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第二章 謎の惑星
1 木陰にて
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存分に水を飲んで、やっと人としての理性を取り戻したヴォルフは、あっさりと宇宙服も脱ぎ捨てた。なにやら矛盾しているが、その時はそれが自然に思われたのだ。
いつものTシャツとカーゴパンツ姿になったヴォルフを、そばにいる青年は相変わらず物珍しげな目でじっと観察する風だった。
(それにしても。返信が遅え)
そう思って手首の通信機器の履歴を確認するが、救難信号を出し続けているにも関わらず、母船からはウンともスンとも言ってきた様子がなかった。
奇妙だ。
この惑星は、やっぱり何かが奇妙なのだった。
と、くいくいとTシャツの袖を引かれて、ヴォルフは目を上げた。金髪の青年がさも「あっちへ行こうよ」と言わんばかりに向こうを指さし、そちらとヴォルフとを見比べるようにしている。
「ん? なんだよ。どっか行くのか」
こくこくこく、と頷かれる。またにっこりと笑いかけられる。
その顔がまた、蕩けるように可愛らしい。
かつて「地球」にあったとある宗教の、「天使」などと呼ばれていた架空の生命体。その宗教画にでてくるような、そんな穢れのない笑みなのだ。
いい大人の男に見えるのに、仕草といい表情といい、むやみやたらと可愛く見えるのはなぜなのか。
「ん~。どうすっかな」
何度も言うが、遭難時にはなるべくその場を動かないのが鉄則だ。
最初に目を覚ました位置からさほど動いてはいないつもりだが、ここからさらに動くとなると話は別に思えた。
それに、自分はまだこの青年を信用したわけではない。
このままのほほんとついていって、待ち構えていた「真打ち」に頭からケチャップでも掛けられてガリガリ食われるなどは御免だった。
と、青年が不思議な仕草をした。
くるくると腹の前あたりを手のひらでこするようにして、きゅうっとつらそうな表情を作って見せたのだ。
途端にそこから、くう、とささやかな音がした。
「……っぶは!」
思わず吹き出す。
「なんだ、あんた。腹へってんのか?」
こくこくこく。にこにこにこ。
それから今度は、何かをぱくぱく食べるジェスチャーが続いた。
何やらやっぱり、憎めない。
食べる物がヴォルフ自身のことだとは微塵も思えない表情だ。
青年に手を引かれるまま、ヴォルフはとうとう森の中へと歩き出した。
片手に宇宙服一式は持っている。救難信号は発し続けているし、母船の連中だって自分のいる場所はすぐに特定できるはず。そう思ったからでもあった。
二人でゆっくりめに五分ほど歩いたところで、少しばかり森が切れた。
そこは、十ヤルド四方ばかり開けた場所になっていた。その端に、涼しげな木陰がちょうどいい感じに地面に落ちている場所がある。そこに、ごく簡易のテーブルと椅子が置かれていた。
テーブルは一応四角いが、椅子は短い丸太をそのままぽんと置いただけのものだ。全部で四脚。ということは、この惑星にはこの青年以外の生き物もいるのだろうか。
青年はヴォルフに椅子を勧めると、「ちょっと待ってて」という意味らしき仕草をして森へ戻り、すぐに帰って来た。手には山盛りの果物らしいものを持っている。
ココナツや大きめの瓜などといった南国の果物が中心だが、明るい黄色の柑橘系のものもあった。
ヴォルフはややくすぐったい気持ちになって苦笑した。
「これを、俺に? いいのかこんなに」
うんうんうん、とまた青年がうなずいて、持ってきた果物の半分以上をこちらに押しやる。毒見でもして見せるつもりなのか、青年はすぐにグローブを外して自分が先に食べ始めた。
周囲にうわっと甘い香りが漂い始める。
青年はさも美味そうに、つぎつぎに果物を平らげていく。
(基本、ベジタリアンってことなのか? もしかしてそのアピールか)
つまり、「あんたを取って食ったりしないよ」という。
そんな愚にもつかないことを考えつつ、ヴォルフも柑橘のひとつに手を伸ばした。皮を剥き、恐る恐る口に運ぶ。
美味い。
汁気が多く、香気が豊かで甘みが強い。
乾ききっていた心と体が洗われるようだ。当たり前といえば当たり前だが、基本、無味乾燥でいつも同じメニューをローテションする宇宙船の食物とは雲泥の差だ。
気が付けば、ヴォルフは夢中で他の果物にも手をのばしていた。
青年がにこにこと、そんなヴォルフを眺めている。やたらと幸せそうだ。
「……あ。そうだ。あんた、名は?」
腹の虫がやっと少し落ち着いて、ヴォルフは何の気なしにそう訊ねた。
青年が首をかしげる。
ヴォルフは「名前だよ。な、ま、え」と言いながら自分を指さして見せた。
「俺は、ヴォルフだ。ヴォル、フ」
一音ずつ区切って、何度か同じように言うと、青年はすぐ「ああ!」という顔になった。気のせいか、ぱっと頬に赤味がさす。
「……フラン。フ、ラン」
しっかりと、ヴォルフの言いようを真似している。
(フラン……?)
宇宙連合の共通語とは少しちがう。ちがうが、ヴォルフにはその名に聞き覚えがあった。確か「紅」や「赤」を意味する言葉にそういうのがあったはずだ。
青年のワインレッドに近いロングコートをちょっと見やって、ヴォルフはにやりと口の端を歪めて見せた。
「そか。フランね」
「ん」
こくんと頷かれる。また嬉しそうな微笑みが飛んでくる。
「……ヴォル……フ」
青年は何度かそれを発音して、すぐにうまくなったようだった。
ヴォルフはまた他の果物を手に取りながら、どうということもなく訊ねた。
「で? ほかには誰か居ないのか、この惑星。あんたのほかに」
もちろん最初は不思議そうな顔をされただけだった。だが、あれこれと身振り手振りで伝えてみると、青年は次第に何を聞かれているかを理解したようだった。
が、見る間にその表情が暗くなっていくのが分かって、ヴォルフは慌てた。
「あ、悪い」
もしも一人で暮らしてきたのなら、その孤独は計り知れない。この青年が自分に出会ってこれだけ嬉しそうな理由も、もしかしたらそれかも知れなかった。
「いや、別に一人でもいいんだが」
「…………」
青年は少しうつむいて、しかし、ふるふると首を横に振った。どうやらこのジェスチャーについてはこちらの文化と違わないらしい。縦が「イエス」で、横が「ノー」。
青年は何かを考える様子だったが、やがて目の前にあった同じ種類の柑橘類を二つ、手に取った。それをヴォルフの前に置き、まずはゆっくりと片方を指さす。
その指がそのまま持ち上がって、青年の胸のあたりで止まった。
次に、もう一つの方を指さし、今度はすうっと森の奥に向けられる。
(ん……?)
その意味は、明らかだった。
「ええっと……もう一人、居るってことか?」
青年が、潤んだように悲しげな目をして、ひとつこくりと頷いた。
いつものTシャツとカーゴパンツ姿になったヴォルフを、そばにいる青年は相変わらず物珍しげな目でじっと観察する風だった。
(それにしても。返信が遅え)
そう思って手首の通信機器の履歴を確認するが、救難信号を出し続けているにも関わらず、母船からはウンともスンとも言ってきた様子がなかった。
奇妙だ。
この惑星は、やっぱり何かが奇妙なのだった。
と、くいくいとTシャツの袖を引かれて、ヴォルフは目を上げた。金髪の青年がさも「あっちへ行こうよ」と言わんばかりに向こうを指さし、そちらとヴォルフとを見比べるようにしている。
「ん? なんだよ。どっか行くのか」
こくこくこく、と頷かれる。またにっこりと笑いかけられる。
その顔がまた、蕩けるように可愛らしい。
かつて「地球」にあったとある宗教の、「天使」などと呼ばれていた架空の生命体。その宗教画にでてくるような、そんな穢れのない笑みなのだ。
いい大人の男に見えるのに、仕草といい表情といい、むやみやたらと可愛く見えるのはなぜなのか。
「ん~。どうすっかな」
何度も言うが、遭難時にはなるべくその場を動かないのが鉄則だ。
最初に目を覚ました位置からさほど動いてはいないつもりだが、ここからさらに動くとなると話は別に思えた。
それに、自分はまだこの青年を信用したわけではない。
このままのほほんとついていって、待ち構えていた「真打ち」に頭からケチャップでも掛けられてガリガリ食われるなどは御免だった。
と、青年が不思議な仕草をした。
くるくると腹の前あたりを手のひらでこするようにして、きゅうっとつらそうな表情を作って見せたのだ。
途端にそこから、くう、とささやかな音がした。
「……っぶは!」
思わず吹き出す。
「なんだ、あんた。腹へってんのか?」
こくこくこく。にこにこにこ。
それから今度は、何かをぱくぱく食べるジェスチャーが続いた。
何やらやっぱり、憎めない。
食べる物がヴォルフ自身のことだとは微塵も思えない表情だ。
青年に手を引かれるまま、ヴォルフはとうとう森の中へと歩き出した。
片手に宇宙服一式は持っている。救難信号は発し続けているし、母船の連中だって自分のいる場所はすぐに特定できるはず。そう思ったからでもあった。
二人でゆっくりめに五分ほど歩いたところで、少しばかり森が切れた。
そこは、十ヤルド四方ばかり開けた場所になっていた。その端に、涼しげな木陰がちょうどいい感じに地面に落ちている場所がある。そこに、ごく簡易のテーブルと椅子が置かれていた。
テーブルは一応四角いが、椅子は短い丸太をそのままぽんと置いただけのものだ。全部で四脚。ということは、この惑星にはこの青年以外の生き物もいるのだろうか。
青年はヴォルフに椅子を勧めると、「ちょっと待ってて」という意味らしき仕草をして森へ戻り、すぐに帰って来た。手には山盛りの果物らしいものを持っている。
ココナツや大きめの瓜などといった南国の果物が中心だが、明るい黄色の柑橘系のものもあった。
ヴォルフはややくすぐったい気持ちになって苦笑した。
「これを、俺に? いいのかこんなに」
うんうんうん、とまた青年がうなずいて、持ってきた果物の半分以上をこちらに押しやる。毒見でもして見せるつもりなのか、青年はすぐにグローブを外して自分が先に食べ始めた。
周囲にうわっと甘い香りが漂い始める。
青年はさも美味そうに、つぎつぎに果物を平らげていく。
(基本、ベジタリアンってことなのか? もしかしてそのアピールか)
つまり、「あんたを取って食ったりしないよ」という。
そんな愚にもつかないことを考えつつ、ヴォルフも柑橘のひとつに手を伸ばした。皮を剥き、恐る恐る口に運ぶ。
美味い。
汁気が多く、香気が豊かで甘みが強い。
乾ききっていた心と体が洗われるようだ。当たり前といえば当たり前だが、基本、無味乾燥でいつも同じメニューをローテションする宇宙船の食物とは雲泥の差だ。
気が付けば、ヴォルフは夢中で他の果物にも手をのばしていた。
青年がにこにこと、そんなヴォルフを眺めている。やたらと幸せそうだ。
「……あ。そうだ。あんた、名は?」
腹の虫がやっと少し落ち着いて、ヴォルフは何の気なしにそう訊ねた。
青年が首をかしげる。
ヴォルフは「名前だよ。な、ま、え」と言いながら自分を指さして見せた。
「俺は、ヴォルフだ。ヴォル、フ」
一音ずつ区切って、何度か同じように言うと、青年はすぐ「ああ!」という顔になった。気のせいか、ぱっと頬に赤味がさす。
「……フラン。フ、ラン」
しっかりと、ヴォルフの言いようを真似している。
(フラン……?)
宇宙連合の共通語とは少しちがう。ちがうが、ヴォルフにはその名に聞き覚えがあった。確か「紅」や「赤」を意味する言葉にそういうのがあったはずだ。
青年のワインレッドに近いロングコートをちょっと見やって、ヴォルフはにやりと口の端を歪めて見せた。
「そか。フランね」
「ん」
こくんと頷かれる。また嬉しそうな微笑みが飛んでくる。
「……ヴォル……フ」
青年は何度かそれを発音して、すぐにうまくなったようだった。
ヴォルフはまた他の果物を手に取りながら、どうということもなく訊ねた。
「で? ほかには誰か居ないのか、この惑星。あんたのほかに」
もちろん最初は不思議そうな顔をされただけだった。だが、あれこれと身振り手振りで伝えてみると、青年は次第に何を聞かれているかを理解したようだった。
が、見る間にその表情が暗くなっていくのが分かって、ヴォルフは慌てた。
「あ、悪い」
もしも一人で暮らしてきたのなら、その孤独は計り知れない。この青年が自分に出会ってこれだけ嬉しそうな理由も、もしかしたらそれかも知れなかった。
「いや、別に一人でもいいんだが」
「…………」
青年は少しうつむいて、しかし、ふるふると首を横に振った。どうやらこのジェスチャーについてはこちらの文化と違わないらしい。縦が「イエス」で、横が「ノー」。
青年は何かを考える様子だったが、やがて目の前にあった同じ種類の柑橘類を二つ、手に取った。それをヴォルフの前に置き、まずはゆっくりと片方を指さす。
その指がそのまま持ち上がって、青年の胸のあたりで止まった。
次に、もう一つの方を指さし、今度はすうっと森の奥に向けられる。
(ん……?)
その意味は、明らかだった。
「ええっと……もう一人、居るってことか?」
青年が、潤んだように悲しげな目をして、ひとつこくりと頷いた。
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