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第五十五椀
2度づけ厳禁!「大阪名物・串カツ」。でも夫婦なら大丈夫です
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「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるけれど、まさかと思うような出会いを経験した。
それは仕事で大阪のある出版社を訪ねたときのこと。
ぼくの勤める会社では社史の制作サービスも行っており、創業者の方に取材をするためその会社を訪問したのだった。
大阪の都心部というのは、多くのイメージに反して実はすっきりと洗練された雰囲気をまとっている。
その昔「水都」と呼ばれた名残りで"~橋"という地名が多く、かつては縦横無尽に張り巡らされた水路をたくさんの舟が往き交っていたという。
しかし裏通りに一歩足を踏み入れると、そこには昭和の面影をそのまま残すような、懐かしい猥雑さをもった街がひしめいている。
目的の会社はそんな裏通りに居並ぶ古い雑居ビルの一角にあった。
思いのほか新しい小さな看板が三階のあたりにかけられていて、「(株)セピアレイン」の文字が見てとれる。
まるで探偵事務所みたいだと思いながら、少しワクワクしつつ急な階段をのぼっていく。
インターフォンはなかったので、時代を感じさせるドアを直接ノックして訪いを告げた。
「はいぃ~」
と、関西弁特有のアクセントでのんびりとした返事があり、がちゃこん、と扉が開かれた。
「やあ、ごくろうさんです。わざわざ来てもろうて、すみませんなぁ」
ぼくにとっては懐かしい訛りとともに出迎えてくれたのは、ロマンスグレーの豊かな髪が印象的な紳士だった。
眼鏡の奥で細めた目がとても柔和で、肌つやがよいので聞いていた年齢よりずっと若々しい。
初対面なのになぜか安心してしまうようなやさしい雰囲気から、「神父さん」という言葉が自然と頭に浮かぶ。
「はじめまして。秋山と申します。本日はよろしくお願いいたします、山梨社長」
そう挨拶して名刺を差し出した。
「や、本名の名刺きらしてしもうて。せやけどこっちの名前のが通りええかもしれません」
そう笑いながら、山梨社長も名刺を渡してくれる。
交換したそれぞれの名刺に目を落とした瞬間、
「……あっ!!」
二人同時に叫んで、お互いまじまじと顔を見合わせた。
「おうい、大将。来たったぞ」
「なんや、アレンさんかいな。まだノレン出してへんの見て分からんのけ」
「えらい言うてくれるやないか。今日はな、お客様連れてきたんや。キャビアとフォアグラ揚げたってくれ」
「ああ、それさっき売り切れたわ」
すぐ近くの串カツ屋さんで繰り広げられる漫才のようなやりとりを横目に、ぼくはおもしろいことになったぞ、とウキウキしていた。
山梨社長、と呼んだ人の名刺に記されていたのは、ペンネームだった。
その名は「瀬日阿蓮」。小説家だ。
ぼくが登録している小説投稿サイトでは誰でも作品を出すことができて、稀に本業の作家が投稿することもある。
阿蓮さんはそんな数少ないプロ作家の一人で、ぼくも何作か拝読してよくお名前を知っていたのだ。
驚いたのはぼくの作品も読んでくれていたことで、平凡な名前ながらペンネームを使っていなかったことから、名刺を交換したときにあっ、と思ったのだという。
「しかし、世の中おもろいことがあるもんやなあ」
阿蓮さんがぼくにビールを注いでくれながらしみじみと言う。
「ほんとにびっくりしました。でも、まさか出版社を経営しておられるとは」
ぼくも注ぎ返しながら正直な驚きを口にする。
「うん。むしろ会社が副業みたいな感じで、全然もうかってへんのやけど」
阿蓮さんの会社では、多くの有名無名の作家が集まって電子・紙・ポータルサイト等、さまざまなメディアを通じた作品の発表をサポートしているそうだ。
それは、小説家を志す者の後押しをしたいという、シンプルな願いから始まったことだという。
「社史ということでしたら、阿蓮さんが書かれたほうがいいものができるでしょうに」
なかば本気でぼくがそう言うと、
「いや、そらやっぱりプロの第三者にやってもろうたほうがええ。自分でつくったらええことしか書かへんやろうし、なんかサスペンス風になりそうやし」
と、笑った。阿蓮さんはミステリの名手としても知られているのだ。
「ほい。フォアグラ揚がったでえ」
大将が関西らしいノリで、カウンター越しに揚げたての串カツを渡してくれる。
こんな風にしていただくのは実に久しぶりだ。
「晃平。若いんやさかい、どんどん食べや。なんぼでも揚げてきよるからな」
阿蓮さんはいつの間にか親しげにぼくの名を呼んでくれ、大将もビッ、と親指を立ててみせた。
一度だけソースにひたした串を、お皿にしいたキャベツで受けてがぶっとかぶりつく。
なつかしい、大阪の味だ。
串カツはついついビールも進むが、それ以上になぜか話も弾む肴だ。
阿蓮さんとは、ずっと小説の話をしていた。
プロとして文章を書くことを生業としていても、ここまで楽しそうに小説を語れるものなのか。
この人は、心底小説が好きなのだ。
ぼくはある種の感動をもって彼の話に耳を傾けた。
もうひとつ感銘を受けたのは、阿蓮さんは決してほかの作家の批判めいたことを口にしないことだった。
どういう表現がよかった、とか、こういうシーンが心に残った、とか、必ずそれぞれの作品のよかったところをほめるのだ。
それは光栄なことに、ぼくに対しても同じだった。
「晃平は結婚してはるんかな」
「はい。よくお分かりですね」
「うん。君の文章からは、すぐ近くでほんまに応援してくれてる人の存在を感じるわ。奥さん、料理上手やろう」
ドキッ、とした。
そういうことが分かるものなのか。
「やっぱりなあ。食、というテーマは難しいもんのひとつやけど、晃平の小説は食事のシーンがええわ。それもただ食うだけやのうて、誰かのために料理作って食べさせる側の気持ちをよう書いたある。それはこれからも大事にしてほしいなあ」
自分で意識したことはなかったけど、そう言ってもらえたのは大きな励みになった。
知らず知らず、伊緒さんのことが文章に表れているとしたら、それは何より嬉しいことだ。
次から次に串を平らげながら、ぼくは阿蓮さんにたくさんのエールをもらった。
「読んでくれる人のことをいっつも考えて」
「物語にはいい意味での”裏切り”を」
「剣のように、ペンをふるって」
それぞれの言葉が、すごく自然に胸に刻まれていく。
気持ちよく食べて、飲んで、しゃべって、本来はクライアントだったはずなのに、もう仕事のことはすっかり忘却してしまっていた。
「……と、いうことがあったんです」
興奮冷めやらぬぼくは、お家に帰ってさっそく伊緒さんに事の次第を報告する。
「うーん、すごいねえ!そのまま小説になりそうなお話だわ」
しきりに感心しながら、よかったねえ、と何度も繰り返す。
「でもね。本当に何かの道を志した人には、神さまがちゃんと"マスター"を引き合わせてくれるのよ。そのご縁、大切にしたいね」
彼女の言葉に、改めて奇跡的な出会いだったことを思う。
そうだ。そんな奇跡の積み重ねで今日があるんだ。
伊緒さんとの出会いも、まさしくそんな出来事のひとつだった。
「なあなあ、ところで串カツのソースって2度づけ厳禁なんやんね?あれって見ず知らずのおっちゃんのかじったもん、また入れたらばっちいっちゅうこっちゃろか」
いつの間にか驚異的に関西弁が上達した伊緒さんが、核心を突いた質問を投げてくる。
「せやろなあ。まあ、たしかにばっちい感じしますわな」
ぼくも関西弁に戻って同意する。
「ほな、家で串カツするときは気にせんでええな。うちら夫婦やさかい。なんべんソースつけてもかめへんよ!」
伊緒さんがそう言って、弾けるように笑った。
今度はぜひ、阿蓮さんにも彼女のことを紹介したい。
それは仕事で大阪のある出版社を訪ねたときのこと。
ぼくの勤める会社では社史の制作サービスも行っており、創業者の方に取材をするためその会社を訪問したのだった。
大阪の都心部というのは、多くのイメージに反して実はすっきりと洗練された雰囲気をまとっている。
その昔「水都」と呼ばれた名残りで"~橋"という地名が多く、かつては縦横無尽に張り巡らされた水路をたくさんの舟が往き交っていたという。
しかし裏通りに一歩足を踏み入れると、そこには昭和の面影をそのまま残すような、懐かしい猥雑さをもった街がひしめいている。
目的の会社はそんな裏通りに居並ぶ古い雑居ビルの一角にあった。
思いのほか新しい小さな看板が三階のあたりにかけられていて、「(株)セピアレイン」の文字が見てとれる。
まるで探偵事務所みたいだと思いながら、少しワクワクしつつ急な階段をのぼっていく。
インターフォンはなかったので、時代を感じさせるドアを直接ノックして訪いを告げた。
「はいぃ~」
と、関西弁特有のアクセントでのんびりとした返事があり、がちゃこん、と扉が開かれた。
「やあ、ごくろうさんです。わざわざ来てもろうて、すみませんなぁ」
ぼくにとっては懐かしい訛りとともに出迎えてくれたのは、ロマンスグレーの豊かな髪が印象的な紳士だった。
眼鏡の奥で細めた目がとても柔和で、肌つやがよいので聞いていた年齢よりずっと若々しい。
初対面なのになぜか安心してしまうようなやさしい雰囲気から、「神父さん」という言葉が自然と頭に浮かぶ。
「はじめまして。秋山と申します。本日はよろしくお願いいたします、山梨社長」
そう挨拶して名刺を差し出した。
「や、本名の名刺きらしてしもうて。せやけどこっちの名前のが通りええかもしれません」
そう笑いながら、山梨社長も名刺を渡してくれる。
交換したそれぞれの名刺に目を落とした瞬間、
「……あっ!!」
二人同時に叫んで、お互いまじまじと顔を見合わせた。
「おうい、大将。来たったぞ」
「なんや、アレンさんかいな。まだノレン出してへんの見て分からんのけ」
「えらい言うてくれるやないか。今日はな、お客様連れてきたんや。キャビアとフォアグラ揚げたってくれ」
「ああ、それさっき売り切れたわ」
すぐ近くの串カツ屋さんで繰り広げられる漫才のようなやりとりを横目に、ぼくはおもしろいことになったぞ、とウキウキしていた。
山梨社長、と呼んだ人の名刺に記されていたのは、ペンネームだった。
その名は「瀬日阿蓮」。小説家だ。
ぼくが登録している小説投稿サイトでは誰でも作品を出すことができて、稀に本業の作家が投稿することもある。
阿蓮さんはそんな数少ないプロ作家の一人で、ぼくも何作か拝読してよくお名前を知っていたのだ。
驚いたのはぼくの作品も読んでくれていたことで、平凡な名前ながらペンネームを使っていなかったことから、名刺を交換したときにあっ、と思ったのだという。
「しかし、世の中おもろいことがあるもんやなあ」
阿蓮さんがぼくにビールを注いでくれながらしみじみと言う。
「ほんとにびっくりしました。でも、まさか出版社を経営しておられるとは」
ぼくも注ぎ返しながら正直な驚きを口にする。
「うん。むしろ会社が副業みたいな感じで、全然もうかってへんのやけど」
阿蓮さんの会社では、多くの有名無名の作家が集まって電子・紙・ポータルサイト等、さまざまなメディアを通じた作品の発表をサポートしているそうだ。
それは、小説家を志す者の後押しをしたいという、シンプルな願いから始まったことだという。
「社史ということでしたら、阿蓮さんが書かれたほうがいいものができるでしょうに」
なかば本気でぼくがそう言うと、
「いや、そらやっぱりプロの第三者にやってもろうたほうがええ。自分でつくったらええことしか書かへんやろうし、なんかサスペンス風になりそうやし」
と、笑った。阿蓮さんはミステリの名手としても知られているのだ。
「ほい。フォアグラ揚がったでえ」
大将が関西らしいノリで、カウンター越しに揚げたての串カツを渡してくれる。
こんな風にしていただくのは実に久しぶりだ。
「晃平。若いんやさかい、どんどん食べや。なんぼでも揚げてきよるからな」
阿蓮さんはいつの間にか親しげにぼくの名を呼んでくれ、大将もビッ、と親指を立ててみせた。
一度だけソースにひたした串を、お皿にしいたキャベツで受けてがぶっとかぶりつく。
なつかしい、大阪の味だ。
串カツはついついビールも進むが、それ以上になぜか話も弾む肴だ。
阿蓮さんとは、ずっと小説の話をしていた。
プロとして文章を書くことを生業としていても、ここまで楽しそうに小説を語れるものなのか。
この人は、心底小説が好きなのだ。
ぼくはある種の感動をもって彼の話に耳を傾けた。
もうひとつ感銘を受けたのは、阿蓮さんは決してほかの作家の批判めいたことを口にしないことだった。
どういう表現がよかった、とか、こういうシーンが心に残った、とか、必ずそれぞれの作品のよかったところをほめるのだ。
それは光栄なことに、ぼくに対しても同じだった。
「晃平は結婚してはるんかな」
「はい。よくお分かりですね」
「うん。君の文章からは、すぐ近くでほんまに応援してくれてる人の存在を感じるわ。奥さん、料理上手やろう」
ドキッ、とした。
そういうことが分かるものなのか。
「やっぱりなあ。食、というテーマは難しいもんのひとつやけど、晃平の小説は食事のシーンがええわ。それもただ食うだけやのうて、誰かのために料理作って食べさせる側の気持ちをよう書いたある。それはこれからも大事にしてほしいなあ」
自分で意識したことはなかったけど、そう言ってもらえたのは大きな励みになった。
知らず知らず、伊緒さんのことが文章に表れているとしたら、それは何より嬉しいことだ。
次から次に串を平らげながら、ぼくは阿蓮さんにたくさんのエールをもらった。
「読んでくれる人のことをいっつも考えて」
「物語にはいい意味での”裏切り”を」
「剣のように、ペンをふるって」
それぞれの言葉が、すごく自然に胸に刻まれていく。
気持ちよく食べて、飲んで、しゃべって、本来はクライアントだったはずなのに、もう仕事のことはすっかり忘却してしまっていた。
「……と、いうことがあったんです」
興奮冷めやらぬぼくは、お家に帰ってさっそく伊緒さんに事の次第を報告する。
「うーん、すごいねえ!そのまま小説になりそうなお話だわ」
しきりに感心しながら、よかったねえ、と何度も繰り返す。
「でもね。本当に何かの道を志した人には、神さまがちゃんと"マスター"を引き合わせてくれるのよ。そのご縁、大切にしたいね」
彼女の言葉に、改めて奇跡的な出会いだったことを思う。
そうだ。そんな奇跡の積み重ねで今日があるんだ。
伊緒さんとの出会いも、まさしくそんな出来事のひとつだった。
「なあなあ、ところで串カツのソースって2度づけ厳禁なんやんね?あれって見ず知らずのおっちゃんのかじったもん、また入れたらばっちいっちゅうこっちゃろか」
いつの間にか驚異的に関西弁が上達した伊緒さんが、核心を突いた質問を投げてくる。
「せやろなあ。まあ、たしかにばっちい感じしますわな」
ぼくも関西弁に戻って同意する。
「ほな、家で串カツするときは気にせんでええな。うちら夫婦やさかい。なんべんソースつけてもかめへんよ!」
伊緒さんがそう言って、弾けるように笑った。
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