伊緒さんのお嫁ご飯

三條すずしろ

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第九椀

直球の「肉じゃが」。男はなぜこうも、この料理に弱いのか

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男はなぜ、「肉じゃが」に弱いのか?
天保年間に始まったという「彼女に作ってほしい手料理ランキング」では、爾来150年の長きにわたって不動の王座に君臨し続けている暴君だ。
そのあまりのベタぶりに、世の女性はうっかり「得意料理は肉じゃがです」などと口にするのもはばかるという。
肉じゃがそのものは決して難しい料理ではない。
基本組成はカレーとほぼ同じであり、カレールーがないことに気づけば最初からこうするつもりだったんだもんね、と言いながら肉じゃがとして供することができる。
それがなぜ、かくも胸ときめかせ、世の男の夢をかきたてるのか。
もうひとつの疑問としては、大人気なわりには肉じゃがを実際に食べる頻度というのは、そんなに多くはないのではないかということだ。
胸に手を当ててようく思い出してみてほしい。
あなたはこの直近3ヶ月間で、どれだけ肉じゃがを食べましたか?
どうですか? 10回くらいですか?
10回だとしても、10日に一度くらいが関の山ですよ?
ほんとはもっと少ないでしょう?
と、いうわけで、肉じゃがは人気と実食頻度が比例しないという不思議な料理だということが言える。
つまり、男が肉じゃがに何を求めているかというと、それは「概念上のお嫁ご飯」という夢そのものなのだと思う。
冒頭のよく分からないランキングでは、彼女に作ってほしい~とあるが、実際には「お嫁さんになってほしい人に作ってほしい」というのが正解であろう。
そこには温かな家庭のイメージと、素朴であるがゆえに飽きのこない、一生添い遂げるべき味への希求があるのだ。

なんだか熱く語ってしまったが、一口に肉じゃがといってもそのスタイルには大きく分けて関東風と関西風の二大派閥があるようだ。
僕は結婚してからようやくそれに気がついた。
ものすごくざっくりいうと、伊緒さんは北の方で育って、僕は西の方で育った。
したがって、お互いのイメージする肉じゃがはそれぞれ関東風と関西風ということになる。
まず、味付けの濃さが違うのは大前提だが、使う肉の種類が違う。
概ね関東以北では豚肉が多く、関西では圧倒的に牛肉が多いようだ。
東西における食肉文化の違いについては、紙面がいくらあっても足りないので割愛するが、初めて伊緒さんが作ってくれた肉じゃがを食べたとき、
「うわっ! 豚肉うめえ!」
と思ったのは間違いない。
さらに言えばカレーの肉も同様で、関西ではとにかく「肉」といえば断りがないかぎり牛肉を指すと考えていい。
あとは細かい具の違いなどは各家庭の裁量によるところも大きいだろうから言及しないが、伊緒さんは僕の舌に合わせてちょっぴり薄味にしてくれるようになった。
そして上に絹さやをあしらい、必ず「くずきり」を入れてくれるのだ。
地域や家庭によっては白滝や結びこんにゃくということもあるらしいが、僕は伊緒さんの肉じゃがに魅了されてしまった。
まず、目にも鮮やかな絹さやの緑が若やいだ風情を醸し出し、ツユを吸い込んだくずきりがぷるん、と愛嬌をふりまいてくれる。
また、牛肉ほど押し出しは強くないが、とろんとした豚の脂身がほくほくのじゃがいもと絡まって、コクのある旨みを生み出している。
ちょっぴり薄味、とはいえご飯のおかずにちょうどいい味付けが食欲をそそり、ついついお代わりをしてしまうのだ。
「伊緒さん、おいしいです」
「そう。よかった」
伊緒さんがにこにこしながら、ご飯のお代わりをよそってくれる。
ああ、そうだ。
男はまさにこういうシチュエーションを、肉じゃがの湯気の向こうに求めているに違いない。
正直なところ、僕は根深い「肉じゃが至上主義」には強硬に反発してきたつもりだった。
だが、今なら分かる。肉じゃがにこめられた男のロマンが。
「肉じゃがって、東郷平八郎元帥がビーフシチューを真似て作らせようとしたのが起源だっていう説があってね」
おお、久しぶりに伊緒さん昔話しだ。
しかもこれは彼女が大好きな分野の話題ではないか。
多分、舞鶴と呉がどちらが元祖かで両者一歩もひかず、それに横須賀あたりが乱入してきてもはや泥沼の起源論争をみんなでけしかけているのではなかったか。
違ったらごめんなさい。
ともあれ、伊緒さんの肉じゃがにはストレートに心を奪われてしまっている。
やはり最強の「お嫁ご飯」の筆頭格なのだ。肉じゃがは。





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