したこともある男だ。
 滄海の警察や消防機構は、軍部とは組織的に分かたれている。軍部の最高責任者が滄海宇宙軍・正三位兵部卿青鈍あおにびであるとすれば、警察機構のそれは左大臣・藍鼠あいねずだ。その両方を掌握するのが海皇・群青であり、皇太子・玻璃である。
 
 黒鳶はもともと士官学校を目指していたが、それは軍の方が学費の免除等々の優遇が大きいのが理由だろう。あの男はごく幼いころから孤児だったと聞いている。十八になってすぐ、彼は士官学校へ入学した。
 そこで着々と頭角を現して、やがて黒鳶は一般の兵士よりもはるかに高い能力を要求される「忍び」と呼ばれる集団の一員になった。
 忍びは身体機能はもちろんのこと、頭の回転の速さ、忠誠心、忍耐力などなど、すべてにおいて常人の何倍もの能力を要求される仕事である。あまり大っぴらに素顔を晒せる仕事ではないので「花形」とまでは言えないけれども、軍の中では十分なエリートコースだと言えた。

 仕事の内容は各種様々だ。要人警護や諸外国への密偵などなど、機密性の高いものが非常に多くなる。そうした仕事の性質上、もともと家族や親族など大切な肉親が居ない者が選ばれることが多い。
 そういう事情のためもあってか、忍びの男たちには寡黙な者が多い。この藍鉄もその例に漏れなかった。
 藍鉄が黒鳶と最初に出会ったのは、忍びのための特別訓練施設でのことのようである。

 当の黒鳶は、今や大出世を果たして玻璃兄の最愛の配偶者であるユーリ付きの護衛になっている。藍鉄は黒鳶より五つ、六つは上のはずだから、今は三十代半ばに届くか届かぬかという頃合いか。
 いくら身分が高いとはいえ、やっと十八になった瑠璃ごとき、この男からすればほんの子供でしかないであろう。立場上うやうやしくかしずいてくれてはいても、内心まともに話をすることすら馬鹿げていると思っていたとしても、なんら不思議ではない。

 と、藍鉄の視線が再びちらりとこちらへ流れてきた。ほんの一瞬のことだった。
 男の目は後部座席でいきなり盛大にふくれっ面になっている己が主人あるじの顔を見てとったが、ほんのわずかに眉間に皺を立てたのみで、やっぱり何も言わなかった。
 瑠璃はちょっと意地の悪い気持ちになって、笑いながら男の後頭部を睨んだ。

「なんだ? 何か言いたそうだな」
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