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第1章 陵山古墳と蛇行剣の王

古墳と異形のモノども

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入口からすぐにある古い御堂がより寂し気な雰囲気を醸しているが、右手方向に古墳の姿を捉えると抗いようもなくまじまじと眺めてしまう。

陵山古墳。横穴式石室をもつ、和歌山県下最大の円墳。
その直径は約46mにもおよび、5世紀末~6世紀初頭の築造と考えられている。
出土品の多くは散逸してしまったが、多量の鉄製品やきぬがさを象った埴輪などがあったことから、在地首長の墓という見方が一般的だ。
残った遺物の一部は地元の資料館で展示されており、わたしもこちらに赴任してきてすぐに見に行ったものだ。

なかでも、金メッキを施された鎧の一部と、蛇行剣と呼ばれる鉄製品には驚いた。
蛇行剣はその名の通りうねうねと蛇のように曲がった剣のことで、全国でもまだ70数例しか発見されていない希少な考古遺物だ。
この墓の主たるかつての王は、黄金の甲冑をまとって蛇の剣を振るったのだろうか――。

そんなことに思いを巡らせているうち、わたしは無意識のうちにふらふらと古墳のすぐそばまで近づいてしまっていた。
周濠を渡る石橋の手前にはいまにも崩れそうな鳥居が建ち、かたわらには県指定史跡の案内板が設けられている。
自然と手を合わせて、古墳に向けて首を垂れた。

ふいに、わたしの脳裡に浮かび上がる文字があった。

”鬼門”。

この古墳がある橋本という町は、和歌山県の最北東端にあって大阪府と奈良県に境を接している。
北東、すなわち丑寅の方角は、まさしく表鬼門だ。
この古墳は、紀伊の鬼門に築かれているのではないか。

そう思い至った時、耳の奥できんっ、と鍵のかかるような音がして、周囲の景色が歪んでいくような眩暈を感じた。
初めてではない。子どもの頃から時折あることだった。
けれど今回のそれは、足元から這い上るような悪寒を伴っている。

ふらついて鳥居に手をつくと、視界の端でなにかがうっすらと光っているようだ。

あれは……。
石室……?

顔を上げると、ぽっかりと口を開けた石室の奥から、かそけき灯りが漏れ出している。

でも、そんな――。

陵山古墳の石室は、崩落防止のために土嚢で埋められていたのに――。

そう思った瞬間、頭上の樹々から一斉に鳥の飛び立つ音がして、ギャアーッと耳をつんざくような鳴き声が響いた。
わたしはおそろしさのあまり、両手で頭を抱えてその場にうずくまってしまう。

ざざざざざっ、ざざっ、ざざざざっ。

こずえの間を、何かがすごい速さで跳び回っているかのような気配を感じる。
固く目を瞑っていっそう身を小さくしたその時、

ざんっ。

すぐ目の前に何かが転がり落ちてきたような音が立って、わたしは反射的に目を上げた。

猿――。

次の瞬間、突風のような何か大きな力に跳ね飛ばされて、わたしの視界はそれきり闇に閉ざされた。


心が身体から離れて、ふわふわと浮いているような感覚。

こどもの頃、夕暮れ時の橋をわたる時や列車で長いトンネルに入る時、そんな際に感じたような何ともいえない不思議な感覚に包まれている。

闇の中、どれくらいの間そうしていたのかわからない。
けれど徐々に意識が身体に引き戻されていくのを感じるにつれ、うっすらと視界が戻ってきた。

霞んだ目を懸命にこらすと、薄闇のなか無数の生き物が激しく動き回っているのが見てとれた。

あれは、猿だ。

おびただしい数の猿が、あるいは牙をむきあるいは躍りかかり、何かと戦っているかのようだ。

はじめぼやけていたそれらは、わたしの焦点が合っていくにつれて徐々に姿を現していく。

割けた口から野放図に伸びる牙、爛々と赤く燃える目、黒く爛れた四肢には禍々しい爪が備わっている。
そして頭部には、穢れそのものを凝らせたかのような鋭い角――。

まぎれもない、鬼だ。

日高さんがメモに残そうとした、”オニ”に違いない。

鬼は古墳と御堂の間に見える、裂け目のような場所から一体また一体と侵入してきている。
猿たちは懸命に鬼の侵入を阻んでいるが、それでも振り払われ、打ち倒され、少しずつその数を減らしていっているようだ。

わたしが目を覚ましたのは、公園の端のあたりのようだった。
でも、周囲はさっきまで見ていたはずの景色ではなく、真っ黒な膜のようなもので遮断されている。

ふいに悪寒が背筋を駆け上った。
猿たちを振り払った鬼の一体が、わたしを見つけたのだ。
その鬼は赤い目をぎろりとこちらに向けると四つん這いになり、獲物を狙い定めた肉食獣のように殺到してきた。

身体が動かない。声が出ない。

穢れた牙がわたしを引き裂こうと迫ったとき、鮮やかな緋色が眼前に翻った。

「オン デイバヤキシャよ!共に喜びたまへ、スヴァーハ!」

榊の枝が横薙ぎに一閃され、鬼の口が真一文字に断ち割られた。
どちゃっ、と地に落ちたそれは断末魔の痙攣を起こし、腐敗したようにどろりと溶けていく。異臭とともに黒い蒸気のようなものが立ち上り、角のついた骨だけが残った。

「ユラ、さん……」
「しゃべらないで。あの御堂まで走るわよ」

助けてくれたのは、巫女を思わせる緋袴の装束に身を包んだ由良さんだった。
懐から檜扇を取り出し、小さく何かを唱えながらわたしの両肩、次いで眉間にそれを押し当てると、ふっと身体が軽くなった。

「この子たちは、鬼門除けの青面金剛神のお使い。あの庚申堂の結界はまだ生きている。道は猿たちが守ってくれるから、1・2・3の合図で全力で走って」

由良さんはわたしを抱き起し、右手にもう一度榊の枝を構えて大きく息を吸った。

「行くわよ。…1…2…3!」

彼女に手を引かれたわたしは、脱兎のごとく駆けだした。
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