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第二十椀
伊緒さんの「ちゃんこ鍋」。相撲の歴史もお勉強します
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伊緒さんが珍しくヘッドフォンを着けて、パソコンの画面を食い入るように見ている。
どうしたんだろうと思ってじっと観察していると、彼女は小さなこぶしを握り締めてぷるぷる震わせながら、どうやら何かの勝負を観戦しているらしい。
一試合そのものはそんなに長くはないようだ。
なぜそんなことが分かるのかというと、伊緒さんがハッと息を呑んで口を真一文字に引き結び、「ップァァァ」と緊張を緩めるまでの時間が短いからだ。
見ていてまったく飽きがこない。
と、伊緒さんがヘッドフォンをはずし、ふぁさぁーっと長い黒髪がたゆたった。
「相撲・・・。それは日本最古の格闘技」
おお、前フリもなく始まったぞ。
お相撲を観戦していたのですね。音が漏れないように気を配りながら。
「そしてあらゆる武道の原点・・・!」
はるか歴史のかなたを見つめる遠い目の伊緒さんは、いつにも増して魅力的だ。
ぼくは胡坐から正座に切り替えて、お話を聞く姿勢をととのえた。
「『日本書紀』いわく垂仁天皇の御世のこと、大和の国に”当麻蹴速(たいまのけはや)”という、とっても強い人が住んでいました」
「はい」
「しかし蹴速は傲慢な性格をしており、それを懲らしめようと天皇は出雲の国から”野見宿禰(のみのすくね)”という人物を呼びよせ、二人を対決させます」
「ほう!それで?」
「試合はなんと、激しい蹴り技の応酬で始まったといいます。お互いに渾身の蹴りを放ち続けますが、やがて宿禰の攻撃が蹴速を捉え、倒れた蹴速は腰骨を踏み折られて勝負が決しました」
伊緒さんはまるで、いまその勝負を眼前にしたかのように沈痛な面持ちだ。
でもぼくにも何となく見える気がする。
古代の相撲はスポーツではなく、純然たる戦闘技術だったのだ。
「と、これが人間同士による伝説上のお相撲の起源とされているんですって。そういえば"相撲る(あいなぐる)って書くものね」
伊緒さんはライティングのお仕事で、相撲に関する記事作成を頼まれたんだそうだ。
相撲のことはよく知らなかったけど、「できます」と即答して受注したため、大急ぎで勉強を始めたところすっかりハマってしまったとのことだ。
「おかげさまでいい記事が書けそうだわ。じゃあ、ごはんの支度するからね!」
伊緒さんはそう言って、足取りも軽く台所へと向かっていった。
ぼくはなんにもしていないけど、とにかくよかったみたいで・・・よかったね。
「おまたせ! どじゃーん!」
やっぱり、というかこのための前フリも兼ねていたのか、伊緒さんが食卓に据えてくれたほこほこのお鍋は「ちゃんこ鍋」だった。
お相撲さんの食事と言えば、なにはともあれこれをイメージするのだけど、彼らが部屋で一門みんなと口にするものはおしなべて”ちゃんこ”と呼ぶのだそうだ。
カレーを食べてもちゃんこ。ピザを食べてもちゃんこ。ビーフストロガノフもカオマンガイもカンシャオシャーレンもみんなみーんな”ちゃんこ”になる。
武道における師弟関係は親子のそれと同等であり、相撲ではそれが特に顕著だ。
だから、「ちゃん(親方・父ちゃん)」と「子(弟子)」が一緒に食卓を囲むからこそ”ちゃんこ”だという説もある。
おお、なんだかいい話だ。
ぼくにはツボだ。
「さあ、熱いうちにいただきましょう」
いつものようにそう言って、いつものように合掌して二人同時にいただきます、と唱える。
でもその後伊緒さんがシュッ、シュッ、シュッ、と手刀を切ったのですかさずぼくも真似をする。
「ちゃんこ鍋って相撲部屋ごとにそれぞれ違うみたいなんだけど、わたしのなかのイメージはこれ。具は豚バラ、鶏つくね、油揚げ、焼き豆腐、くずきり、おネギ、キャベツ等々。スープは鶏がらと昆布と煮干の醤油ベースで、濃い目にしてあるの」
伊緒さんのすすめにしたがって、まずはスープを一口いただいた。
お肉・魚・野菜のエキスが渾然一体となり、そこに脂のコクも加わった濃厚な味わいだ。
それになんだか……奥行きのある複雑な味もする。
「隠し味にナンプラーをちょっと入れたの」
タイ王国の魚醤であるナンプラーは、日本でいえば東北のしょっつるなようなものだ。
魚の旨味が濃縮されたナンプラーが、出汁に深みを与えてくれたんだ。
少しクセがあるはずだけど、分量と味付けが巧みで嫌なにおいは全然感じない。
では具を、と最初に箸をのばしたのはやっぱりつくねだ。
ぼくもちゃんこ鍋といえば、大ぶりな鶏つくねがメインというイメージをもっている。
箸でふたつに割ると、じゅわっと肉汁と脂があふれ出てきた。
はふはふと口に含むと、ほろりほろりとほどけていきながら食感の異なる素材の旨みが一気に広がっていく。
鶏挽き肉のコクに加えて、ほのかにショウガとニンニクの香り。そしてシャキシャキとした歯ざわりの何かが混ぜ込まれている。
さらにはつくね全体を包んでいる「ふわっ、とろっ」とした食感がものすごくいい。
それを伊緒さんに伝えると、
「ふふ。何が入ってるかわかる?」
と、謎かけされてしまった。
もう一度よくつくねの断面をみてみると、みじん切りにされた薄灰色の野菜に気が付いた。
「あ、レンコン!」
「はい!ご名答」
歯切れのよい食感はレンコン独特のものだったのだ。
しかも、レンコンをすり下ろしてつなぎとしてつくねに加えたのだという。
これで驚くほど生地がふんわり・とろりとするので、精進料理のウナギもどきなんかにも使うのだと、伊緒さんが教えてくれる。
なんて手の込んだ鶏つくね!
すごくおいしくて、どんどん箸が進んでしまう。
葉物がキャベツ、というのも面白い。
鍋物といえば白菜というのが定番だけど、出汁のしみたキャベツはさくさくとして、しかもお肉の脂をまとってボリューム満点だ。
とにかくすべての具が旨みを出して濃厚なスープが出来上がり、そのうえで再び具材がスープを吸って、何か別物のようなおいしさにレベルアップしている。
なかでも格別気に入ったのがくずきりだ。
それ自体にはあまり味を感じることはなく、これまでお鍋の脇役くらいにしか思っていなかったのに、この存在感たるやどうだ。
あらゆる食材の旨みが抽出されたエキスを吸い込んで、まるでスープそのものをとろとろ・ぷるぷるの太麺状にしたかのような味わいだ。
ぼくがあんまりおいしそうにくずきりを食べているのが珍しかったのだろうか、
「晃くん、くずきり好きだったのね。今度はもっと入れてあげるからね!」
と、伊緒さんが気遣ってくれる。
「最後に雑炊にしてもおいしいよ!」
おおっふ!それはさぞおいしいでしょう。
これは確実に食べすぎコースだ。シコでも踏むか。
ぼくは思わず、
「ごっつぁんです」
と挨拶してしまう。
すると伊緒さんもすかさず、
「ごっちゃんです」
と返してくれる。
あ、もしかして「つぁ」って言いにくいんですか、伊緒さん。
口には出さなかったが十分思いが伝わったのか、少しむっとした顔の伊緒さんから、かわいい張り手が飛んできた。
どうしたんだろうと思ってじっと観察していると、彼女は小さなこぶしを握り締めてぷるぷる震わせながら、どうやら何かの勝負を観戦しているらしい。
一試合そのものはそんなに長くはないようだ。
なぜそんなことが分かるのかというと、伊緒さんがハッと息を呑んで口を真一文字に引き結び、「ップァァァ」と緊張を緩めるまでの時間が短いからだ。
見ていてまったく飽きがこない。
と、伊緒さんがヘッドフォンをはずし、ふぁさぁーっと長い黒髪がたゆたった。
「相撲・・・。それは日本最古の格闘技」
おお、前フリもなく始まったぞ。
お相撲を観戦していたのですね。音が漏れないように気を配りながら。
「そしてあらゆる武道の原点・・・!」
はるか歴史のかなたを見つめる遠い目の伊緒さんは、いつにも増して魅力的だ。
ぼくは胡坐から正座に切り替えて、お話を聞く姿勢をととのえた。
「『日本書紀』いわく垂仁天皇の御世のこと、大和の国に”当麻蹴速(たいまのけはや)”という、とっても強い人が住んでいました」
「はい」
「しかし蹴速は傲慢な性格をしており、それを懲らしめようと天皇は出雲の国から”野見宿禰(のみのすくね)”という人物を呼びよせ、二人を対決させます」
「ほう!それで?」
「試合はなんと、激しい蹴り技の応酬で始まったといいます。お互いに渾身の蹴りを放ち続けますが、やがて宿禰の攻撃が蹴速を捉え、倒れた蹴速は腰骨を踏み折られて勝負が決しました」
伊緒さんはまるで、いまその勝負を眼前にしたかのように沈痛な面持ちだ。
でもぼくにも何となく見える気がする。
古代の相撲はスポーツではなく、純然たる戦闘技術だったのだ。
「と、これが人間同士による伝説上のお相撲の起源とされているんですって。そういえば"相撲る(あいなぐる)って書くものね」
伊緒さんはライティングのお仕事で、相撲に関する記事作成を頼まれたんだそうだ。
相撲のことはよく知らなかったけど、「できます」と即答して受注したため、大急ぎで勉強を始めたところすっかりハマってしまったとのことだ。
「おかげさまでいい記事が書けそうだわ。じゃあ、ごはんの支度するからね!」
伊緒さんはそう言って、足取りも軽く台所へと向かっていった。
ぼくはなんにもしていないけど、とにかくよかったみたいで・・・よかったね。
「おまたせ! どじゃーん!」
やっぱり、というかこのための前フリも兼ねていたのか、伊緒さんが食卓に据えてくれたほこほこのお鍋は「ちゃんこ鍋」だった。
お相撲さんの食事と言えば、なにはともあれこれをイメージするのだけど、彼らが部屋で一門みんなと口にするものはおしなべて”ちゃんこ”と呼ぶのだそうだ。
カレーを食べてもちゃんこ。ピザを食べてもちゃんこ。ビーフストロガノフもカオマンガイもカンシャオシャーレンもみんなみーんな”ちゃんこ”になる。
武道における師弟関係は親子のそれと同等であり、相撲ではそれが特に顕著だ。
だから、「ちゃん(親方・父ちゃん)」と「子(弟子)」が一緒に食卓を囲むからこそ”ちゃんこ”だという説もある。
おお、なんだかいい話だ。
ぼくにはツボだ。
「さあ、熱いうちにいただきましょう」
いつものようにそう言って、いつものように合掌して二人同時にいただきます、と唱える。
でもその後伊緒さんがシュッ、シュッ、シュッ、と手刀を切ったのですかさずぼくも真似をする。
「ちゃんこ鍋って相撲部屋ごとにそれぞれ違うみたいなんだけど、わたしのなかのイメージはこれ。具は豚バラ、鶏つくね、油揚げ、焼き豆腐、くずきり、おネギ、キャベツ等々。スープは鶏がらと昆布と煮干の醤油ベースで、濃い目にしてあるの」
伊緒さんのすすめにしたがって、まずはスープを一口いただいた。
お肉・魚・野菜のエキスが渾然一体となり、そこに脂のコクも加わった濃厚な味わいだ。
それになんだか……奥行きのある複雑な味もする。
「隠し味にナンプラーをちょっと入れたの」
タイ王国の魚醤であるナンプラーは、日本でいえば東北のしょっつるなようなものだ。
魚の旨味が濃縮されたナンプラーが、出汁に深みを与えてくれたんだ。
少しクセがあるはずだけど、分量と味付けが巧みで嫌なにおいは全然感じない。
では具を、と最初に箸をのばしたのはやっぱりつくねだ。
ぼくもちゃんこ鍋といえば、大ぶりな鶏つくねがメインというイメージをもっている。
箸でふたつに割ると、じゅわっと肉汁と脂があふれ出てきた。
はふはふと口に含むと、ほろりほろりとほどけていきながら食感の異なる素材の旨みが一気に広がっていく。
鶏挽き肉のコクに加えて、ほのかにショウガとニンニクの香り。そしてシャキシャキとした歯ざわりの何かが混ぜ込まれている。
さらにはつくね全体を包んでいる「ふわっ、とろっ」とした食感がものすごくいい。
それを伊緒さんに伝えると、
「ふふ。何が入ってるかわかる?」
と、謎かけされてしまった。
もう一度よくつくねの断面をみてみると、みじん切りにされた薄灰色の野菜に気が付いた。
「あ、レンコン!」
「はい!ご名答」
歯切れのよい食感はレンコン独特のものだったのだ。
しかも、レンコンをすり下ろしてつなぎとしてつくねに加えたのだという。
これで驚くほど生地がふんわり・とろりとするので、精進料理のウナギもどきなんかにも使うのだと、伊緒さんが教えてくれる。
なんて手の込んだ鶏つくね!
すごくおいしくて、どんどん箸が進んでしまう。
葉物がキャベツ、というのも面白い。
鍋物といえば白菜というのが定番だけど、出汁のしみたキャベツはさくさくとして、しかもお肉の脂をまとってボリューム満点だ。
とにかくすべての具が旨みを出して濃厚なスープが出来上がり、そのうえで再び具材がスープを吸って、何か別物のようなおいしさにレベルアップしている。
なかでも格別気に入ったのがくずきりだ。
それ自体にはあまり味を感じることはなく、これまでお鍋の脇役くらいにしか思っていなかったのに、この存在感たるやどうだ。
あらゆる食材の旨みが抽出されたエキスを吸い込んで、まるでスープそのものをとろとろ・ぷるぷるの太麺状にしたかのような味わいだ。
ぼくがあんまりおいしそうにくずきりを食べているのが珍しかったのだろうか、
「晃くん、くずきり好きだったのね。今度はもっと入れてあげるからね!」
と、伊緒さんが気遣ってくれる。
「最後に雑炊にしてもおいしいよ!」
おおっふ!それはさぞおいしいでしょう。
これは確実に食べすぎコースだ。シコでも踏むか。
ぼくは思わず、
「ごっつぁんです」
と挨拶してしまう。
すると伊緒さんもすかさず、
「ごっちゃんです」
と返してくれる。
あ、もしかして「つぁ」って言いにくいんですか、伊緒さん。
口には出さなかったが十分思いが伝わったのか、少しむっとした顔の伊緒さんから、かわいい張り手が飛んできた。
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知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。
〈あらすじ〉
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