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赤ずきん嬢、危機一髪!?
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(どうしよう。こんなことなら、『町』になんか来るんじゃなかった・・・)
見知らぬ通りを方向感覚だけを頼りに走る。背後から揶揄するような声を上げながら男たちが追いかけてくる。すれ違う人々は、彼女の窮地を目にすると、一様に目を逸らす。
「助けて!」
彼女の悲痛な叫びを聞きつけたのか。
衛兵らしき男が脇道から顔を出した。が、彼女が誰に追いかけられているのかを悟ると、憐れみの籠った一瞥を投げるだけ。
素知らぬふりで近くの店舗へ。ぱたんと扉を閉めてしまう。
何てこと!
治安がなってないってことは聞いていたけれど。
(お母さまの言いつけを守って、用事を済ませたらすぐに帰ればよかった。余計な事なんかしなきゃよかった。もうすぐ日が暮れてしまう。どうすればいいのかしら?)
華奢な身体に不似合いなバカでかいバスケットを抱え、真っ赤なマントを翻しながら、彼女は宵闇の町をひたすら走り続けていた。
* * * * *
彼女が生まれ育ったのは、森の奥地にひっそりと築かれた、訪れる者もないような隠れ里。
ここ何世代もの間、一族はひっそりと人知れず自給自足の生活を送っている。手に入らない必需品のみ、近くを通りかかる隊商から物々交換で手に入れて。
今年は冷夏で秋の実りが少なく、一族が棲む森の恵みもごくわずか。この冬をどうやって越せばいいのか悩んでいたところに、最年長の祖母が病に倒れた。
食べ物にも事欠く日々。
祖母の容態は悪くなる一方だった。
見かねた誰かが、大きな『町』に行けば薬草が手に入るかもしれないと言い出し、若く可愛らしい彼女が買い物に行くことを申し出たのだが。
初めて訪れた『人がたくさん住む町』。
見たことがないほど多くの人。子どもや女たち。そこら中に漂う美味しそうな匂い。
町で一番人通りが多い場所は『市場』と呼ばれ、様々な物を扱う店でにぎわっていた。少なくとも、彼女の目にはにぎわっているように見えた。
彼女の住処に比べれば、ここは多くのものや『食べ物』に溢れている。
「おーい、そこのお嬢さん、この串焼き食べてみないか?塩漬け肉を戻して焼いたもんだが、まあまあの味だぜ。安くしとくからさ」
ぐうぐう鳴るお腹を宥めながら歩いていると、出店の店主が景気良く声をかけた。
「串焼き?塩漬け肉の?」
小首を傾げて考え込む彼女に、店主はすまなそうに言った。
「ここんとこ異常天候でさ。家畜がいかれちまって。生肉が高くて、備蓄用の塩漬けくらいしか庶民には手に入らないのさ。味見してみるか?」
ほら、と差し出された『串焼き』をしげしげと眺める。
妙な匂いがするが、とりあえず獣の肉なのは確かだ。ふうふう息をかけて冷ましてから、一口齧ってみる。思ったほど不味くはない。
お金はそれなりに与えられている。効果のあやしい薬草だけじゃなく、問題がなさそうな食べ物を買って帰ればいいのでは?
(そうよ。滋養に富むものを口にできれば、おばあ様の体調はきっとよくなるわ)
意を決して、彼女は持っていた硬貨を一つ差し出した。
「これで買えるだけお願いします」
「まいどあり!」
ほくほく顔で店主は『串焼き』を20本ほど包んで渡してくれた。
ついでに手にしたメモを見せてどこで買えるか尋ねると、薬草屋台のある場所まで快く教えてくれた。
教えてもらった店で薬草をいくつか買うと、彼女は残ったお金でそこらで売っている『食べ物』を買いまくった。
様々な類の串焼き、干し肉や塩漬け肉、卵やカモ肉の燻製まで。
最後まで持ち運ぶ自信がないので生肉は止めておく。
彼女は、慣れぬ場所でたった一人、懸命に見よう見まねで、持っていたお金すべてを使って買い物をした。
たぶん、それがいけなかったのだろう。気が付いたときには、辺りは昏く、周囲の人だかりもウソのように消えていて・・・
いかにも柄の悪そうな男たちに囲まれていた。
「おい、そこの赤いずきんを被った女、えらく羽振りがよいようだが。どこから来た?」
見るからに脂の乗り切った、でっぷりと太った男が、立ち尽くす彼女に高圧的に言った。
男たちの一人にずきんを払いのけられ、彼女の素顔があらわになる。
ふわふわとした柔らかそうな赤みがかった巻き毛。長いまつ毛に縁どられた淡い茶色の瞳にピンクのふっくらとした唇。
おびえたように身をすくめる様は、男たちの嗜虐心を妙にそそった。
「こりゃ、驚いた。上玉じゃないか」
しばしの沈黙の後、傍らの男の一人がため息交じりに呟くのが聞こえた。
情欲を帯びた、舐めるような不躾な視線に晒されて、彼女は顔を伏せて身を震わせた。
最初に声をかけてきた主らしき男が下卑た笑みを満面に浮かべた。
「気にいった。娘、お前、私の屋敷に来い!私はこの町の代官だ。言うことをきけば、いい思いをさせてやるぞ」
肥えきった頬がプルンと震え、丸々とした腕が彼女の方に伸ばされた。
酒臭い息。饐えたような男の体臭が鼻につく。
だめよ。ここから・・・逃げなきゃ。
一瞬の逡巡の末、ごくりと唾を飲みこむと、彼女は男たちにくるりと背を向けた。
「逃がすな!」
男たちと彼女の追いかけっこが始まった。
* * * * *
走って、走って、走って。
ようやく町の出口に差し掛かったそのとき・・・
「ここまでだ。あきらめな」
数人の男たちが目の前に立ちふさがった。
どうやら先回りされたらしい。
「代官様がお待ちだ。あのお方はああ見えて、気前のいい方だ。少し我慢すれば、贅沢だってできる。このご時世、悪い話じゃないだろ?」
一番大きな男がこぶしを鳴らしながら、にやりとした。
「そう怯えるなよ。俺たちも後で可愛がってやるからさ」
無駄なく筋肉がついた男の腕が彼女の華奢な肩をがっちりと捕らえた。
「ほら、観念して、こっちへ来な」
ちらりと空に目をやる。どんよりと曇った夜空に月はまだ見えない。
帰らなくちゃ。月が昇る前に早く。そのためには・・・
「おまえたち、そこで何をしている?」
覚悟を決めた彼女の耳に、静かな、だが威圧的な男の声が響いた。
* * * * *
街灯の明りが照らし出す男の姿に、彼女は直前の決意も忘れて、目を見張った。
襟元を覆うくらいの艶やかな黒髪。やや吊り上がったアーモンド形の漆黒の瞳。すっと通った鼻筋に魅惑的な弧を描く赤い唇。威厳に満ちた雰囲気から考えて、そう若くはないだろうが、壮年には程遠そうだ。
こういう美貌を人間離れしていると人は呼ぶのだろう。きっと。
ただ話しかけているだけなのに、その仕草は洗練され、気品に満ちている。
(上位貴族って人なんじゃないかしら?王都に住んでいるという特権階級の・・・。剣は持ってないようだから、『騎士』ではなさそう)
真っ黒な服と黒いマントは、彩がなくても見るからに上等そうだ。
怯んだ悪党たちを冷たく睥睨して、その紳士は彼女に優しげな笑みを向けた。
「この男たちはあなたに用があるようですが、あなたはどうです?」
おずおずと首を振ると、彼女を背に庇うように、ずいっと前に踏み出る。それから男たちに一言「去れ!」と命じた。
途端におとなしくなり、すごすごと戻っていく男たち。
その聞き分けの良さをちょっと不思議に感じながらも、彼女はほっと息を吐いた。
* * * * *
森の近くの村へ帰るのだと告げると、黒衣の男は、親切にも馬車で送ってあげようと言ってくれ、彼女を町のすぐ外側に停めた馬車まで案内してくれた。
「危ないところをありがとうございました。馬車にまで乗せてくださるなんて。ご親切ありがとうございます。ご迷惑でなければいいのですが」
爪先まで手入れされた手につかまって、生まれて初めてのエスコートで馬車に乗る。
バスケットを預かってくれた御者は一瞬、怪訝な顔をしたが、結局、何も言わなかった。
向かいに腰を下ろした男が鷹揚に言った。
「大したことじゃない。気にする必要はありません」
なおも礼を言おうとする彼女を、男が軽く手を上げて押しとどめる。にっこりとほほ笑みかけて
「たまたま通りかかった場所で、あなたのような可愛らしいお嬢さんに巡り会えるなんて。私の方こそお礼を言いたいくらいです」
ずきんの中のほんのりと染まった顔を覗き込む。
「ご存じなかったのでしょうが、最近、この界隈は物騒でしてね。あなたくらいの若い女性が夜、急に姿を消す事件が続出しているのです」
全然知りませんでした、と呟く彼女に頷いてみせる。
「最近は、夜に村や町の外に出る女性はほとんどいません。日が暮れると、みんな家に閉じこもってしまう。仕方なく、馬車で一帯を徘徊していたのですが・・・私は、今夜、あなたに会えて本当にうれしいのです」
「あの・・・お貴族様」
「私のことは、そうですね、『伯爵』とお呼びください、赤いずきんの可愛いお嬢さん」
「伯爵さまは、どうして、夜、そんな場所にいらしてたんですか?御者一人だけをお供に?護衛一人連れていらっしゃらないようですが」
怪訝そうに尋ねた彼女に、『伯爵』は下を向くと、肩を震わせて笑いだした。
「伯爵さま?あの、どうかされました、伯爵さま?」
ややしばし笑い続け後、『伯爵』はようやく顔を上げた。
「これは失礼を。久しぶりに上等な食事ができそうで、嬉しくて思わず笑みが」
その形の良い赤い唇の両端には、いつの間にか鋭利な巨大な『歯』が覗いていた。
真っ黒な瞳は、白目の部分までもが鮮血の赤に変わっていた。
「まさか、あなた・・・」
呆然と目を見開く娘に、『侯爵』は答えた。
「我は夜の気高き貴族、夜の覇者、吸血鬼。さあ、娘よ、お前の香しい血を味わわせておくれ」
甘く囁くと、少女のずきんを優しく脱がす。頬をなぞった指がその白い首筋にそっと愛戯するように触れた。
* * * * *
(吸血鬼?吸血鬼ですって!?まさか、吸血鬼が存在したなんて・・・)
首筋を撫でる死人のように冷たい手。赤い瞳に浮かぶ、隠しきれない獰猛な飢え。人にはあり得ない、鋭くとがった大きな犬歯。
何てことだろう!こんなところで吸血鬼に会うなんて。
「おばあ様が死にかけているんです」
ぽつりとこぼれた言葉に、今にも首筋に歯を立てようとしていた吸血鬼の動きが止まった。
「あなたに会えて本当によかった。これで、おばあ様を助けることができる」
少女の頬に涙が一筋、二筋としたたり落ちていた。
雲間から月が顔を出したのか。
馬車の窓から差し込む月光が、泣きながら笑うまだ幼さの残る顔を照らす。
「吸血鬼の肝は万能薬。その肉は何よりも美味しく滋養に富む。あなた方吸血鬼は心臓に杭を打ち込まれない限り、日光にあたらない限り、絶対に死なない。私たち人狼族にとって、どれほど食べても永遠に尽きない糧、夢の御馳走。何という幸運でしょう!朝日が昇れば血痕一つ残らない、素敵な『獲物』を見つけられるなんて」
微笑む口元が耳まで裂けた。琥珀色の虹彩が獣のものに変わり、金色を帯びる。愛らしい顔が見る間に獣顔に変化し、膨れ上がった体躯に服が弾け、赤いマントが宙に飛んだ。
毛むくじゃらの腕が『伯爵』の喉を一撃で潰し、腕を、足を掴むと、無造作に捩じり取った。
* * * * *
朝になって、商用で町に向かう商人が、無残に破壊され、放置された馬車をみつけた。
貴族のものではないかと思われる豪華な馬車の残骸。付近に人影はなく、馬も見当たらない。
いったい何があったのだろうか?
おそるおそる中を覗き込んで見つけたのは、赤いずきんとマント、千切れた女ものの服一式。
商人が持ち帰った見覚えがある衣装に、町の住人達は、代官の手下に追われて町を出た『可憐な少女』のことを思い出した。
少女に何が起こったのかはわからなかった。けれど、このありさまでは、彼女はすでに生きてはいないだろう。
少女の悲惨な運命に思いを馳せ、自分たちの非道な仕打ちを反省した町の住人。
彼らは、名も知らぬ少女の冥福を祈って、教会の墓地に彼女の残した遺品を埋めて墓を作った。
その碑に刻まれた言葉は・・・
~神よ、どうか我らが罪を許したまえ。赤いずきんの少女の無垢な魂に永久の安息を与えたまえ ~
The End
※この作品は某サイトの短編創作フェスでお題に沿って描いてみたものを多少改定したものです。
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。で、なんらかの評価を頂けたら、本当に嬉しいです。
見知らぬ通りを方向感覚だけを頼りに走る。背後から揶揄するような声を上げながら男たちが追いかけてくる。すれ違う人々は、彼女の窮地を目にすると、一様に目を逸らす。
「助けて!」
彼女の悲痛な叫びを聞きつけたのか。
衛兵らしき男が脇道から顔を出した。が、彼女が誰に追いかけられているのかを悟ると、憐れみの籠った一瞥を投げるだけ。
素知らぬふりで近くの店舗へ。ぱたんと扉を閉めてしまう。
何てこと!
治安がなってないってことは聞いていたけれど。
(お母さまの言いつけを守って、用事を済ませたらすぐに帰ればよかった。余計な事なんかしなきゃよかった。もうすぐ日が暮れてしまう。どうすればいいのかしら?)
華奢な身体に不似合いなバカでかいバスケットを抱え、真っ赤なマントを翻しながら、彼女は宵闇の町をひたすら走り続けていた。
* * * * *
彼女が生まれ育ったのは、森の奥地にひっそりと築かれた、訪れる者もないような隠れ里。
ここ何世代もの間、一族はひっそりと人知れず自給自足の生活を送っている。手に入らない必需品のみ、近くを通りかかる隊商から物々交換で手に入れて。
今年は冷夏で秋の実りが少なく、一族が棲む森の恵みもごくわずか。この冬をどうやって越せばいいのか悩んでいたところに、最年長の祖母が病に倒れた。
食べ物にも事欠く日々。
祖母の容態は悪くなる一方だった。
見かねた誰かが、大きな『町』に行けば薬草が手に入るかもしれないと言い出し、若く可愛らしい彼女が買い物に行くことを申し出たのだが。
初めて訪れた『人がたくさん住む町』。
見たことがないほど多くの人。子どもや女たち。そこら中に漂う美味しそうな匂い。
町で一番人通りが多い場所は『市場』と呼ばれ、様々な物を扱う店でにぎわっていた。少なくとも、彼女の目にはにぎわっているように見えた。
彼女の住処に比べれば、ここは多くのものや『食べ物』に溢れている。
「おーい、そこのお嬢さん、この串焼き食べてみないか?塩漬け肉を戻して焼いたもんだが、まあまあの味だぜ。安くしとくからさ」
ぐうぐう鳴るお腹を宥めながら歩いていると、出店の店主が景気良く声をかけた。
「串焼き?塩漬け肉の?」
小首を傾げて考え込む彼女に、店主はすまなそうに言った。
「ここんとこ異常天候でさ。家畜がいかれちまって。生肉が高くて、備蓄用の塩漬けくらいしか庶民には手に入らないのさ。味見してみるか?」
ほら、と差し出された『串焼き』をしげしげと眺める。
妙な匂いがするが、とりあえず獣の肉なのは確かだ。ふうふう息をかけて冷ましてから、一口齧ってみる。思ったほど不味くはない。
お金はそれなりに与えられている。効果のあやしい薬草だけじゃなく、問題がなさそうな食べ物を買って帰ればいいのでは?
(そうよ。滋養に富むものを口にできれば、おばあ様の体調はきっとよくなるわ)
意を決して、彼女は持っていた硬貨を一つ差し出した。
「これで買えるだけお願いします」
「まいどあり!」
ほくほく顔で店主は『串焼き』を20本ほど包んで渡してくれた。
ついでに手にしたメモを見せてどこで買えるか尋ねると、薬草屋台のある場所まで快く教えてくれた。
教えてもらった店で薬草をいくつか買うと、彼女は残ったお金でそこらで売っている『食べ物』を買いまくった。
様々な類の串焼き、干し肉や塩漬け肉、卵やカモ肉の燻製まで。
最後まで持ち運ぶ自信がないので生肉は止めておく。
彼女は、慣れぬ場所でたった一人、懸命に見よう見まねで、持っていたお金すべてを使って買い物をした。
たぶん、それがいけなかったのだろう。気が付いたときには、辺りは昏く、周囲の人だかりもウソのように消えていて・・・
いかにも柄の悪そうな男たちに囲まれていた。
「おい、そこの赤いずきんを被った女、えらく羽振りがよいようだが。どこから来た?」
見るからに脂の乗り切った、でっぷりと太った男が、立ち尽くす彼女に高圧的に言った。
男たちの一人にずきんを払いのけられ、彼女の素顔があらわになる。
ふわふわとした柔らかそうな赤みがかった巻き毛。長いまつ毛に縁どられた淡い茶色の瞳にピンクのふっくらとした唇。
おびえたように身をすくめる様は、男たちの嗜虐心を妙にそそった。
「こりゃ、驚いた。上玉じゃないか」
しばしの沈黙の後、傍らの男の一人がため息交じりに呟くのが聞こえた。
情欲を帯びた、舐めるような不躾な視線に晒されて、彼女は顔を伏せて身を震わせた。
最初に声をかけてきた主らしき男が下卑た笑みを満面に浮かべた。
「気にいった。娘、お前、私の屋敷に来い!私はこの町の代官だ。言うことをきけば、いい思いをさせてやるぞ」
肥えきった頬がプルンと震え、丸々とした腕が彼女の方に伸ばされた。
酒臭い息。饐えたような男の体臭が鼻につく。
だめよ。ここから・・・逃げなきゃ。
一瞬の逡巡の末、ごくりと唾を飲みこむと、彼女は男たちにくるりと背を向けた。
「逃がすな!」
男たちと彼女の追いかけっこが始まった。
* * * * *
走って、走って、走って。
ようやく町の出口に差し掛かったそのとき・・・
「ここまでだ。あきらめな」
数人の男たちが目の前に立ちふさがった。
どうやら先回りされたらしい。
「代官様がお待ちだ。あのお方はああ見えて、気前のいい方だ。少し我慢すれば、贅沢だってできる。このご時世、悪い話じゃないだろ?」
一番大きな男がこぶしを鳴らしながら、にやりとした。
「そう怯えるなよ。俺たちも後で可愛がってやるからさ」
無駄なく筋肉がついた男の腕が彼女の華奢な肩をがっちりと捕らえた。
「ほら、観念して、こっちへ来な」
ちらりと空に目をやる。どんよりと曇った夜空に月はまだ見えない。
帰らなくちゃ。月が昇る前に早く。そのためには・・・
「おまえたち、そこで何をしている?」
覚悟を決めた彼女の耳に、静かな、だが威圧的な男の声が響いた。
* * * * *
街灯の明りが照らし出す男の姿に、彼女は直前の決意も忘れて、目を見張った。
襟元を覆うくらいの艶やかな黒髪。やや吊り上がったアーモンド形の漆黒の瞳。すっと通った鼻筋に魅惑的な弧を描く赤い唇。威厳に満ちた雰囲気から考えて、そう若くはないだろうが、壮年には程遠そうだ。
こういう美貌を人間離れしていると人は呼ぶのだろう。きっと。
ただ話しかけているだけなのに、その仕草は洗練され、気品に満ちている。
(上位貴族って人なんじゃないかしら?王都に住んでいるという特権階級の・・・。剣は持ってないようだから、『騎士』ではなさそう)
真っ黒な服と黒いマントは、彩がなくても見るからに上等そうだ。
怯んだ悪党たちを冷たく睥睨して、その紳士は彼女に優しげな笑みを向けた。
「この男たちはあなたに用があるようですが、あなたはどうです?」
おずおずと首を振ると、彼女を背に庇うように、ずいっと前に踏み出る。それから男たちに一言「去れ!」と命じた。
途端におとなしくなり、すごすごと戻っていく男たち。
その聞き分けの良さをちょっと不思議に感じながらも、彼女はほっと息を吐いた。
* * * * *
森の近くの村へ帰るのだと告げると、黒衣の男は、親切にも馬車で送ってあげようと言ってくれ、彼女を町のすぐ外側に停めた馬車まで案内してくれた。
「危ないところをありがとうございました。馬車にまで乗せてくださるなんて。ご親切ありがとうございます。ご迷惑でなければいいのですが」
爪先まで手入れされた手につかまって、生まれて初めてのエスコートで馬車に乗る。
バスケットを預かってくれた御者は一瞬、怪訝な顔をしたが、結局、何も言わなかった。
向かいに腰を下ろした男が鷹揚に言った。
「大したことじゃない。気にする必要はありません」
なおも礼を言おうとする彼女を、男が軽く手を上げて押しとどめる。にっこりとほほ笑みかけて
「たまたま通りかかった場所で、あなたのような可愛らしいお嬢さんに巡り会えるなんて。私の方こそお礼を言いたいくらいです」
ずきんの中のほんのりと染まった顔を覗き込む。
「ご存じなかったのでしょうが、最近、この界隈は物騒でしてね。あなたくらいの若い女性が夜、急に姿を消す事件が続出しているのです」
全然知りませんでした、と呟く彼女に頷いてみせる。
「最近は、夜に村や町の外に出る女性はほとんどいません。日が暮れると、みんな家に閉じこもってしまう。仕方なく、馬車で一帯を徘徊していたのですが・・・私は、今夜、あなたに会えて本当にうれしいのです」
「あの・・・お貴族様」
「私のことは、そうですね、『伯爵』とお呼びください、赤いずきんの可愛いお嬢さん」
「伯爵さまは、どうして、夜、そんな場所にいらしてたんですか?御者一人だけをお供に?護衛一人連れていらっしゃらないようですが」
怪訝そうに尋ねた彼女に、『伯爵』は下を向くと、肩を震わせて笑いだした。
「伯爵さま?あの、どうかされました、伯爵さま?」
ややしばし笑い続け後、『伯爵』はようやく顔を上げた。
「これは失礼を。久しぶりに上等な食事ができそうで、嬉しくて思わず笑みが」
その形の良い赤い唇の両端には、いつの間にか鋭利な巨大な『歯』が覗いていた。
真っ黒な瞳は、白目の部分までもが鮮血の赤に変わっていた。
「まさか、あなた・・・」
呆然と目を見開く娘に、『侯爵』は答えた。
「我は夜の気高き貴族、夜の覇者、吸血鬼。さあ、娘よ、お前の香しい血を味わわせておくれ」
甘く囁くと、少女のずきんを優しく脱がす。頬をなぞった指がその白い首筋にそっと愛戯するように触れた。
* * * * *
(吸血鬼?吸血鬼ですって!?まさか、吸血鬼が存在したなんて・・・)
首筋を撫でる死人のように冷たい手。赤い瞳に浮かぶ、隠しきれない獰猛な飢え。人にはあり得ない、鋭くとがった大きな犬歯。
何てことだろう!こんなところで吸血鬼に会うなんて。
「おばあ様が死にかけているんです」
ぽつりとこぼれた言葉に、今にも首筋に歯を立てようとしていた吸血鬼の動きが止まった。
「あなたに会えて本当によかった。これで、おばあ様を助けることができる」
少女の頬に涙が一筋、二筋としたたり落ちていた。
雲間から月が顔を出したのか。
馬車の窓から差し込む月光が、泣きながら笑うまだ幼さの残る顔を照らす。
「吸血鬼の肝は万能薬。その肉は何よりも美味しく滋養に富む。あなた方吸血鬼は心臓に杭を打ち込まれない限り、日光にあたらない限り、絶対に死なない。私たち人狼族にとって、どれほど食べても永遠に尽きない糧、夢の御馳走。何という幸運でしょう!朝日が昇れば血痕一つ残らない、素敵な『獲物』を見つけられるなんて」
微笑む口元が耳まで裂けた。琥珀色の虹彩が獣のものに変わり、金色を帯びる。愛らしい顔が見る間に獣顔に変化し、膨れ上がった体躯に服が弾け、赤いマントが宙に飛んだ。
毛むくじゃらの腕が『伯爵』の喉を一撃で潰し、腕を、足を掴むと、無造作に捩じり取った。
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朝になって、商用で町に向かう商人が、無残に破壊され、放置された馬車をみつけた。
貴族のものではないかと思われる豪華な馬車の残骸。付近に人影はなく、馬も見当たらない。
いったい何があったのだろうか?
おそるおそる中を覗き込んで見つけたのは、赤いずきんとマント、千切れた女ものの服一式。
商人が持ち帰った見覚えがある衣装に、町の住人達は、代官の手下に追われて町を出た『可憐な少女』のことを思い出した。
少女に何が起こったのかはわからなかった。けれど、このありさまでは、彼女はすでに生きてはいないだろう。
少女の悲惨な運命に思いを馳せ、自分たちの非道な仕打ちを反省した町の住人。
彼らは、名も知らぬ少女の冥福を祈って、教会の墓地に彼女の残した遺品を埋めて墓を作った。
その碑に刻まれた言葉は・・・
~神よ、どうか我らが罪を許したまえ。赤いずきんの少女の無垢な魂に永久の安息を与えたまえ ~
The End
※この作品は某サイトの短編創作フェスでお題に沿って描いてみたものを多少改定したものです。
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。で、なんらかの評価を頂けたら、本当に嬉しいです。
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