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第二十四椀
ぷわぷわの「ホットケーキ」。子どもの頃の夢でした
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とっても久しぶりに、亡くなった母の夢をみた。
ぼくは小さい子どもの姿で、まだ昼過ぎなのに珍しく母が家にいる。
ホットケーキつくってあげようか、とこれまた珍しいことを言ってくれたのが嬉しくて、子どものぼくはわくわくと待っている。
台所にはいっしょうけんめいに粉を練っている母の後ろ姿が見える。
やがてバターが甘く焦げるしっとりした香りに誘われて、飼い猫のコロが母の足元にすり寄っていく。
できたよ、と、白くてまるいお皿にのせてくれたホットケーキは、ぼくが絵本でみたものとはちょっと違う。
裏表がきつね色で、ぷっくりとふくれたカステラのようなものを思い描いていたのだけれど、それは厚焼きのクレープみたいだった。
ぺちゃんこだねえ?
と、子供のぼくは正直な感想を口にした。
ぺちゃんこだねえ。
と、まだ若い母が困ったような顔をした。
もう一度お皿に目を落とすと、そこには粉だらけの母の手がそっと添えられていた。
ぱちっと目が覚めたとき、とっさに思ったのは母のホットケーキを食べそびれた、ということだった。
我ながら食い意地がはってみっともないと思うのだけど、さっきの夢は子どもの頃の記憶そのものだ。
ただし、その後母がホットケーキを焼いてくれたことがあったのかどうか、そして肝心の味がどうだったのかとんと覚えていない。
子どものぼくが悪気なく「ぺちゃんこだねえ?」と言ったのを気に病んで、以後は作ってくれなくなったのかもしれない。
亡くなった人の夢を見ると、決まって目覚めた後もしばらく現実との境目があやふやになって、ボンヤリしてしまう。
ほんの一瞬前にぼくが過ごした世界では、ぺちゃんこのホットケーキの向こうで母がまだ困った顔をしているはずだ。
ことこと、と台所から音がしてようやく頭がはっきりしてくる。
先に起きた伊緒さんが朝ごはんのしたくをしてくれているのだろう。
なんとなく感傷的になっていて、おはようの挨拶もそこそこに、
「ホットケーキって、つくるの難しいですか?」
と、唐突に質問してしまった。
困らせたかなと思う間もなく、
「難しくないよ!材料あるから、つくってあげようか?」
と、ニコニコしながら言ってくれた。
かくしてぼくは夢の通りに、わくわくしながら伊緒さんのホットケーキを待ちわびる身になった。
バターが甘く焦げる、しっとりとした香りもさっきの夢の通りで、なんだか幻とうつつの境界にいるような、ふわふわとした不思議な感覚だ。
ホットケーキという食べ物を知ったのは子どもの頃、『ぐりとぐら』とか『しろくまちゃんのほっとけーき』なんかの絵本を通じてだと思う。
ぐりぐらでは確か、ホットケーキではなくてカステラになっていた記憶があるけれど、子どものぼくは同じものだと認識していた。
ふわふわでやわらかくて、何枚も何枚も重ねられた、夢のようなお菓子だと思っていたのだ。
「できたよ!」
という伊緒さんの声で、現実に戻ってきた。
ことん、と食卓に置かれたお皿には、ぷわぷわに膨らんだまるいホットケーキが3枚重ねになっていた。
「・・・ああ・・・!」
ぼくは声にならない声をあげた。
ドヤァ!と伊緒さんが笑いかける。
「ちっちゃい頃に絵本でみた通りです」
「わたしもこういうの食べたかったの」
ぺろっ、と舌を出して、伊緒さんも自分のお皿を用意する。
「ハチミツとメープルシロップ、好きなのかけて。バターもあるからね」
伊緒さんはメープル、ぼくはハチミツを選んだ。
バターがホットケーキの熱でとろんと溶けてきて、それとハチミツを絡めるようにしてケーキを切り取る。
それらを一緒にほおばると、甘くてコクがあってぷわぷわで、子どもの頃に想像しては憧れた味そのものだ。
ぼくはぽつぽつと、母とホットケーキの思い出を伊緒さんに話した。
絵本でみたようなものにはきっと特別な何かが入っていて、家庭では決して同じようにできないのだと信じていたのだ。
でも、伊緒さんのホットケーキは見事なまでにぷっくりと膨らんでいる。
母が作ってくれたものとは、どう違ったのだろう。
「きっと晃くんのお母さんは、いっしょうけんめいに粉を練ったんじゃないかしら」
ちょっとまぶしそうな眼で、伊緒さんがつぶやいた。
そうだ、記憶の中の母は確かにいっしょうけんめいに粉を練っていた。
「ホットケーキをふわっと焼くには、粉はさっくりと混ぜるのがコツなの」
小麦粉を練りすぎるとグルテンが出てしまい、ぷっくりとふくらまなくなるのだという。
ざくっ、ざくっ、と大雑把に感じられるくらいの加減で混ぜるのが丁度いい。
でも若かった母はそれを知らず、ぼくにおいしいホットケーキを食べさせたい一心でけんめいにけんめいに、粉を練っていたのだ。
もう一口伊緒さんのホットケーキを頬張ったとき、ふいに鮮明な記憶がよみがえった。
厚焼きクレープのような母のホットケーキは、それでももっちりと甘くて、すごくおいしかったのだ。
おいしい、というぼくの声に、母は嬉しそうに笑っていた。
ふと見ると、伊緒さんの手もあの日の母と同じように、粉だらけになっている。
甘いホットケーキが口の中を満たして胸がいっぱいになり、ぼくはぽろぽろと涙をこぼした。
伊緒さんが粉だらけの手で、やさしくぼくの背中を撫でてくれる。
「何枚でも、焼いてあげるから」
そんな彼女の言葉にぼくはこくんこくんと頷いて、さらに一口ホットケーキをほおばった。
ぼくは小さい子どもの姿で、まだ昼過ぎなのに珍しく母が家にいる。
ホットケーキつくってあげようか、とこれまた珍しいことを言ってくれたのが嬉しくて、子どものぼくはわくわくと待っている。
台所にはいっしょうけんめいに粉を練っている母の後ろ姿が見える。
やがてバターが甘く焦げるしっとりした香りに誘われて、飼い猫のコロが母の足元にすり寄っていく。
できたよ、と、白くてまるいお皿にのせてくれたホットケーキは、ぼくが絵本でみたものとはちょっと違う。
裏表がきつね色で、ぷっくりとふくれたカステラのようなものを思い描いていたのだけれど、それは厚焼きのクレープみたいだった。
ぺちゃんこだねえ?
と、子供のぼくは正直な感想を口にした。
ぺちゃんこだねえ。
と、まだ若い母が困ったような顔をした。
もう一度お皿に目を落とすと、そこには粉だらけの母の手がそっと添えられていた。
ぱちっと目が覚めたとき、とっさに思ったのは母のホットケーキを食べそびれた、ということだった。
我ながら食い意地がはってみっともないと思うのだけど、さっきの夢は子どもの頃の記憶そのものだ。
ただし、その後母がホットケーキを焼いてくれたことがあったのかどうか、そして肝心の味がどうだったのかとんと覚えていない。
子どものぼくが悪気なく「ぺちゃんこだねえ?」と言ったのを気に病んで、以後は作ってくれなくなったのかもしれない。
亡くなった人の夢を見ると、決まって目覚めた後もしばらく現実との境目があやふやになって、ボンヤリしてしまう。
ほんの一瞬前にぼくが過ごした世界では、ぺちゃんこのホットケーキの向こうで母がまだ困った顔をしているはずだ。
ことこと、と台所から音がしてようやく頭がはっきりしてくる。
先に起きた伊緒さんが朝ごはんのしたくをしてくれているのだろう。
なんとなく感傷的になっていて、おはようの挨拶もそこそこに、
「ホットケーキって、つくるの難しいですか?」
と、唐突に質問してしまった。
困らせたかなと思う間もなく、
「難しくないよ!材料あるから、つくってあげようか?」
と、ニコニコしながら言ってくれた。
かくしてぼくは夢の通りに、わくわくしながら伊緒さんのホットケーキを待ちわびる身になった。
バターが甘く焦げる、しっとりとした香りもさっきの夢の通りで、なんだか幻とうつつの境界にいるような、ふわふわとした不思議な感覚だ。
ホットケーキという食べ物を知ったのは子どもの頃、『ぐりとぐら』とか『しろくまちゃんのほっとけーき』なんかの絵本を通じてだと思う。
ぐりぐらでは確か、ホットケーキではなくてカステラになっていた記憶があるけれど、子どものぼくは同じものだと認識していた。
ふわふわでやわらかくて、何枚も何枚も重ねられた、夢のようなお菓子だと思っていたのだ。
「できたよ!」
という伊緒さんの声で、現実に戻ってきた。
ことん、と食卓に置かれたお皿には、ぷわぷわに膨らんだまるいホットケーキが3枚重ねになっていた。
「・・・ああ・・・!」
ぼくは声にならない声をあげた。
ドヤァ!と伊緒さんが笑いかける。
「ちっちゃい頃に絵本でみた通りです」
「わたしもこういうの食べたかったの」
ぺろっ、と舌を出して、伊緒さんも自分のお皿を用意する。
「ハチミツとメープルシロップ、好きなのかけて。バターもあるからね」
伊緒さんはメープル、ぼくはハチミツを選んだ。
バターがホットケーキの熱でとろんと溶けてきて、それとハチミツを絡めるようにしてケーキを切り取る。
それらを一緒にほおばると、甘くてコクがあってぷわぷわで、子どもの頃に想像しては憧れた味そのものだ。
ぼくはぽつぽつと、母とホットケーキの思い出を伊緒さんに話した。
絵本でみたようなものにはきっと特別な何かが入っていて、家庭では決して同じようにできないのだと信じていたのだ。
でも、伊緒さんのホットケーキは見事なまでにぷっくりと膨らんでいる。
母が作ってくれたものとは、どう違ったのだろう。
「きっと晃くんのお母さんは、いっしょうけんめいに粉を練ったんじゃないかしら」
ちょっとまぶしそうな眼で、伊緒さんがつぶやいた。
そうだ、記憶の中の母は確かにいっしょうけんめいに粉を練っていた。
「ホットケーキをふわっと焼くには、粉はさっくりと混ぜるのがコツなの」
小麦粉を練りすぎるとグルテンが出てしまい、ぷっくりとふくらまなくなるのだという。
ざくっ、ざくっ、と大雑把に感じられるくらいの加減で混ぜるのが丁度いい。
でも若かった母はそれを知らず、ぼくにおいしいホットケーキを食べさせたい一心でけんめいにけんめいに、粉を練っていたのだ。
もう一口伊緒さんのホットケーキを頬張ったとき、ふいに鮮明な記憶がよみがえった。
厚焼きクレープのような母のホットケーキは、それでももっちりと甘くて、すごくおいしかったのだ。
おいしい、というぼくの声に、母は嬉しそうに笑っていた。
ふと見ると、伊緒さんの手もあの日の母と同じように、粉だらけになっている。
甘いホットケーキが口の中を満たして胸がいっぱいになり、ぼくはぽろぽろと涙をこぼした。
伊緒さんが粉だらけの手で、やさしくぼくの背中を撫でてくれる。
「何枚でも、焼いてあげるから」
そんな彼女の言葉にぼくはこくんこくんと頷いて、さらに一口ホットケーキをほおばった。
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