上 下
23 / 31

23 変転

しおりを挟む

《貴様っ……レシェント!》
「俺をもうその名で呼ぶな」
《なに?》
「そりゃあ、このミッションのための偽名だろ。……お互いによ」

 そうだった。この時点をもって自分はミッション用の名である「レシェント」を捨て、今後は「トラヴィス」に戻ろうと考えていたのだ。

「お前、考えが甘すぎたんだよ。皇帝ちゃんに言ったんだってな?『イヌワシ・チームや本部を説得する』ってよ。アホかっつーの」
《…………》
「あのな。お前がいつまでもそうやってゴネるんなら、あいつら最悪、お前を殺す気でいたんだかんな?」

 これは事実だ。
 人類全体の未来とエージェント一人の命。天秤に掛ける選択肢すら存在しないそんな話を、こいつは無理にも通そうと考えていた。
 だが甘い。自分に言わせれば甘すぎる。そんな真正面からの力業ちからわざだけではくぐり抜けられない局面というのは確かにあるのだ。

「当然だろ? この『未来』は、俺らがやっとつかんだ希望の糸だ。どんだけの費用と命をぶっこんできたと思ってんだ。俺らエージェントがあんだけ苦労して、やっと地球から脱出できる未来をつかみ取った。お前、それを無にするつもりだったのかよ」
《いや……ちがう》
「なんも違わねえんだよッ!」

 トラヴィスは突然声を荒らげ、コンソールをブッ叩いた。隣にいた医療チームのメンバーが「ひいっ」と悲鳴をあげて飛びすさる。が、そんなものはガン無視だ。

「いいか。せっかくつかみ取ったこの『希望の糸』を逃すようなリスクはいっさい犯せねえ。どんな小さな齟齬も許さねえ。これは本部の一致した意見だった。当然だわな?」
《…………》
「で、そうなるぐらいならワガママなエージェントの一人や二人、消すこともやむなし、ってわけだ。クソッ!」

 再び力任せにコンソールを殴りつけて、遂に「や、やめてくださいっ!」と必死の形相で医療スタッフに止められた。手首を握られた拳が怒りのあまりにまだビリビリ震えている。
 頬を凍り付かせて黙り込んだモニター内の男の顔を見ているうちに、沸騰していた血が少しずつ落ち着いてきた。それでもようやく出たのは、笑みのまじった溜め息だけだ。

 これほど表情のわかりにくい、頭に「バカ」がつくほどの朴念仁男が、いろんな障害を乗り越えてやっと見出した大切な存在。それを心ならずも、こんな風に引き裂かねばならなかった。この男の気持ちの一部を、それでもある程度は理解していたはずの自分が。ほかならぬ自分自身が。
 ……だれより、この男の命を守るために。
 だれがこの葛藤を理解すると言うのだろう。
 しかし。

わりい。ちゃんと覚悟はしてっからよ。あとで好きなだけ殴りゃあいい。ほかの奴はともかく、俺のことは……な」

 言ってやや凹んでしまったコンソールを離れ、レシェント──いや、今やトラヴィスに戻った男はくるりと踵を返した。そのまま背中へ投げられるスタッフの声を無視して、ポケットに両手を突っ込み、足早にセンターを後にする。
 周囲を歩いている医療チームの面々も、街を歩く一般の人々も、まるでライオンのようなこの風貌をひと目見ると自然と道をあけた。

 すでになつかしさすら覚える銀色を基調とした未来世界の街並みを、じっくり味わう余裕さえまだない。
 自分は本部に対して、まだまだ山ほどの報告書をあげねばならないからだ。まだ使い物にならないシンジョウの分は、自分とリュクスとで手分けして行っている状態である。多忙の上にも多忙の状況。

 その上、未来社会におけるいわゆる「マスコミ」も、「英雄」に祀り上げられてしまった自分たちを放っておくつもりはないようだった。まだ、すんでのところで本部が止めてくれている状態ではあるが、自分のところにも次々に取材の申し込みが舞い込んでいる。これから多忙になることは目に見えていた。





 それから数日後。様々な健康チェックを完了して、ようやくシンジョウが退院してきた。
 結論から言えば、彼はトラヴィスを殴ることはなかった。
 本部から与えられたトラヴィスの仮住まいに現れたシンジョウは、厳しい目つきで扉の前に立っていた。ほとんど「仁王立ち」というやつだ。

「よお。やっと来たのか」

 いつもどおり軽い声で迎え入れたトラヴィスに、男は大股で近づいて来た。
 殴られることは覚悟の上だった。だからトラヴィスはにやにや笑いながらも下腹に力を入れて待ち受けていた。
 だが、いつまで待っても期待した重いパンチはやってこなかった。

(……うお!?)

 むしろ凄まじい力で抱きしめられている自分を発見して面食らった。

「な……な~にをやってんのよ、お前は……」

 肩透かしを食らいすぎて変な声が出る。
 少し格好がつかない。いや、だいぶつかない。

「すまなかった。今回の件では、お前……いや、トラヴィス隊長には色々とご迷惑をお掛けしました」

 男はただそれだけを言って、トラヴィスに向かって深々と一礼をしてきた。

(おいおい……)

 なにかあちこちがくすぐったい。

「てめえ。もーちょっとカッコつけさせろや、俺に」

 トラヴィスはしかたなく締まりのない笑みを返し、彼を自分の巣へといざなった。
 一応彼には、「俺のことは二、三発殴ったことにしといてくれや」と釘を刺すことも忘れなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?

こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。 自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。 ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?

俺☆彼 [♡♡俺の彼氏が突然エロ玩具のレビューの仕事持ってきて、散々実験台にされまくる件♡♡]

ピンクくらげ
BL
ドエッチな短編エロストーリーが約200話! ヘタレイケメンマサト(隠れドS)と押弱真面目青年ユウヤ(隠れドM)がおりなすラブイチャドエロコメディ♡ 売れないwebライターのマサトがある日、エロ玩具レビューの仕事を受けおってきて、、。押しに弱い敏感ボディのユウヤ君が実験台にされて、どんどんエッチな体験をしちゃいます☆ その他にも、、妄想、凌辱、コスプレ、玩具、媚薬など、全ての性癖を網羅したストーリーが盛り沢山! **** 攻め、天然へたれイケメン 受け、しっかりものだが、押しに弱いかわいこちゃん な成人済みカップル♡ ストーリー無いんで、頭すっからかんにしてお読み下さい♡ 性癖全開でエロをどんどん量産していきます♡ 手軽に何度も読みたくなる、愛あるドエロを目指してます☆ pixivランクイン小説が盛り沢山♡ よろしくお願いします。

とろとろ【R18短編集】

ちまこ。
BL
ねっとり、じっくりと。 とろとろにされてます。 喘ぎ声は可愛いめ。 乳首責め多めの作品集です。

高校生の僕は、大学生のお兄さんに捕まって責められる

天災
BL
 高校生の僕は、大学生のお兄さんに捕まって責められる。

男の子たちの変態的な日常

M
BL
主人公の男の子が変態的な目に遭ったり、凌辱されたり、攻められたりするお話です。とにかくHな話が読みたい方向け。 ※この作品はムーンライトノベルズにも掲載しています。

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

バイト先のお客さんに電車で痴漢され続けてたDDの話

ルシーアンナ
BL
イケメンなのに痴漢常習な攻めと、戸惑いながらも無抵抗な受け。 大学生×大学生

処理中です...