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28 最後の作戦
しおりを挟むこの件でなにより幸いだったのは、いまや未来とこちらで情報のやりとりが比較的簡単になっていることだった。上層部はこちらの申し出に対して少し悩んだようではあったが、返事そのものは即座にやってきたのである。
……というのも、あちらで仮に何か月も議論が紛糾したのだとしても、いざ返事をするとなれば、こちらの時間で数分後に送りつけるなどが可能だからである。
本部の結論は「オーケー」だった。いくつか条件は付随したが、皇帝ちゃんが心から嫌がるような内容とは思われなかった。
(よしっ!)
ハルマとともにその報せを受けるとすぐ、トラヴィスはシンジョウを自室に呼んだ。一日の作戦行動が終了した、夜のことだった。
これまでの経緯について聞いたとき、男は凍りついたようになった。普段はほとんど動きを見せない表情が、今夜ばかりは多少変化している。
驚いたような、なかば放心したような。
「まさか……お前が願い出てくれたのか」
「まあな~? だってお前、いつまで経ってもなんも希望を出してこねえし」
「それは──」
ふと見れば、体の両脇に垂れた拳が小刻みに震えている。まさかこんな要望が通るなんて思いもしなかったのだろう。無理もない話だ。
「だが……なぜお前がそこまで」
「おいおい。そりゃねえだろ~?」
思わず苦笑してしまった。
なんだこいつは。この自分をどんな冷血漢だと思っていやがったのだろう。
「まっ、俺だってあの皇帝ちゃんとはそれなりに仲良くなったしよ。これであっさりサヨナラはつまんねーだろ?」
にかっと笑って言ったら、男はぎゅっと唇をひき結んだ。それから一度姿勢を正し、ゆっくりと頭を下げてきた。深々と。それはビシッと決まった、あのころよく見たアロガンスの近衛隊長としての礼だった。
「……恩に着る。心から」
低い声が少し掠れている。
「なーにを水くせえこと言ってやがんでえ!」
トラヴィスは一足飛びに彼に近づき、ばしばしその背を叩きまくった。殴りつけるに近い力の入れようだった。相当痛かったに違いない。そのぶん、こちらの手のひらも真っ赤になったが。
「疫病が下火になったら、タイミングを見て一回話をしに行ってやんな。喜ぶぞ~、皇帝ちゃん」
「…………」
男は沈黙したままひとつ頷き、顔をあげた。
(んお?)
いや、ちがう。
それはきっと、こちらの思い込みからくる目の錯覚だったのに違いない。
男の目の端がうっすらと赤く染まっているように見えたのは。
そうして。
疫病の新規罹患者がゼロになった日、シンジョウは単身、帝都ケントルムの皇宮へと降りていった。
ハルマ女史は一応、様子を見るために監視カメラを搭載した小型ステルス機をとばしていたが、AIに状況の記録はさせたものの、自分を含めたメンバーがそれを閲覧することを禁じた。特段の問題がない限り、今後それを見聞きする者はないはずだった。
トラヴィスももちろん、最初からそんなものを「のぞき見」する気はなかった。
それは恐らく、ごく私的で感動的な場面になるだろう。
あの皇宮であのふたりのどんな感動的な再会があり、皇帝ちゃんが驚き、喜び、感動のために涙するか。それは十分に想像できたからである。
◆
「皇帝ストゥルト」は、そこからさらに精力的に働いた。ステルス状態とはいえあのシンジョウが陰で常に見守っている状態になったのだから、メンタルはすっかり元通り、いやそれ以上に気力が横溢していたのだろうと思われる。
希望は人を変えるのだ。
ストゥルトはアロガンス帝国の内政に力を入れ、政府を構成する貴族たちに喝を入れ、全体を立て直す仕事に没頭した。
さらに、これまで教育してきた宰相スブドーラの子を養子として迎え入れ、皇太子とし、自分の後継者としての地位を与えた。
「計画は着々と進んでるな。あとどのぐらいでここを離れられる?」
《そうだな。あとひと月といったところか》
シンジョウの胸にかかった蒼いペンダントに通信を入れると、いつものように不愛想な男の声が答える。これもあと、何度できることだろうか。
気がつけば、この時代に自分たちが戻ってきてから三年の月日が経っていた。
ストゥルトはその後、自分の身の回りをさらに整理し、後継者が困ることのないようにあらゆることを整備していったようだ。
よいタイミングになったら、またもや側近フォーティスの協力を得て、「いかにも自然死に見える薬」を服用する手筈になっている。もちろん未来の薬である。
仮死状態になったところで「ストゥルト」の記憶・人格の記録をとり、未来へ持ち帰る。それをあのクローン体に移しかえる。それがこの計画の全貌だった。
「チャンスは一度きりだろう。くれぐれもつまんねえヘマをしねえようになー」
《わかっている》
男はやっぱり無表情な声で答えたが、あの男にしては少し緊張しているようにも聞こえた。
タイム・エージェントとしての仕事の集大成、最後の大仕事だ。
(やれやれ。うまくやってくれよな、シンジョウ?)
にやりと口角を引き上げてコーヒーを啜る。
飛行艇据え付けのサーバーで淹れたものも決して悪くはないが、やっぱり未来世界で自分のこだわりの豆で淹れたコーヒーが懐かしい。
どうやらこれで、ようやく帰れそうだ。
シンジョウと彼の愛する人とともに、未来の世界へ。
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