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23「つながり」
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23「つながり」
華名子は逃げるように家に戻った。そして、泣いて、叫んで、あたりの机を、コップをそこらじゅうに投げつけた。まるで、気がふれた人間のように。
陶器が砕け、カーテンが引き裂かれ、机がひっくり返る。
「うるさい! うるさい! うるさい!」
「誰が、逃げているって言うの! ふざけんじゃないわよ!」
「何も知らないくせに! 誰も、分かってくれない! もう、そんな人、誰もいない!」
華名子は叫びながら、手に持った物を床に投げつけた。その物は、音を立て、割れた。
割れたものに、ふと目が行く。それは、最愛の母の写真だった。
写真の中の母はいつもと同じように、穏やかに笑っていた。
「おかあさん――あいたいよぉ」
華名子の口から、子供が親に縋り付き、助けを求めるような声が絞り出される。
割れた写真縦を拾い上げると、とめどなく涙が零れた。
華名子はそれからどれだけ写真を抱いて泣いていたか覚えていない。気付いたら、夢の中だった。
何故、夢と分かったか。自分が子供の姿をしていたから、では無い。
そこには今や亡き、父と母がいたからだ。
まだ、若い父が絵を描いていた。その横に幼い華名子が座っている。
『おいおい、華名子。そんなに見られていると、描き辛いよ』
『いいじゃん。わたし、パパが絵を描いてるの、見るの好きだもん』
『本当か? いつもは絵ばっかり描いてって、怒ってるじゃないか』
父は意地悪そうに笑っていた。
『だって、この前一緒に公園行った時もスケッチしだすんだもん! デリカシーが無いのは駄目だよ』
『華名子……どこでそんな言葉を』
『みんな言ってるよ』
『最近の子供は怖いな』
父はそう言いながら、楽しそうに筆を運んでいた。
『この絵、すっごく綺麗だね』
華名子は父の描く絵を見ながらふと、そう呟いた。
『お、そうか?』
『うん! 今までで一番。今一だね!』
『おいおい、褒めてるように聞こえないぞ』
そう言いながらも、父は満面の笑みだ。そして、後ろで二人の姿を見ながら、母が幸せそうに微笑んでいた。
『ねえ、これって花だよね。誰かの絵のパクリ?』
『パクリとは酷いぞ。お父さんの一番好きなゴッホの絵を参考にしているんだ。どうしても似てしまうけど、まあ、オリジナルだ』
『えー、それってパクリじゃないの?』
困ったよう無に父は笑っていた。
やはり、間違いない。小さな頃の遠く、懐かしい記憶――幸せだった頃の記憶。
夢とはこんなにも鮮明なものだろうか。あの頃着ていた服、あの頃座っていた椅子、あの頃、父がよく飲んでいたコーヒーの香り。すべてが完璧に再現されている。
まるで、何かが、何者かの意思がそうさせるように。
夢の中の小さな華名子は絵に飽きたのか、椅子を下り、後ろでただ微笑む母の元へ。
何の理由も無い、いや、いらない。ただ、抱きつきたいから。母は優しく華名子を包んだ。目をつぶると、懐かしく、大好きだった匂いに包まれる。
安心できて、温かい。世界で一番――
どれだけ母に抱かれていただろう、ふと、華名子が母の顔を見上げると――
そこには華名子の母ではなく、涙で暮れる――佐々木理穂の母親の顔がそこにあった。そして、その母に抱かれているのは、華名子でなく、理穂だった。
点滴に繋がれベッドに横たわる娘を、愛おしそうに、そして何も出来ない無力さに涙しながら、母は娘を抱きしめていた。
傍らにいるのは父親や兄弟だろう。みんな泣きはらした顔をしている。
華名子も母を失った時はこんな顔をしていただろう。
不思議とこれが、夢だが、現実の光景だと、華名子には理解できた。
気付くと華名子は理穂の中にいた。
まっくらで、何も見えないが、きっとここは理穂の中だ。
次第に、映像が流れてくる。
バレーボール部の練習をしている最中に靭帯を痛めてしまった時の事。
バレーボールを辞める事になり、友達や顧問の前では何でもない、もう大丈夫と強がっていたが、本当は母親の膝にうずくまり、声が枯れるまで泣いたこと。
無気力な毎日な中で、ようやく熱中できるものを見つけた喜び。
そして、一家団欒の時間に、美術部の顧問である華名子の、熱心な指導を嬉しそうに話していた事。
華名子は今、体の感覚が無い。まるで透明の靄のようだ。それでも、今、自分が泣いていることは分かった。
どうして、こんなものを見せるのだ。一体、何が――
目の前に、佐々木理穂が立っていた。
いつもの制服姿で、どこか、寂しそうな顔をしている。今の自分に目があるのか、分からないが、なぜか、目の前の理穂と目が合った。
「池ちゃん先生、ありがとね。私の為に、頑張ってくれて。ずっと、繋がっていたから、分かるんだ。どれだけ、池ちゃん先生が辛くて、苦しんだかって」
「私、池ちゃんが、本当は教師って仕事も、私達の事も、本当は好きじゃないって、知ってたよ。でも、池ちゃん、お人よしだからさ。私に絵を教えてくれてる時、本当に真剣だったよね」
「バレーボールが駄目になった時さ、本当に辛かったんだ。でも、先生が絵、褒めてくれて、そしたらさ、なんか描くのが楽しくなってきて」
「現実から逃げるためじゃなくて、新しい自分になる為に、頑張りなさいって。先生が言ってくれたから、私、きっちりと前を向けたんだよ」
「ありがとう池ちゃん。本当に感謝してる」
「だからさ、もういいよ。頑張らないで。私は、まあ、いいから。池ちゃんがこれ以上辛い思いをするくらいなら、私は――」
「諦めないで……」
華名子の口からそう、言葉が漏れ出した。
頭が痛い、涙が止まらない、喉が渇いた、汗でびっしょりだ、気持ち悪い――
でも、涙が止まらない。
華名子は母の写真を抱きしめながら、母を、理穂を思って泣いた。
いつしか泣き止むと、もう当たりはすっかり暗かった。
華名子は残りの力を振り絞り、成すべき事を。
手がかりを持つかもしれない人物とつながりがある、八木ミチルへと電話をかけていた。
華名子は逃げるように家に戻った。そして、泣いて、叫んで、あたりの机を、コップをそこらじゅうに投げつけた。まるで、気がふれた人間のように。
陶器が砕け、カーテンが引き裂かれ、机がひっくり返る。
「うるさい! うるさい! うるさい!」
「誰が、逃げているって言うの! ふざけんじゃないわよ!」
「何も知らないくせに! 誰も、分かってくれない! もう、そんな人、誰もいない!」
華名子は叫びながら、手に持った物を床に投げつけた。その物は、音を立て、割れた。
割れたものに、ふと目が行く。それは、最愛の母の写真だった。
写真の中の母はいつもと同じように、穏やかに笑っていた。
「おかあさん――あいたいよぉ」
華名子の口から、子供が親に縋り付き、助けを求めるような声が絞り出される。
割れた写真縦を拾い上げると、とめどなく涙が零れた。
華名子はそれからどれだけ写真を抱いて泣いていたか覚えていない。気付いたら、夢の中だった。
何故、夢と分かったか。自分が子供の姿をしていたから、では無い。
そこには今や亡き、父と母がいたからだ。
まだ、若い父が絵を描いていた。その横に幼い華名子が座っている。
『おいおい、華名子。そんなに見られていると、描き辛いよ』
『いいじゃん。わたし、パパが絵を描いてるの、見るの好きだもん』
『本当か? いつもは絵ばっかり描いてって、怒ってるじゃないか』
父は意地悪そうに笑っていた。
『だって、この前一緒に公園行った時もスケッチしだすんだもん! デリカシーが無いのは駄目だよ』
『華名子……どこでそんな言葉を』
『みんな言ってるよ』
『最近の子供は怖いな』
父はそう言いながら、楽しそうに筆を運んでいた。
『この絵、すっごく綺麗だね』
華名子は父の描く絵を見ながらふと、そう呟いた。
『お、そうか?』
『うん! 今までで一番。今一だね!』
『おいおい、褒めてるように聞こえないぞ』
そう言いながらも、父は満面の笑みだ。そして、後ろで二人の姿を見ながら、母が幸せそうに微笑んでいた。
『ねえ、これって花だよね。誰かの絵のパクリ?』
『パクリとは酷いぞ。お父さんの一番好きなゴッホの絵を参考にしているんだ。どうしても似てしまうけど、まあ、オリジナルだ』
『えー、それってパクリじゃないの?』
困ったよう無に父は笑っていた。
やはり、間違いない。小さな頃の遠く、懐かしい記憶――幸せだった頃の記憶。
夢とはこんなにも鮮明なものだろうか。あの頃着ていた服、あの頃座っていた椅子、あの頃、父がよく飲んでいたコーヒーの香り。すべてが完璧に再現されている。
まるで、何かが、何者かの意思がそうさせるように。
夢の中の小さな華名子は絵に飽きたのか、椅子を下り、後ろでただ微笑む母の元へ。
何の理由も無い、いや、いらない。ただ、抱きつきたいから。母は優しく華名子を包んだ。目をつぶると、懐かしく、大好きだった匂いに包まれる。
安心できて、温かい。世界で一番――
どれだけ母に抱かれていただろう、ふと、華名子が母の顔を見上げると――
そこには華名子の母ではなく、涙で暮れる――佐々木理穂の母親の顔がそこにあった。そして、その母に抱かれているのは、華名子でなく、理穂だった。
点滴に繋がれベッドに横たわる娘を、愛おしそうに、そして何も出来ない無力さに涙しながら、母は娘を抱きしめていた。
傍らにいるのは父親や兄弟だろう。みんな泣きはらした顔をしている。
華名子も母を失った時はこんな顔をしていただろう。
不思議とこれが、夢だが、現実の光景だと、華名子には理解できた。
気付くと華名子は理穂の中にいた。
まっくらで、何も見えないが、きっとここは理穂の中だ。
次第に、映像が流れてくる。
バレーボール部の練習をしている最中に靭帯を痛めてしまった時の事。
バレーボールを辞める事になり、友達や顧問の前では何でもない、もう大丈夫と強がっていたが、本当は母親の膝にうずくまり、声が枯れるまで泣いたこと。
無気力な毎日な中で、ようやく熱中できるものを見つけた喜び。
そして、一家団欒の時間に、美術部の顧問である華名子の、熱心な指導を嬉しそうに話していた事。
華名子は今、体の感覚が無い。まるで透明の靄のようだ。それでも、今、自分が泣いていることは分かった。
どうして、こんなものを見せるのだ。一体、何が――
目の前に、佐々木理穂が立っていた。
いつもの制服姿で、どこか、寂しそうな顔をしている。今の自分に目があるのか、分からないが、なぜか、目の前の理穂と目が合った。
「池ちゃん先生、ありがとね。私の為に、頑張ってくれて。ずっと、繋がっていたから、分かるんだ。どれだけ、池ちゃん先生が辛くて、苦しんだかって」
「私、池ちゃんが、本当は教師って仕事も、私達の事も、本当は好きじゃないって、知ってたよ。でも、池ちゃん、お人よしだからさ。私に絵を教えてくれてる時、本当に真剣だったよね」
「バレーボールが駄目になった時さ、本当に辛かったんだ。でも、先生が絵、褒めてくれて、そしたらさ、なんか描くのが楽しくなってきて」
「現実から逃げるためじゃなくて、新しい自分になる為に、頑張りなさいって。先生が言ってくれたから、私、きっちりと前を向けたんだよ」
「ありがとう池ちゃん。本当に感謝してる」
「だからさ、もういいよ。頑張らないで。私は、まあ、いいから。池ちゃんがこれ以上辛い思いをするくらいなら、私は――」
「諦めないで……」
華名子の口からそう、言葉が漏れ出した。
頭が痛い、涙が止まらない、喉が渇いた、汗でびっしょりだ、気持ち悪い――
でも、涙が止まらない。
華名子は母の写真を抱きしめながら、母を、理穂を思って泣いた。
いつしか泣き止むと、もう当たりはすっかり暗かった。
華名子は残りの力を振り絞り、成すべき事を。
手がかりを持つかもしれない人物とつながりがある、八木ミチルへと電話をかけていた。
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