4 / 72
第1章 陵山古墳と蛇行剣の王
古墳と異形のモノども
しおりを挟む
入口からすぐにある古い御堂がより寂し気な雰囲気を醸しているが、右手方向に古墳の姿を捉えると抗いようもなくまじまじと眺めてしまう。
陵山古墳。横穴式石室をもつ、和歌山県下最大の円墳。
その直径は約46mにもおよび、5世紀末~6世紀初頭の築造と考えられている。
出土品の多くは散逸してしまったが、多量の鉄製品やきぬがさを象った埴輪などがあったことから、在地首長の墓という見方が一般的だ。
残った遺物の一部は地元の資料館で展示されており、わたしもこちらに赴任してきてすぐに見に行ったものだ。
なかでも、金メッキを施された鎧の一部と、蛇行剣と呼ばれる鉄製品には驚いた。
蛇行剣はその名の通りうねうねと蛇のように曲がった剣のことで、全国でもまだ70数例しか発見されていない希少な考古遺物だ。
この墓の主たるかつての王は、黄金の甲冑をまとって蛇の剣を振るったのだろうか――。
そんなことに思いを巡らせているうち、わたしは無意識のうちにふらふらと古墳のすぐそばまで近づいてしまっていた。
周濠を渡る石橋の手前にはいまにも崩れそうな鳥居が建ち、かたわらには県指定史跡の案内板が設けられている。
自然と手を合わせて、古墳に向けて首を垂れた。
ふいに、わたしの脳裡に浮かび上がる文字があった。
”鬼門”。
この古墳がある橋本という町は、和歌山県の最北東端にあって大阪府と奈良県に境を接している。
北東、すなわち丑寅の方角は、まさしく表鬼門だ。
この古墳は、紀伊の鬼門に築かれているのではないか。
そう思い至った時、耳の奥できんっ、と鍵のかかるような音がして、周囲の景色が歪んでいくような眩暈を感じた。
初めてではない。子どもの頃から時折あることだった。
けれど今回のそれは、足元から這い上るような悪寒を伴っている。
ふらついて鳥居に手をつくと、視界の端でなにかがうっすらと光っているようだ。
あれは……。
石室……?
顔を上げると、ぽっかりと口を開けた石室の奥から、かそけき灯りが漏れ出している。
でも、そんな――。
陵山古墳の石室は、崩落防止のために土嚢で埋められていたのに――。
そう思った瞬間、頭上の樹々から一斉に鳥の飛び立つ音がして、ギャアーッと耳をつんざくような鳴き声が響いた。
わたしはおそろしさのあまり、両手で頭を抱えてその場にうずくまってしまう。
ざざざざざっ、ざざっ、ざざざざっ。
こずえの間を、何かがすごい速さで跳び回っているかのような気配を感じる。
固く目を瞑っていっそう身を小さくしたその時、
ざんっ。
すぐ目の前に何かが転がり落ちてきたような音が立って、わたしは反射的に目を上げた。
猿――。
次の瞬間、突風のような何か大きな力に跳ね飛ばされて、わたしの視界はそれきり闇に閉ざされた。
心が身体から離れて、ふわふわと浮いているような感覚。
こどもの頃、夕暮れ時の橋をわたる時や列車で長いトンネルに入る時、そんな際に感じたような何ともいえない不思議な感覚に包まれている。
闇の中、どれくらいの間そうしていたのかわからない。
けれど徐々に意識が身体に引き戻されていくのを感じるにつれ、うっすらと視界が戻ってきた。
霞んだ目を懸命にこらすと、薄闇のなか無数の生き物が激しく動き回っているのが見てとれた。
あれは、猿だ。
おびただしい数の猿が、あるいは牙をむきあるいは躍りかかり、何かと戦っているかのようだ。
はじめぼやけていたそれらは、わたしの焦点が合っていくにつれて徐々に姿を現していく。
割けた口から野放図に伸びる牙、爛々と赤く燃える目、黒く爛れた四肢には禍々しい爪が備わっている。
そして頭部には、穢れそのものを凝らせたかのような鋭い角――。
まぎれもない、鬼だ。
日高さんがメモに残そうとした、”オニ”に違いない。
鬼は古墳と御堂の間に見える、裂け目のような場所から一体また一体と侵入してきている。
猿たちは懸命に鬼の侵入を阻んでいるが、それでも振り払われ、打ち倒され、少しずつその数を減らしていっているようだ。
わたしが目を覚ましたのは、公園の端のあたりのようだった。
でも、周囲はさっきまで見ていたはずの景色ではなく、真っ黒な膜のようなもので遮断されている。
ふいに悪寒が背筋を駆け上った。
猿たちを振り払った鬼の一体が、わたしを見つけたのだ。
その鬼は赤い目をぎろりとこちらに向けると四つん這いになり、獲物を狙い定めた肉食獣のように殺到してきた。
身体が動かない。声が出ない。
穢れた牙がわたしを引き裂こうと迫ったとき、鮮やかな緋色が眼前に翻った。
「オン デイバヤキシャよ!共に喜びたまへ、スヴァーハ!」
榊の枝が横薙ぎに一閃され、鬼の口が真一文字に断ち割られた。
どちゃっ、と地に落ちたそれは断末魔の痙攣を起こし、腐敗したようにどろりと溶けていく。異臭とともに黒い蒸気のようなものが立ち上り、角のついた骨だけが残った。
「ユラ、さん……」
「しゃべらないで。あの御堂まで走るわよ」
助けてくれたのは、巫女を思わせる緋袴の装束に身を包んだ由良さんだった。
懐から檜扇を取り出し、小さく何かを唱えながらわたしの両肩、次いで眉間にそれを押し当てると、ふっと身体が軽くなった。
「この子たちは、鬼門除けの青面金剛神のお使い。あの庚申堂の結界はまだ生きている。道は猿たちが守ってくれるから、1・2・3の合図で全力で走って」
由良さんはわたしを抱き起し、右手にもう一度榊の枝を構えて大きく息を吸った。
「行くわよ。…1…2…3!」
彼女に手を引かれたわたしは、脱兎のごとく駆けだした。
陵山古墳。横穴式石室をもつ、和歌山県下最大の円墳。
その直径は約46mにもおよび、5世紀末~6世紀初頭の築造と考えられている。
出土品の多くは散逸してしまったが、多量の鉄製品やきぬがさを象った埴輪などがあったことから、在地首長の墓という見方が一般的だ。
残った遺物の一部は地元の資料館で展示されており、わたしもこちらに赴任してきてすぐに見に行ったものだ。
なかでも、金メッキを施された鎧の一部と、蛇行剣と呼ばれる鉄製品には驚いた。
蛇行剣はその名の通りうねうねと蛇のように曲がった剣のことで、全国でもまだ70数例しか発見されていない希少な考古遺物だ。
この墓の主たるかつての王は、黄金の甲冑をまとって蛇の剣を振るったのだろうか――。
そんなことに思いを巡らせているうち、わたしは無意識のうちにふらふらと古墳のすぐそばまで近づいてしまっていた。
周濠を渡る石橋の手前にはいまにも崩れそうな鳥居が建ち、かたわらには県指定史跡の案内板が設けられている。
自然と手を合わせて、古墳に向けて首を垂れた。
ふいに、わたしの脳裡に浮かび上がる文字があった。
”鬼門”。
この古墳がある橋本という町は、和歌山県の最北東端にあって大阪府と奈良県に境を接している。
北東、すなわち丑寅の方角は、まさしく表鬼門だ。
この古墳は、紀伊の鬼門に築かれているのではないか。
そう思い至った時、耳の奥できんっ、と鍵のかかるような音がして、周囲の景色が歪んでいくような眩暈を感じた。
初めてではない。子どもの頃から時折あることだった。
けれど今回のそれは、足元から這い上るような悪寒を伴っている。
ふらついて鳥居に手をつくと、視界の端でなにかがうっすらと光っているようだ。
あれは……。
石室……?
顔を上げると、ぽっかりと口を開けた石室の奥から、かそけき灯りが漏れ出している。
でも、そんな――。
陵山古墳の石室は、崩落防止のために土嚢で埋められていたのに――。
そう思った瞬間、頭上の樹々から一斉に鳥の飛び立つ音がして、ギャアーッと耳をつんざくような鳴き声が響いた。
わたしはおそろしさのあまり、両手で頭を抱えてその場にうずくまってしまう。
ざざざざざっ、ざざっ、ざざざざっ。
こずえの間を、何かがすごい速さで跳び回っているかのような気配を感じる。
固く目を瞑っていっそう身を小さくしたその時、
ざんっ。
すぐ目の前に何かが転がり落ちてきたような音が立って、わたしは反射的に目を上げた。
猿――。
次の瞬間、突風のような何か大きな力に跳ね飛ばされて、わたしの視界はそれきり闇に閉ざされた。
心が身体から離れて、ふわふわと浮いているような感覚。
こどもの頃、夕暮れ時の橋をわたる時や列車で長いトンネルに入る時、そんな際に感じたような何ともいえない不思議な感覚に包まれている。
闇の中、どれくらいの間そうしていたのかわからない。
けれど徐々に意識が身体に引き戻されていくのを感じるにつれ、うっすらと視界が戻ってきた。
霞んだ目を懸命にこらすと、薄闇のなか無数の生き物が激しく動き回っているのが見てとれた。
あれは、猿だ。
おびただしい数の猿が、あるいは牙をむきあるいは躍りかかり、何かと戦っているかのようだ。
はじめぼやけていたそれらは、わたしの焦点が合っていくにつれて徐々に姿を現していく。
割けた口から野放図に伸びる牙、爛々と赤く燃える目、黒く爛れた四肢には禍々しい爪が備わっている。
そして頭部には、穢れそのものを凝らせたかのような鋭い角――。
まぎれもない、鬼だ。
日高さんがメモに残そうとした、”オニ”に違いない。
鬼は古墳と御堂の間に見える、裂け目のような場所から一体また一体と侵入してきている。
猿たちは懸命に鬼の侵入を阻んでいるが、それでも振り払われ、打ち倒され、少しずつその数を減らしていっているようだ。
わたしが目を覚ましたのは、公園の端のあたりのようだった。
でも、周囲はさっきまで見ていたはずの景色ではなく、真っ黒な膜のようなもので遮断されている。
ふいに悪寒が背筋を駆け上った。
猿たちを振り払った鬼の一体が、わたしを見つけたのだ。
その鬼は赤い目をぎろりとこちらに向けると四つん這いになり、獲物を狙い定めた肉食獣のように殺到してきた。
身体が動かない。声が出ない。
穢れた牙がわたしを引き裂こうと迫ったとき、鮮やかな緋色が眼前に翻った。
「オン デイバヤキシャよ!共に喜びたまへ、スヴァーハ!」
榊の枝が横薙ぎに一閃され、鬼の口が真一文字に断ち割られた。
どちゃっ、と地に落ちたそれは断末魔の痙攣を起こし、腐敗したようにどろりと溶けていく。異臭とともに黒い蒸気のようなものが立ち上り、角のついた骨だけが残った。
「ユラ、さん……」
「しゃべらないで。あの御堂まで走るわよ」
助けてくれたのは、巫女を思わせる緋袴の装束に身を包んだ由良さんだった。
懐から檜扇を取り出し、小さく何かを唱えながらわたしの両肩、次いで眉間にそれを押し当てると、ふっと身体が軽くなった。
「この子たちは、鬼門除けの青面金剛神のお使い。あの庚申堂の結界はまだ生きている。道は猿たちが守ってくれるから、1・2・3の合図で全力で走って」
由良さんはわたしを抱き起し、右手にもう一度榊の枝を構えて大きく息を吸った。
「行くわよ。…1…2…3!」
彼女に手を引かれたわたしは、脱兎のごとく駆けだした。
0
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。
桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」
この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。
※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。
※1回の投稿文字数は少な目です。
※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。
表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
約4500文字程度の番外編です。
バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`)
ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑)
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
〖完結〗私が死ねばいいのですね。
藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。
両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。
それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。
冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。
クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。
そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全21話で完結になります。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる