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第五十六椀
梅雨寒の「豚汁」。ひとりになる練習って、何のことだろう
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――汝、公明の剣を帯びる者よ。
――誓え、神々への奉仕を。
――誓え、主への忠誠を。
――誓え、民への献身を。
――その身朽ち果てるまで、
――信義の楯とならんことを。
ひざまずいたぼくの肩口に、細く鋭い銀色の神具がかざされ、祝福の言葉が唱えられた。
「はい、マスター」
ぼくは力強くそう応え、銀色の神具に口づけをする。
騎士叙任の儀。
これを通過してこそ、ようやく一人前の男と認められるのだ。
本式には主君となる人物や領主、または司祭などが騎士の肩口に剣をかざすことが知られている。
英国女王が執り行っている映像や画像を見ることができ、騎士号を受けた人は"サー"と呼ばれるようになるのだ。
「なんとなく厳粛な気持ちになったけど、これでいいのかなあ」
ぼくの肩口にかざしていた細く鋭い銀色の神具を引き上げて、伊緒さんが緊張を解いた。
この神具は日本語では"おたま"ともいう。
剣など危ないに決まっているし、これからぼくが振るうべきは武器じゃなくて調理器具だから、間違いではないのだ。
どうして手の込んだ叙任ごっこをしているのかというと、ぼくは料理について伊緒さんに正式な弟子入りを志願したからだ。
弟子にしてもらうからにはつまり伊緒さんは師匠となるわけで、"マスター"と呼ばなくてはならない。
騎士叙任式=入門式ではないのだけれど、なにかの映画で似たようなシーンがあったので大いに参考にさせてもらった。
そういうのは割と大事だと思うので、とりあえず考えつく限り丁寧な方法で師弟の契りを結ぶことにしたのだった。
これまでスクランブルエッグとか手羽先チューリップとか、部分的に教えてもらうことはあったけどこれからは違う。
できうる限り、彼女から料理を習う。
それはこれから必要になる技術だという確信があるからなのだが、詳しいことは彼女にはひみつだ。
「はい!じゃあ今日は豚汁をつくりましょうね!」
「おお、この季節に豚汁というのも乙ですね」
「雨が続いて肌寒くなってるし、内側から身体をあっためましょう」
「はい、マスター」
「やっぱりそれはずかしい」
わー、きゃー、と騒ぎながら一緒に豚汁の支度を進めていく。
豚肉入り味噌汁、といってしまえばそうなのだけど、なんだかもう少し特別感のあるボリューム和食だとぼくは思う。
「具はなんでもOKよ。豚肉さん以外にはこれがなきゃつくれない、っていうものじゃないから、ありあわせのお野菜でだいじょうぶ」
そう言って伊緒さんが並べたのは、たしかにいつもあるようなありふれた食材だ。
じゃがいも・たまねぎ・にんじん……むむっ、これは!?
「そう。カレー・肉じゃがにも転用できる汎用具材よ」
ははあ、なるほど。同じ材料で全然違う料理をつくるというのも工夫と腕の見せどころだ。
さすがはマイ・マスター。
「さといもも入れるとおいしいけど、お料理本ではぬめりをとったり、皮を厚く剥いたりするように書いてあるものが多いわね。でもほんとはあのネバネバ成分に栄養があるから、どうしてもというときは衣かつぎにして、最後におつゆに浮かべてもいいかも」
そうか、そういうことにも気を遣うのか。
ぼくはネバネバでもテュルンテュルンでも一向に気にならないけど、すごく勉強になる。
「ほかには長ネギを大ぶりの小口切りに、熱湯で油抜きしたあぶらあげを短冊切りに。こんにゃくは手でちぎると味がよくしみるけど、ニオイが気になるなら一度軽く湯がいておくといいわ。あとは、もしあればれんこんも入れたいね。わたしこれだいすき」
れんこんは皮をピーラーで薄く剥き、乱切りにして水にさらしておく。
変色を防ぐためだけど、気にならないなら多少省いても大丈夫だそうだ。
もちろん、切り方もそれぞれのお好みでOKとのこと。
むう、シンプルな料理かと思っていたけど、こんなに繊細に下ごしらえをしているのか。
伊緒さんはお鍋にゴマ油を熱し、豚バラ肉の薄切りを炒め始めた。途端においしそうな香りが立ち込める。
「かわります。マスター」
「やっぱりそれはずかしい」
お肉にあらかた火が通ったら、硬い野菜から炒めていく。すぐに煮込むので、肉の脂をまとわせて表面が半透明になる程度でいい。
具材をすべて投入してざっと炒めたら、伊緒さんが常備している水出しのダシをたっぷりと張る。
人によってはダシを使わず、肉と野菜の旨味だけで十分とする場合もあるので、そこもお好みに合わせるといい。
くつくつと煮立ってきたら、もうすでに料理っぽさが漂い、すごくおいしそうだ。
「お肉と根菜がたくさん入っているから、けっこうアクが出るわ。必ずすくって」
出た、アク代官!
でも、この作業を丁寧にしておかないと、えぐみや雑味が舌に残っておいしくない。とても重要な手順だ。
「そしてちょっぴり隠し味」
そう言って伊緒さんが取り出したのはショウガとニンニクのおろしチューブだ。
ショウガは身体を温め、ニンニクはスープにコクを出す。それぞれちょびっとだけ入れるのがポイントだそうだ。
なるほど、メモメモ。
最後に、お味噌は単一でもいいけど、できれば色違いの合わせにすると味わいが増すという。
お肉の脂に負けないよう、赤っぽい豆味噌系が少量あるとなおいいそうだ。
大ぶりのお椀に注いだ豚汁からはほわほわと湯気が立ち、表面に脂の玉が無数に浮いて、めちゃくちゃおいしそうだ。
冬のイメージが強かったけど、この梅雨寒の時期にもぴったりな料理だろう。
「素晴らしいです。マスター」
「もうそれやめようよ」
二人でお椀を抱えたまま、にんまり笑ってしまう。
「これで、一人でも作れそうです」
「……うん?」
思わずぽろりと出てしまった言葉に、伊緒さんはきょとんとしていた。
でも、ほどなくぼくの弟子入りの真価が問われる時がやってくるだろう。
ぼくはごまかすようにいそいそと手を合わせ、「いただきます」と力強く唱えた。
――誓え、神々への奉仕を。
――誓え、主への忠誠を。
――誓え、民への献身を。
――その身朽ち果てるまで、
――信義の楯とならんことを。
ひざまずいたぼくの肩口に、細く鋭い銀色の神具がかざされ、祝福の言葉が唱えられた。
「はい、マスター」
ぼくは力強くそう応え、銀色の神具に口づけをする。
騎士叙任の儀。
これを通過してこそ、ようやく一人前の男と認められるのだ。
本式には主君となる人物や領主、または司祭などが騎士の肩口に剣をかざすことが知られている。
英国女王が執り行っている映像や画像を見ることができ、騎士号を受けた人は"サー"と呼ばれるようになるのだ。
「なんとなく厳粛な気持ちになったけど、これでいいのかなあ」
ぼくの肩口にかざしていた細く鋭い銀色の神具を引き上げて、伊緒さんが緊張を解いた。
この神具は日本語では"おたま"ともいう。
剣など危ないに決まっているし、これからぼくが振るうべきは武器じゃなくて調理器具だから、間違いではないのだ。
どうして手の込んだ叙任ごっこをしているのかというと、ぼくは料理について伊緒さんに正式な弟子入りを志願したからだ。
弟子にしてもらうからにはつまり伊緒さんは師匠となるわけで、"マスター"と呼ばなくてはならない。
騎士叙任式=入門式ではないのだけれど、なにかの映画で似たようなシーンがあったので大いに参考にさせてもらった。
そういうのは割と大事だと思うので、とりあえず考えつく限り丁寧な方法で師弟の契りを結ぶことにしたのだった。
これまでスクランブルエッグとか手羽先チューリップとか、部分的に教えてもらうことはあったけどこれからは違う。
できうる限り、彼女から料理を習う。
それはこれから必要になる技術だという確信があるからなのだが、詳しいことは彼女にはひみつだ。
「はい!じゃあ今日は豚汁をつくりましょうね!」
「おお、この季節に豚汁というのも乙ですね」
「雨が続いて肌寒くなってるし、内側から身体をあっためましょう」
「はい、マスター」
「やっぱりそれはずかしい」
わー、きゃー、と騒ぎながら一緒に豚汁の支度を進めていく。
豚肉入り味噌汁、といってしまえばそうなのだけど、なんだかもう少し特別感のあるボリューム和食だとぼくは思う。
「具はなんでもOKよ。豚肉さん以外にはこれがなきゃつくれない、っていうものじゃないから、ありあわせのお野菜でだいじょうぶ」
そう言って伊緒さんが並べたのは、たしかにいつもあるようなありふれた食材だ。
じゃがいも・たまねぎ・にんじん……むむっ、これは!?
「そう。カレー・肉じゃがにも転用できる汎用具材よ」
ははあ、なるほど。同じ材料で全然違う料理をつくるというのも工夫と腕の見せどころだ。
さすがはマイ・マスター。
「さといもも入れるとおいしいけど、お料理本ではぬめりをとったり、皮を厚く剥いたりするように書いてあるものが多いわね。でもほんとはあのネバネバ成分に栄養があるから、どうしてもというときは衣かつぎにして、最後におつゆに浮かべてもいいかも」
そうか、そういうことにも気を遣うのか。
ぼくはネバネバでもテュルンテュルンでも一向に気にならないけど、すごく勉強になる。
「ほかには長ネギを大ぶりの小口切りに、熱湯で油抜きしたあぶらあげを短冊切りに。こんにゃくは手でちぎると味がよくしみるけど、ニオイが気になるなら一度軽く湯がいておくといいわ。あとは、もしあればれんこんも入れたいね。わたしこれだいすき」
れんこんは皮をピーラーで薄く剥き、乱切りにして水にさらしておく。
変色を防ぐためだけど、気にならないなら多少省いても大丈夫だそうだ。
もちろん、切り方もそれぞれのお好みでOKとのこと。
むう、シンプルな料理かと思っていたけど、こんなに繊細に下ごしらえをしているのか。
伊緒さんはお鍋にゴマ油を熱し、豚バラ肉の薄切りを炒め始めた。途端においしそうな香りが立ち込める。
「かわります。マスター」
「やっぱりそれはずかしい」
お肉にあらかた火が通ったら、硬い野菜から炒めていく。すぐに煮込むので、肉の脂をまとわせて表面が半透明になる程度でいい。
具材をすべて投入してざっと炒めたら、伊緒さんが常備している水出しのダシをたっぷりと張る。
人によってはダシを使わず、肉と野菜の旨味だけで十分とする場合もあるので、そこもお好みに合わせるといい。
くつくつと煮立ってきたら、もうすでに料理っぽさが漂い、すごくおいしそうだ。
「お肉と根菜がたくさん入っているから、けっこうアクが出るわ。必ずすくって」
出た、アク代官!
でも、この作業を丁寧にしておかないと、えぐみや雑味が舌に残っておいしくない。とても重要な手順だ。
「そしてちょっぴり隠し味」
そう言って伊緒さんが取り出したのはショウガとニンニクのおろしチューブだ。
ショウガは身体を温め、ニンニクはスープにコクを出す。それぞれちょびっとだけ入れるのがポイントだそうだ。
なるほど、メモメモ。
最後に、お味噌は単一でもいいけど、できれば色違いの合わせにすると味わいが増すという。
お肉の脂に負けないよう、赤っぽい豆味噌系が少量あるとなおいいそうだ。
大ぶりのお椀に注いだ豚汁からはほわほわと湯気が立ち、表面に脂の玉が無数に浮いて、めちゃくちゃおいしそうだ。
冬のイメージが強かったけど、この梅雨寒の時期にもぴったりな料理だろう。
「素晴らしいです。マスター」
「もうそれやめようよ」
二人でお椀を抱えたまま、にんまり笑ってしまう。
「これで、一人でも作れそうです」
「……うん?」
思わずぽろりと出てしまった言葉に、伊緒さんはきょとんとしていた。
でも、ほどなくぼくの弟子入りの真価が問われる時がやってくるだろう。
ぼくはごまかすようにいそいそと手を合わせ、「いただきます」と力強く唱えた。
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