伊緒さんのお嫁ご飯

三條すずしろ

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第五十椀

囲もう鉄板!「お好み焼き」。伊緒さんの従姉妹、瑠依さん登場

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 お家に帰ると伊緒さんが2人いた。
「おかえりなさい」
 と同時に声をかけられて、少々たじろいでしまう。
 白いワンピース姿でニコニコしているのは、いつも見なれたぼくのお嫁さんである伊緒さんだ。
 黒に見えるような濃紺のチュニックをまとった方の伊緒さんは、怜悧な表情で「ごぶさたです。お邪魔しています」と言ってぺこりとおじぎをした。
 一見そっくりな2人だけど、黒伊緒さんは縁なし眼鏡の奥に切れ長の目、そしてにこりともしないクールな雰囲気から別人だと見分けられる。
 この人は伊緒さんの従姉妹の、「瑠依さん」だ。
 無愛想なのはべつに怒っているわけではなくて、すごく人見知りなのだ。
 伊緒さんと結婚する前、結婚式のとき、それとあと里帰りのときにチラリと何回か会っただけのぼくには、全然心を開いてくれていない。
「そんなネコがいるでしょう?」
 来客があると物陰にひそんでじぃーっとこちらを見つめ、不用意に近付こうとすると「フーッ!」と威嚇する、そんなネコに似ているのだと伊緒さんは言う。
 瑠依さんと伊緒さんは姉妹同然に育ち、内地の同じ大学・同じ史学科で学んだ同志でもある。
 伊緒さんは少し年上の瑠依さんのことを本当に頼りにしていて、学生時代も何くれとなくお世話になったそうだ。
 瑠依さんは現在、食文化史を専攻する研究者として関西の大学に勤めている。
 今回はこちらで開催される学会に出席するための上京だったが、そのついでに伊緒さんの安否を確認しにやってきたのだ。
 ちゃんとご飯を食べているか、慣れない土地でさみしい思いをしていないか、夫にいじめられてはいやしないか・・・・・・。
 はっきりそう口に出すわけではないけど、そんな心配ぶりがひしひしと伝わってくるのだった。
 うう、全然信用されていない。
 でも、伊緒さんのことを本気で心配して、不器用ながらもお姉さんであり続けようとする瑠依さんに、ぼくは言い知れぬ親しみをもっていたのだ。
 それに伊緒さんがあんなに楽しそうに誰かとおしゃべりする姿は、なかなか見ることができない。
 2人の仲むつまじい様子にほっこりしながら、ぼくはご飯の支度にとりかかった。
 めったに会える人ではないので、ぜひ夕食をご一緒にと誘ったのはぼくのほうだ。
 伊緒さんは恐縮していたけれど、存分にお話してもらえるよう、今日ばかりはぼくがご飯番をすることを譲らなかった。
 足りないものを買いに出かけて戻ってきたら、瑠依さんがいらしていたというわけだ。
 でも、最初から最後までぼくが給仕するような料理だと、さすがに2人も気を遣うだろう。
 そこで、こんなときにぴったりなメニューを用意することにした。
 まずはキャベツをみじん切りに。
 このときの大きさが食感を左右するので、各お店各家庭でこだわりのある部分だ。
 ぼくは細かめがおいしいと思うので、丁寧に包丁を動かしてキャベツを小さな粒にしていく。
 食べよく切ったイカに、小エビ、薄切りの豚バラ肉、揚げ玉なども用意して、
「はあい、失礼しますねー」
 と、食卓にホットプレートを据えた。
 これからつくるのは、もちろん「お好み焼き」だ。
 この材料だといわゆる「ミックス玉」に相当する。
 関西のソウルフードといっても過言ではないこれなら、話しながら目の前で調理が可能だ。
 したがって2人になるべく気を遣わせることなく、みんなで食事ができるのではと思ったのだった。
 伊緒さんはもちろん、もう関西暮らしが長い瑠依さんにとっても珍しい食べ物だったようで、興味津々といった感じでたいへん喜んでくれている。
 つかみはオッケーというやつだ。
 ホットプレートを熱して油を引く。
 ボウルにみじん切りキャベツとイカ・エビ・揚げ玉などの具材を入れ、お好み焼き用の粉を加える。
 粉は若干少ないかな?と思うぐらいがちょうどよく、入れすぎるとふんわり仕上がらなくなるのだ。
 生卵を落として、伊緒さん特製の水出しおダシを少し注いでようく練り合わせる。
 もっと手の込んだタイプなら、おろしたヤマイモを混ぜてさらにふわっと仕上げるのも常道だ。
 温まったプレートにこのタネ2枚分をたらし、上に豚バラ肉を広げたらあとは中火の弱でじっくり火を通していけばいい。
「お家でするのを、初めて見ました」
 瑠依さんが目をまるくして、ぼくにもようやく表情らしいものを見せてくれた。
「いいにおい!」
 と、伊緒さんもうれしそうにしている。 
 んん、いい感じではないだろうか。
 焼き上がりを待つ間、ぼくも2人のおしゃべりに参加させてもらおうかと相槌を打ち始めたのだけど、いかんせん内容が難しい。
 「延喜式」「アマヅラ」「中男作物」「クニツモノ」等々の歴史用語が飛び交い、どうやら古代の食べ物についての話題らしいけど、ぼくにはほとんどわからなかった。
 穏やかな笑みを浮かべながらお好み焼きの火加減をみて、時折「へえ」とか「ふうん」などと合いの手を入れる。
 難しい話に聞こえるけれど、伊緒さんも瑠依さんもキャッキャと本当に楽しそうだ。
 歴史家どうし、やはり通じ合い響き合うものがあるのだろう。
 お好み焼きも、そろそろ下半分に火が通ってきた頃だ。
 コテはないので両手にもったフライ返しをすっすっ、とプレートとの間に差し入れ、ぽんっ、とひっくり返す。
 今度は豚バラ肉が下になって、じゅわあっと脂の焼ける音が立った。
「すごーい!」
「プロみたい!」
 伊緒さんと瑠依さんが歓声を上げて、ぼくはドヤァ!という顔をしたはずだ。
 もう一枚も返して、豚肉がカリカリになるまでじっくり焼けば中までしっかり火が通る。
 最後にもう一度ひっくり返してお好みソース、マヨネーズ、青のり、そしてたっぷりの削りぶしを振りかけて出来上がり。
 お好み焼きの湯気と熱気で削りぶしがゆらゆらと揺れるさまを見て、
「踊ってる!」
 と2人とも大喜びしてくれている。
「はい。これで各自切り取ってお召し上がりください」
 ぼくが配ったのはお好み焼き用の小さなコテだ。関西では箸を使わず、これでお好み焼きを切り取ってそのまま口に運ぶことが多い。
 近所の百均に置いてあったのを思い出して、さっき買ってきたのがこれだ。
 よっぽど面白かったのか、2人ともはわはわはわ、と感じ入っている。本当にそっくりだ。
「あふっ、ふはっ」
 カットしたお好み焼きの熱さを楽しみながら、伊緒さんも瑠依さんもおいしいおいしい、と絶賛してくれた。
 なんかすごくうれしい。
 話題はいつの間にか瑠依さんの大学のことへと移り、やはり少子化の影響もあって学生の数が減っているのだという。
「……なので、最近は社会人入試や通信教育部に力を入れていますね。社会に出てからとか、定年したあととかにもう一度学びたい、という人も増えています」
 瑠依さんの話にぼくも耳を傾ける。
 ふうん、そうなんだ。たしかに、もう一度大学の講義を受けたら、むしろ学生時代より面白く感じるかもしれない。
「瑠依ちゃんの大学は、通信教育部は学部しかないんだっけか?大学院はないしょ?」
 お国言葉に戻った伊緒さんが、もふもふとお好み焼きを食べながら質問している。
「そう、そのことを言おうと思ったのに忘れてたわ。実は来期から、大学院にも通信部が開設されるのよ。まだ修士課程のみだけど、いずれ博士課程も置くみたいよ」
 これ、大学案内。と、瑠依さんは冊子を伊緒さんに手渡した。
「伊緒はてっきり大学に残って研究者になるんだと思ってた。でも、いま充実して幸せそうな様子を見て安心したわ」
 瑠依さんはそう言って、初めてぼくにも弾けるような笑顔を見せてくれた。
 泊まっていけばいいのにという伊緒さんの言葉も、最寄り駅まで送ろうとしたのも固辞して、瑠依さんは風のように去っていった。
 去り際に、
「晃平さん、お好み焼きとってもおいしかったです。ありがとう。伊緒のこと、よろしく頼みます」
 と言ったのが心に残る。
「晃くん、今日はほんとうにありがとうございました。瑠依ちゃんもとっても喜んでたわ」
 唇の端に青のりをくっつけて、伊緒さんがうれしそうにそう言ってくれる。
 ふと、瑠依さんが置いていった大学案内に目が留まる。
 伊緒さんは、ほんとうはもっとしたいことがあったんじゃないか。
 これまでぼくは、まったくそういうことに思い至らなかったのだ。
「大学院、かあ」
 ぼくの視線の先を追って、伊緒さんがぽつりとつぶやいた。
 
 
 
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