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18「進の死」

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18「進の死」


小島は月原にわずかながらに恨めしそうな表情を向けていた。 
「君はどこまで知っているんですか?」 
「私は適当に話しているだけです。別に何かを知っているわけではありません。しかし、ある程度の予想はつきます。絵に人生をかけた人が、何故そんな未完成の絵を送ったのか。そもそもどうして未完成なのか。考えると、理由は二つ。未完成の絵を送る事が何かのメッセージだった。そして、もう一つは何らかの理由で絵を完成させる事が出来なかった。そのどちらかです。そして、絵が送られた事を知っていると言う事は、先生は事情を知っていますよね。これ以上は不毛ですし、早く全て話してくれませんか? それともまた、だましますか?」 
月原の辛辣しんらつな言葉に小島も流石に苦しそうに顔を歪めた。 
「真実を知ると言う事は――時に辛く苦しい。嘘で救われるなら、それでもいいと思いませんか? 少なくとも、話を聞くか決めるのはあなたではなく、池内さんだと思いますが」 
 聞くか決めるのは自分。普段ならどうするだろうか。聞こうとするだろうか、いや、恐らくそうでは無いだろう。しかし――
「聞かせてください」 
 華名子の意思とは反対の言葉だが、そう口にするしかない。自分の命だけなら、と思うが今は佐々木の命もかかっている。 
「……分かりました。お話ししましょう。まず、月原さんの言った事は当たっています。理由は後者ですね。もしかして、と思っているかも知れませんが、進はもうこの世にはいません。今年の初めに亡くなりました。膵臓癌だったそうです」 
 華名子は父親の死を告げられても、何故だか、ずっとそんな気がしていたので、驚きもしなかった。
 小島も華名子の反応は気になったようだが、微動だにしないその姿を見て、また話し始めた。 
「会ってもいなかったし、あの絵も池内さんが見せてくれるまで、一度も見た事がありませんが、あれが最後の一枚と言う事は分かりました」
「送り主が別にいて、その送り主から聞いた、という事ですか」
 小島は小さくうなずき、続けた。 
「ある日見知らぬ女性が私の元を尋ねて来ました。彼女は進が亡くなった事、そして、進が最後にひまわりの絵を描いていた事を私に伝えました。彼女は、その絵を……池内さん、あなたに送りたいと言い出したんです。理由は聞いてもかたくなに答えてくれませんでした。遺言だったのか、彼女自身の意思かも分かりません。池内さん、君の事を思うと断るべきだったんですが、私は断り切ることが出来なかった。でも、池内さんの住所を教えて何かあったらいけないと思い、名前と高校で美術教師をしている事だけを教えたんです。彼女と会ったのはそれっきりです。僕は絵を直接見たわけでも無いし、本当に送ったかどうかも知るすべはありませんでした」
「その女性は――あの男とどのような関係だったのですか」 
 華名子は震える自分の体を抱いた。今にも、何かが暴れ狂いそうな、思いを抑えるように。 
 答えなんて分かりきっている。だからこそ、小島も一連の事を伝えるかどうか迷ったのだろう。もし、華名子の思う通りの答えなら、死ぬまで父を待ち続けた母があまりにも――
 願うように。華名子は小島の答えを待つが 
「関係は聞きませんでしたが、一緒に住んでいると。恐らく、進の愛人でしょう」 

 華名子は思わず手で顔をおおった。今聞いた言葉が、嘘であればとそう思う。いや、恐らくと言ったのだ。あくまでそれは小島の一見解だ。
 そうだ、そうに決まっている。

「その女性の名前を教えてくれませんか」
 月原は何の躊躇ちゅうちょも無く言った。
「それは――」
 小島が戸惑うのも無理はない。娘に愛人かもしれない女の情報を渡すなんて中々できることではない。
「黙っているおつもりですか。その女には先生の事を教えたのに、その逆は駄目なんですか」
「確かに、僕は彼女に池内さんが高校で美術教師をしていると伝えましたが、住所や細かい事教えていません。だから――」
「名前と高校で美術教師をしているなんて情報があれば、その気になれば興信所こうしんじょでもなんでも使ってすぐに割り出せます。ほぼ全て伝えているようなものではないですか。そして、実際に先生の元にあの絵が届いた。いや、絵でなくても、例えば危険なものでも届いていたんです。はっきり言って、小島先生の考えは軽率です。いえ、きっと、本当はあの絵が池内先生に届くことを願っていたのではないですか」
 月原の強烈な視線に、ついに小島は目を伏せてしまった。どうやら肯定のようだ。
「小島先生、あなたはその女性から、あのひまわりの絵を送りたいと、そう相談をされた時に今回の一連の流れを思いついた。だから、回りくどいですが、少しその気になれば、全てが分かるような情報を渡した。その結果その女性は池内先生の元に絵を送り届けた」
「それが、いけない事ですか? 僕は、池内さんと、進。どちらにも傷ついて欲しくなかった。だから――」
「だから、なんだと言うのです。それは先生一個人の勝手な感情です。池内先生を騙し、操り、結局は何がしたかったんですか。あなたのやっている事は全て中途半端です。隠すことも、全てを伝える勇気も無く、ただあだに嘘をつき、結局はこうして全て露呈ろていするんです。そして余計に傷つくのは誰です? 恩師に騙され、愛人かもしれない人に個人情報を渡され、肝心のあちらの情報は何も伝えてくれない。さあ、もう一度言ってください。あなたは、池内進と――誰を傷つけたく無いと?」
 今度こそ、小島は観念したように手で顔を覆った。その体はいつもより小さく見えたのは気のせいだろうか。しかし、華名子の目にはかつての恩師が――汚い何かに写ってしまった。
「――そうですね。私は……一体何をしたかったんでしょうか」
「知りません。興味もありません。ただ、このままで終わるなら、あなたは池内先生にとって最低の師として終わります」
 小島は大きく溜息をすると、華名子に視線を向けた。
「池内さん――君には本当に申し訳無い事をしたと思います。しかし、それでも聞かせて欲しいのです。君は、あの女性の名前を聞いてどうするのですか」
 どうする。そんな事どうして聞くのだろう。
 母を、自分を捨てていった父が、よそに作った女だ。母は最後まで父の帰りを待っていた。好きだと言ってくれた男がいるのも知っていた。再婚の話しがあった事も。しかし、その話を全て蹴ったのだ。いつしか帰ってくる父の為に。
 華名子はそんな母の姿をいつも見ていた。愚かだとも思った。でも、そんな母と同じで、華名子自身もいつか父が――そう思っていたのだ。
 どうするか――本当の、してやりたい事を言ったら、小島はきっと教えてくれないだろう。

「――どうもしません。理由は話せませんが、私たちはあの絵の事を知る必要があります。作者であるあの男がもう、この世にいないなら、その人だけが手がかりです。お願いします先生」
 華名子は、能面のような表情で小島に言った。おそらくこれが、小島と最後に交わす言葉になるかもしれない。

 華名子は全てが許せなかった。
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