上 下
21 / 31

20「憑き物の仕業」

しおりを挟む
20「憑き物の仕業」


 華名子が目を覚ました時にはすでに当たりは真っ暗で、以前憑き物に憑かれて気を失った時と同じく保健室のベッドの上だった。シーツが汚れないようにだろう、手に付いた月原の血液は拭い取られていたが、まだベタつく。 
 フラフラと歩きながらも洗面台へ辿たどり着くと華名子はうつろな目をして、まとわりつく血を、記憶を、感触をぬぐい去ろうと、蛇口をひねり、水で手を擦り合わせ続けた。いつしか手の皮がけ、血がにじむと、かなこの口から嗚咽が漏れ、夜の闇に消えていった。

 
 月原が意識を取り戻したのはそれから三日後だった。 
 華名子はそれまでひたすら眠っていた。まるで、母親の胎内に帰り、何も見ずに、何も考えず、ただ安心して眠りたかったのだ。 
 理事長の連絡が無かったらきっと布団の中で死んでいたのでは無いかと、自嘲した。 
 いや、むしろ死んでしまいたかった。憑き物に取り憑かれたとはいえ、生徒を刺して危うく殺してしまう所だったのだ。 
 電話越しで月原はすでに会話は問題無く、命に別状はないのだと言う。 
 電話を終えると、華名子は気が重いがすぐに見舞いへと向かう為に、重い腰をあげた。流石にこの数日、風呂にも入っていないので、身を清める必要がある。 
 身支度をしている最中も、月原の言葉を思い出していた。 
 追い詰めすぎたと、月原は言っていた。そうだろう。いくら妖怪とはいえ、お祓いなんてされては消えて無くなってしまうのではないか。いや、間違いなくそうだろう。きっと、アプローチの仕方が――過激すぎたのだろう。だからあんな事に――
 卑怯な話だが、そう考えると華名子の足は少し軽さを取り戻していた。
 
 月原が入院しているのは、県内でも最大級の総合病院だった。 
 受付に行き月原の名前を口にすると、受付がどこかに内線をしたかと思うと、すぐに案内のスタッフがやってきた。 
 その応対は医療従事者というよりも、まるでホテルマンのように親切で丁寧だった。恐らく、ただの病院関係者という訳ではないだろう。
 案内された部屋は豪華な個室だった。部屋の前まで着くと、案内係はうやうやしくお辞儀をすると去っていった。 
 取り残された華名子は意を決して扉をノックすると、中から「はーい」と聞き慣れない、若い女の声が聞こえた。勿論月原では無いその声に導かれ、扉を開いた。

 華名子の目に写った病室はまさにVIP対応の立派すぎる個室だった。病院と知らなければ恐らくホテルと見間違うだろう。 
 月原は病室の中央に盛大に置かれたベッドにいたが、既に上半身は起こす事ができていた。相変わらず真っ白な顔をしているが、血が足りないというよりは、元からの肌の色が白過ぎるだけだ。 
 そのベッドの横には先程の声の主と思われる少女が座っていた。月原と比べると随分幼い印象を受けるが、恐らく実年齢はそんなに変わらないのだろう。 
 私服なので、学校の生徒か分からないが何処かで見た事がある記憶があった。
「あら、池内先生。お見舞いに来てくださったんですか? ありがとうございます」
 華名子が口を開く前に、先に月原が話し始めた。声色は思ったよりも元気そうだ。 
「――この度は本当に、本当に、申し訳ありませんでした」 
 華名子は深々と頭を下げた。いや、むしろ土下座をしても軽いくらいだ。人を刺すという行為は紛れもなく犯罪で、それをしてしまった華名子は本来なら今頃警察のご厄介になっているはずだ。それを月原が憑き物の仕業だからと、秘密裏に処理をしてくれようとしている事を考えると、どう謝っても謝りきれない。 
「先生、頭を上げて下さい」 
 頭を下げ続ける華名子もその言葉にようやく頭を上げ、月原を見るが、あまり興味がなさそうにしていた。しかし、隣に座る少女の視線はまだ華名子に釘付くぎづけられていた。 
 華名子はその少女にやはり見覚えがあった。そうだ、たしかこの子は――
 月原は華名子の意図をみ取ってか、隣の少女に目をやった 
「ああ、この子ですか? 前に言っていた友達の島岡めぐみさんです。私のピンチを野生の勘でぎつけて駆けつけてくれたのよね?」
 月原の言葉に島岡めぐみは、
「もう!人を動物みたいに言わないでよ!いつもの時間にログインしないから気になって電話したらお母さんが出てびっくりしたんだから!」とむくれていた。 
「でもよく駆けつけられたわね。遠かったでしょう?」 
「意識不明の重体、って言われたから新幹線に飛び乗ったんだから!」  
「あら、大変だったわね」 
「他人事みたいに言わないでよ!」
「まあ、いいじゃない。と、こうして院長先生に挨拶しに行ったお母さん達にかわって私の暇つぶしをしてくれているんです」
「月原さん! からかってるでしょ!」 
 華名子は月原とたわむれる少女、島岡めぐみをようやく思い出した。あまり接点が無く、良くも悪くも何処にでもいそうな生徒だが、去年の秋、島岡めぐみの名前は全ての職員に深く刻まれる事になった。 
 実の父親が不倫相手のいざこざがあり当時学校内がざわつく事になった。当時節操の無いマスコミや野次馬が学校にまで押し掛けたので、その対応に理事長や校長達が頭を抱えていたものだ。 
 のちに遠くの地へ転校したと聞いたが、なるほど、島岡めぐみが月原の友達だったというわけだ。 
 かなこは驚いていた。思いの外、月原が元気だからというわけでは無く、あの周囲の者を寄せ付けず孤高とも言える月原に、本当に気安く話せる友人がいた事にだ。 
「まあ、体も何とか動きそうだし、今夜からでもログインするわ。早くしないとイベントが終わっちゃうもの」 
「夜にゲームなんてしてたら看護師さんに怒られるよ! それにあのイベントは定期的にやるから、そんなに急がなくてもいいよ!」 
 戸惑いを隠せない華名子を尻目に二人はくだらない話に花を咲かせていた。どうやら二人はオンラインゲームの話をしているようだ。なんとも暢気な話だが、月原も友達の前では年相応の顔を見せる事があるのだ。
 
 小島と、あの男も友達だったという。あの二人もこうして、下らないことで笑い合い、時には目を輝かせ夢を語っていたのだろうか。 
 今の華名子のように、折に触れては友と過ごした、楽しかった時間を懐かしんだりしたのだろうか。
 一人とは縁を切り、一人は既にこの世にはいないのでもう、聞く術も無い。  
 華名子は月原とめぐみのやりとりをみて微笑ましくも寂しさを抱えていた。 
 他愛も無い話をしていると、急にめぐみが話を打ち切って、席を立った。 
「私、ちょっと売店に行ってくるね。何か買ってこようか?」 
「大丈夫よ。欲しい時に言うから」 
「それがめんどうだから聞いてるの! 何かあったら連絡してね」 
 めぐみは華名子に一礼すると足早に病室を出ていった。その姿を見送ると、背後から月原の声が聞こえた。 
「先生、立ち話も何ですし、席も空きました。座って下さい」 
 どうやらめぐみが気を利かせてくれたらしい。華名子は黙って先程までめぐみが座っていた椅子に腰掛けた。 
「ごめんなさい。まだ、痛むわよね」 
「傷の治りは早いんですけど、流石にすぐに回復ってわけにもいきません」 
「そう……今はゆっくりと体を―― 
「休めている訳にはいきません。今日でもう一週間です。これ以上時間をかけていたら、確実に佐々木さんは助かりません。今朝目覚めた後、理事長から佐々木さんの状態が悪くなっていると聞きました。恐らく、今日か、明日がリミットです」 
「――もう、絵を燃やしてしまいましょう。 
 華名子は落ち着いた口調で言った。
あの絵の作者が父と分かった以上、もう大切にする必要なんてない。以前、最終手段と言っていたが、最初からそうしたらよかったのだ。しかし―― 
「それは早計です。前にも言いましたが、絵を破壊する方法は非常にリスクが高い。それに私みたいな憑き物祓いでなければ佐々木さんの魂を肉体に誘導できません」 
 それもそうだ。憑き物に対して何の知識もなく、無力な今の華名子に出来ることと言えば――
「――杉浦って人を探しに行けばいいの?」 
 華名子の言葉に月原が珍しく驚いたような顔をしていた。 
「ええ、そうです。先生にとってはお辛いでしょうが、それが最善であり、最優先です」 
「小島先生は名前しか教えてくれなかったわ。何処に住んでいるかも。どうやって探すの?」 
「小島先生以外にあなたのお父様と交流のあった人に当たってみて下さい。分かっているはずです」 
 華名子は俯き、暫くして、 
「分かったわ」と、小さく呟いた。 
 月原が頷く姿を見届け、かなこは病室を出ようとすると、 
「先生、分かっているとは思いますが、私がこの状況なので、今佐々木さんを救えるのはあなただけです。それを忘れないでください」 
 華名子は背に受けた言葉に、振り返る事なく 
「大丈夫。分かっているわ」 
 と一言、返して病室を後にした
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

【連作ホラー】幻影回忌 ーTrilogy of GHOSTー

至堂文斗
ホラー
――其れは、人類の進化のため。 歴史の裏で暗躍する組織が、再び降霊術の物語を呼び覚ます。 魂魄の操作。悍ましき禁忌の実験は、崇高な目的の下に数多の犠牲を生み出し。 決して止まることなく、次なる生贄を求め続ける。 さあ、再び【魂魄】の物語を始めましょう。 たった一つの、望まれた終焉に向けて。 来場者の皆様、長らくお待たせいたしました。 これより幻影三部作、開幕いたします――。 【幻影綺館】 「ねえ、”まぼろしさん”って知ってる?」 鈴音町の外れに佇む、黒影館。そこに幽霊が出るという噂を聞きつけた鈴音学園ミステリ研究部の部長、安藤蘭は、メンバーを募り探検に向かおうと企画する。 その企画に巻き込まれる形で、彼女を含め七人が館に集まった。 疑いつつも、心のどこかで”まぼろしさん”の存在を願うメンバーに、悲劇は降りかからんとしていた――。 【幻影鏡界】 「――一角荘へ行ってみますか?」 黒影館で起きた凄惨な事件は、桜井令士や生き残った者たちに、大きな傷を残した。そしてレイジには、大切な目的も生まれた。 そんな事件より数週間後、束の間の平穏が終わりを告げる。鈴音学園の廊下にある掲示板に貼り出されていたポスター。 それは、かつてGHOSTによって悲劇がもたらされた因縁の地、鏡ヶ原への招待状だった。 【幻影回忌】 「私は、今度こそ創造主になってみせよう」 黒影館と鏡ヶ原、二つの場所で繰り広げられた凄惨な事件。 その黒幕である****は、恐ろしい計画を実行に移そうとしていた。 ゴーレム計画と名付けられたそれは、世界のルールをも蹂躙するものに相違なかった。 事件の生き残りである桜井令士と蒼木時雨は、***の父親に連れられ、***の過去を知らされる。 そして、悲劇の連鎖を断つために、最後の戦いに挑む決意を固めるのだった。

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

すべて実話

さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。 友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。 長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*

生還者

ニタマゴ
ホラー
佐藤明里(22)は洞窟探検が好きな会社員だった。いつものように、仲間と洞窟に潜ったが、足を踏み外し穴に落ちてしまう。しかし、落ちた先は洞窟とは思えない。果てしなく広いと思わされる真っ暗で迷路のような空間だった。ヘッドライトの寿命と食糧が尽きるまで果たして彼女はそこを脱出できる。 しかし・・・ それは・・・ 始まりに過ぎなかった・・・

甘いマスクは、イチゴジャムがお好き

猫宮乾
ホラー
 人間の顔面にはり付いて、その者に成り代わる〝マスク〟という存在を、見つけて排除するのが仕事の特殊捜査局の、梓藤冬親の日常です。※サクサク人が死にます。【完結済】

【完結】わたしの娘を返してっ!

月白ヤトヒコ
ホラー
妻と離縁した。 学生時代に一目惚れをして、自ら望んだ妻だった。 病弱だった、妹のように可愛がっていたイトコが亡くなったりと不幸なことはあったが、彼女と結婚できた。 しかし、妻は子供が生まれると、段々おかしくなって行った。 妻も娘を可愛がっていた筈なのに―――― 病弱な娘を育てるうち、育児ノイローゼになったのか、段々と娘に当たり散らすようになった。そんな妻に耐え切れず、俺は妻と別れることにした。 それから何年も経ち、妻の残した日記を読むと―――― 俺が悪かったっ!? だから、頼むからっ…… 俺の娘を返してくれっ!?

処理中です...