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忘れるものと、忘れないもの2
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腕の力は弱まることなく、ただ私を強く抱きしめる。ギルバート様はなにも話そうとしない。私は全身をギルバート様の香りと体温に包まれながら、ぐすぐすと子供のように泣いている。
部屋には私の泣き声と、時計の針がカチカチと動く音だけが響いていた。
「……俺だって、お前に忘れてほしくねぇよ」
長い沈黙を破ったのは、ギルバート様のか細い声だった。
「でも俺は、人間が来るなんて初めてのことでなにもわからなかった。前例がなかったからな。焦った俺は、ダールベルク家に代々伝わる書物に従うことしか考えてなかった。先のことなんて、ひとつも考えてなかったんだ。……だから俺は、お前がシャルムにやってきてすぐ、外に出ると記憶がなくなる魔法をこっそりかけていた」
「……その書物に、記憶を消せと書かれていたんですか?」
「そうだ。シャルムは元々魔法使いのためだけに、クラウス・ダールベルクが作った国。万が一外部の人間が迷い込んだ場合、シャルムの存在を知られないために、その者の記憶を消すことが定められている。そしてこれは、ダールベルクの血を引く俺の役目。……なぜなら、記憶を消すという掟を知っているのも、人の記憶を消す魔法を扱えるのも俺だけだからだ。だから、ほかの奴らはリアーヌの記憶が消えることは知らない」
「……じゃあ、フェリクスが知っていたのはどうして?」
さっき、この話を最初にギルバート様に振っていたのはフェリクスだった。ダールベルクの血縁者でない彼が、なぜこのことを知っていたのだろう。
「フェリクスは――どういうわけか、昔からそのことを知っていたんだ。多分、前国王である俺の父親が書物を見せたか、内容の一部を話したんだと思う。フェリクスは幼い頃からかなり大人びていて、頭も良く仕事ができた。俺もあいつのことはこの世で一番信用している。……もし俺が今回みたいな異例の事態に巻き込まれ迷ったときに、尻を叩く役割を、父はフェリクスに託したのかもな」
ニーナやエミーを含む城の仲間、魔法長のひとたちすら知らないのか。
でもフェリクスは最初から知っていた。それなのに、フェリクスは初期の段階から私にすごく友好的に接してくれていた。
「フェリクスは、どうしてあんなに私に優しくしてくれたんだろう。私はフェリクスのこと忘れるのに。いくら仲良くなっても、それが無になることを知りながら、どうして……」
「あいつは最初、記憶が消えることなんて気にしてなかったんじゃないか。ただ純粋に人間のお前に興味があって、人間が来たことでシャルムにどんな影響が出るのかにも興味があった。それだけだったんだと思うぞ。この先記憶が消えてしまおうが、今一緒に過ごす時間が楽しければいいと考えてた。なのに……思ったよりもお前のことを気に入ってしまったのは、フェリクスも誤算だったんだろうな」
「……フェリクスが、私のことを?」
「あいつは表情や態度に出さないだけで、内心かなり寂しがってると思うぞ。だから……同じ気持ちの俺のことが心配になったんだ。〝このままリアーヌと別れていいのか〟って。それは、フェリクスも同じだったと俺は思う」
ギルバート様もフェリクスと同じように……?
私はギルバート様の体から少しだけ離れて、ギルバート様の顔を見上げた。腕の力は弱められ、私たちは座ったまま正面に向かい合う形になった。
ギルバート様の体温を感じられなくなったのが、ちょっとだけ寂しい。
「つまり……ギルバート様もフェリクスも、寂しいと思ってくれてるんですか? 私が記憶をなくすこと、嫌だって思ってくれてるんですか?」
「当たり前だろ! そう思ってなきゃこんなに悩まねぇ。俺だって予想外だったんだ。お前なんてさっさとルヴォルツに帰っちまえって思ってたのに、今は帰らないでほしいって思ってる」
ギルバート様がそんな風に思ってくれていたことも、記憶のことで悩んでいたことも、私は知る由もなかった。
私だって、叶うことならシャルムにいたい。でも、私にはルヴォルツにも大切なひと達がいる。三ヶ月間ずっと、私を待ってくれている家族がいるのだ。
〝必ず帰る〟と約束したからには、絶対その約束は守ると決めている。
ギルバート様も私のその想いには気づいているのだろう。だから〝ここに残ってくれ〟なんて言葉を、絶対に言ってこないのだ。
「記憶が消えるのは私だけ? シャルムのみんなは、私のことを覚えているの?」
それとも、私のことは綺麗さっぱり忘れてしまうのだろうか。
「いや。俺が消すのはリアーヌの記憶だけだ。シャルムのやつらは覚えている。俺もフェリクスも、ほかのやつらだって、リアーヌと一緒にいた三ヶ月間のことは絶対忘れない」
「……そっか。みんなが覚えていてくれるなら、この楽しかった日々が完全になくなるわけじゃないんですね」
「ああ。俺たちの記憶の中にはちゃんと、お前という存在は残ったままだ」
私はみんなのことを忘れて、みんなは私のことを覚えている。
ギルバート様とフェリクスは私が忘れることを知っていて、ほかのみんなは忘れることを知らない。
忘れるものもいれば、忘れないものもいて。
知ってるものもいれば、知らないものもいる。
なんだか全員寂しくて、切ないお別れだ。
一度離れ離れになっても、またみんなに会えると当然のように思っていた。
いつか人間と魔法使いは一緒に暮らすようになって、シャルムと人間界を行き来できるようになる。そんな未来を、これから私とシャルムのみんなで作っていけるんじゃないかと、根拠もないのに信じていた。
でも唯一シャルムに来た人間の私がシャルムのことを忘れてしまえば、その願いはどうなるのか。
いちばんそれを夢見ている私が魔法使いの存在を忘れたら、その願いごとなくなってしまう気がした。
人間と魔法使いの共存なんてものは、夢のまた夢なんじゃないのか。
――なぜギルバート様は記憶のことを知っていて、私の共存なんて提案を頭ごなしに否定しなかったのだろう。
「ねぇギルバート様、記憶って、絶対消さなきゃいけないんですか?」
私の頭にふと、そんな疑問がよぎる。
「魔法をかけたのがギルバート様なら、解くことだってできるでしょう? シャルムに迷惑をかけるようなことはしません。外に出て黙っておけと言われたら、私はシャルムのことを絶対に口外しない。そしたら、私はシャルムのことも、みんなのことも覚えていられます……!」
どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのかと、言いながら私は思った。
ギルバート様はダールベルクの血がどうとか難しく考えていたけど、そもそも今のシャルムのルールを決める権利は国王であるギルバート様にあるはずだ。
微かな希望の光が見えた気がして、私は涙も止まり、やっといつも通りのポジティブな私を取り戻せそうになっていた。
しかし、ギルバート様の表情は曇ったままだった。
「ギルバート様? ……まだなにか、大きな問題があるんですか?」
「……俺だってお前が言ったことが可能なら、すぐにそうした。でも無理だ」
「ど、どうしてですか?」
「……魔法の解除方法がわからねぇ」
「解除方法?」
ギルバート様が言うには、記憶を操作する魔法は普段は禁忌魔法とされ、使うことなど絶対にないらしい。
今回初めて使った結果、ダールベルクに伝わる書物や他の魔法書をどれだけ漁っても、解除方法が載っていなかったという。
どうやら一度記憶に関する魔法をかけてしまった時点で、後戻りできる術は今の時点ではないようだ。
なにもかも、手遅れだったということか。
「そっか……だったらもう……仕方ないですよね」
そんな言葉で済むほど、軽いことではない。
でも、こうなることを予測できずに、ただ言われた通りに役目を果たそうと私に記憶操作の魔法をかけたギルバート様がいちばん後悔していることが見ていてわかった。
私に言うか言わまいか、ずっと悩んで、心苦しかっただろう。
受け入れたくはない。あきらめたくもない。
だけど私が駄々をこね、これ以上嘆くことは、打つ手のないギルバート様を責めているのと同じことだ。
「……仕方ないってなんだよ。もっと俺を責めたっていいのに。偉そうになんでもできると言っておいて、自分がかけた魔法すら解除できない。勝手に魔法をかけたことも、それを今まで黙ってたことも、無力なことも、全部俺のせいなのに」
ギルバート様はあっさりと話を受け入れる私に戸惑っていた。この部屋に入ってきたときから、私に責められることを覚悟していたのかもしれない。
「ギルバート様は悪くないです。だって、きちんと役目を果たしただけだもの。……悲しくてつらいけど、仕方ないじゃないですか。私にできることなんて――悔しいけどなにもないんですから。ギルバート様を責める権利が、私にあるはずない。受け入れる以外、私にできることなんて――」
事情も知らず、自分のことだけ考えて泣いたことが情けなくて恥ずかしくなった。
私は下を向いて、しわくちゃになったメイド服の裾をぎゅっと握る。
「お前、なにもかもあきらめたみたいな言い方してるな。あれだけ言ってたのに。記憶が消えるとわかれば、シャルムと自分はもう無関係って思ってんのか」
「……え?」
上から降ってきたギルバート様の物言いに、私は違和感を感じた。なにもかもというのが、記憶以外のことも指しているように思えたのだ。
顔を上げギルバート様を見た。ギルバート様は長い前髪を掻き上げて、小さく深呼吸をすると、また口を開く。
「俺は、何百年も同じ日々を過ごしているシャルムが、遂に一歩踏み出すときがきたのかもって……お前のせいで思うようになった。あまりにも綺麗な目で、想像もしなかった未来を、手を伸ばせば届くところにあるように言うから」
「……それって、大昔と同じように、魔法使いと人間が共存する世界のことですか?」
「……」
バツが悪そうに視線を逸らすということは、図星だろう。
一緒に過ごしてきたから、ギルバート様の反応を見ればそんなことはすぐにわかった。
冷め切っていた胸の奥が、じわじわと熱を取り戻していくような感覚がする。
ギルバート様の言う通り、私は全部をあきらめていた。
唯一シャルムの存在を知る人間の私の記憶を消されてしまえば、もう人間と魔法使いが交わる世界などありえないと。
なぜ私は、自分が架け橋となることだけを考えていたのか。
シャルムが――ギルバート様が外の世界へ歩み寄る可能性を、ひとつも考えなかったの。
過去、魔法使いが絶滅しかけた事実がある限り、魔法使い側から人間との共存を再度試みることがどれだけ難しいかは私でもわかる。でも私はそんな未来を夢見て、魔法長会議のときにそのことを提案した。
ギルバート様も、最終的にその未来を共に思い描いてくれた。つまり――
「ギルバート様は共存する未来をあきらめてないんですね⁉︎」
私は身を乗り出し、おもわず大声を上げてしまった。
「……あーくそっ! これだから人間は! 魔法使いが人間から逃げた理由が、お前と関わってよくわかった! 全部お前のせいだ! 一国の王がひとりの人間に絆されまくりだ! ふざけんな!」
ギルバート様は観念したように、同じく声を張り上げて言い返してきた。
「えぇ? そんなこと言われても! ていうかこたえになってないし! 誤魔化すってことは図星ですね!」
「うるせぇ! さっきまでピーピー泣いてたくせに、急にいつもの調子に戻るな!」
「その言葉そっくりそのままお返しします! さっきまでのシリアスモードはどこへ行ったんですか! ……ふふっ!」
言い合いしながらも、私の表情には自然と笑顔が戻っていた。
――ギルバート様は、私よりもずっと未来のことを考えてくれていたのかもしれない。私たちが思い描いた未来を実現するために。
「それよりリアーヌ! お前、ひとつ大きな勘違いをしてんじゃねーだろうな!?」
「……勘違い、ですか?」
「記憶がなくなるからって、俺たちが二度と合えなくなるわけじゃねぇ。ったく、一生の別れみたいな反応するから、俺もその雰囲気に飲まれただろ……」
「……じゃあ、私はまた、シャルムのみんなに会えるんですか?」
記憶はなくなってるから、また一から関係を築くことになるけれど……。
「そうだ。フェリクスとも、俺とも……ほかの奴らともまた会える。そのときは、なんとしてでもお前の記憶を俺が呼び起こしてやる。偶然でシャルムに迷い込んできた人間だ。そんなの奇跡に近い。お前なら、また奇跡だって起こせる」
「ギルバート様……」
「だからもう泣くな。いいな? ……大丈夫だ。俺はお前がルヴォルツに戻っても――ずっとお前を覚えてる」
ギルバート様は、今まででいちばん優しい声色でそう言って、私の頬に温かな手を添えた。
あと数日もすれば、この温かさも忘れてしまう。でもそれまでは、この温かさをずっと覚えて、体に刻んでおきたい。
いつかまたギルバート様に触れたとき、すぐにこの手のぬくもりを思い出せるように。
「はっはい……もう泣きませ……っ……うわぁぁん!」
「言ったそばから泣くな!」
「これは悲しいとかじゃなくて、ギルバート様が優しいせいですっ! いつも鬼みたいなのに! 馬鹿!」
「……はぁ。普段ならその幼稚な暴言は見逃しておけねぇが、今だけは許してやる」
明日からは、残りの日々を大事に生きていこう。泣くのは今日で最後だ。
だから今だけは、ギルバート様の優しさに甘えたい。ギルバート様のそばにいたい。
泣いてる私も、怒ってる私も、笑ってる私も、全部さらけ出す。
――私のどんな表情も、忘れないでほしいから。
部屋には私の泣き声と、時計の針がカチカチと動く音だけが響いていた。
「……俺だって、お前に忘れてほしくねぇよ」
長い沈黙を破ったのは、ギルバート様のか細い声だった。
「でも俺は、人間が来るなんて初めてのことでなにもわからなかった。前例がなかったからな。焦った俺は、ダールベルク家に代々伝わる書物に従うことしか考えてなかった。先のことなんて、ひとつも考えてなかったんだ。……だから俺は、お前がシャルムにやってきてすぐ、外に出ると記憶がなくなる魔法をこっそりかけていた」
「……その書物に、記憶を消せと書かれていたんですか?」
「そうだ。シャルムは元々魔法使いのためだけに、クラウス・ダールベルクが作った国。万が一外部の人間が迷い込んだ場合、シャルムの存在を知られないために、その者の記憶を消すことが定められている。そしてこれは、ダールベルクの血を引く俺の役目。……なぜなら、記憶を消すという掟を知っているのも、人の記憶を消す魔法を扱えるのも俺だけだからだ。だから、ほかの奴らはリアーヌの記憶が消えることは知らない」
「……じゃあ、フェリクスが知っていたのはどうして?」
さっき、この話を最初にギルバート様に振っていたのはフェリクスだった。ダールベルクの血縁者でない彼が、なぜこのことを知っていたのだろう。
「フェリクスは――どういうわけか、昔からそのことを知っていたんだ。多分、前国王である俺の父親が書物を見せたか、内容の一部を話したんだと思う。フェリクスは幼い頃からかなり大人びていて、頭も良く仕事ができた。俺もあいつのことはこの世で一番信用している。……もし俺が今回みたいな異例の事態に巻き込まれ迷ったときに、尻を叩く役割を、父はフェリクスに託したのかもな」
ニーナやエミーを含む城の仲間、魔法長のひとたちすら知らないのか。
でもフェリクスは最初から知っていた。それなのに、フェリクスは初期の段階から私にすごく友好的に接してくれていた。
「フェリクスは、どうしてあんなに私に優しくしてくれたんだろう。私はフェリクスのこと忘れるのに。いくら仲良くなっても、それが無になることを知りながら、どうして……」
「あいつは最初、記憶が消えることなんて気にしてなかったんじゃないか。ただ純粋に人間のお前に興味があって、人間が来たことでシャルムにどんな影響が出るのかにも興味があった。それだけだったんだと思うぞ。この先記憶が消えてしまおうが、今一緒に過ごす時間が楽しければいいと考えてた。なのに……思ったよりもお前のことを気に入ってしまったのは、フェリクスも誤算だったんだろうな」
「……フェリクスが、私のことを?」
「あいつは表情や態度に出さないだけで、内心かなり寂しがってると思うぞ。だから……同じ気持ちの俺のことが心配になったんだ。〝このままリアーヌと別れていいのか〟って。それは、フェリクスも同じだったと俺は思う」
ギルバート様もフェリクスと同じように……?
私はギルバート様の体から少しだけ離れて、ギルバート様の顔を見上げた。腕の力は弱められ、私たちは座ったまま正面に向かい合う形になった。
ギルバート様の体温を感じられなくなったのが、ちょっとだけ寂しい。
「つまり……ギルバート様もフェリクスも、寂しいと思ってくれてるんですか? 私が記憶をなくすこと、嫌だって思ってくれてるんですか?」
「当たり前だろ! そう思ってなきゃこんなに悩まねぇ。俺だって予想外だったんだ。お前なんてさっさとルヴォルツに帰っちまえって思ってたのに、今は帰らないでほしいって思ってる」
ギルバート様がそんな風に思ってくれていたことも、記憶のことで悩んでいたことも、私は知る由もなかった。
私だって、叶うことならシャルムにいたい。でも、私にはルヴォルツにも大切なひと達がいる。三ヶ月間ずっと、私を待ってくれている家族がいるのだ。
〝必ず帰る〟と約束したからには、絶対その約束は守ると決めている。
ギルバート様も私のその想いには気づいているのだろう。だから〝ここに残ってくれ〟なんて言葉を、絶対に言ってこないのだ。
「記憶が消えるのは私だけ? シャルムのみんなは、私のことを覚えているの?」
それとも、私のことは綺麗さっぱり忘れてしまうのだろうか。
「いや。俺が消すのはリアーヌの記憶だけだ。シャルムのやつらは覚えている。俺もフェリクスも、ほかのやつらだって、リアーヌと一緒にいた三ヶ月間のことは絶対忘れない」
「……そっか。みんなが覚えていてくれるなら、この楽しかった日々が完全になくなるわけじゃないんですね」
「ああ。俺たちの記憶の中にはちゃんと、お前という存在は残ったままだ」
私はみんなのことを忘れて、みんなは私のことを覚えている。
ギルバート様とフェリクスは私が忘れることを知っていて、ほかのみんなは忘れることを知らない。
忘れるものもいれば、忘れないものもいて。
知ってるものもいれば、知らないものもいる。
なんだか全員寂しくて、切ないお別れだ。
一度離れ離れになっても、またみんなに会えると当然のように思っていた。
いつか人間と魔法使いは一緒に暮らすようになって、シャルムと人間界を行き来できるようになる。そんな未来を、これから私とシャルムのみんなで作っていけるんじゃないかと、根拠もないのに信じていた。
でも唯一シャルムに来た人間の私がシャルムのことを忘れてしまえば、その願いはどうなるのか。
いちばんそれを夢見ている私が魔法使いの存在を忘れたら、その願いごとなくなってしまう気がした。
人間と魔法使いの共存なんてものは、夢のまた夢なんじゃないのか。
――なぜギルバート様は記憶のことを知っていて、私の共存なんて提案を頭ごなしに否定しなかったのだろう。
「ねぇギルバート様、記憶って、絶対消さなきゃいけないんですか?」
私の頭にふと、そんな疑問がよぎる。
「魔法をかけたのがギルバート様なら、解くことだってできるでしょう? シャルムに迷惑をかけるようなことはしません。外に出て黙っておけと言われたら、私はシャルムのことを絶対に口外しない。そしたら、私はシャルムのことも、みんなのことも覚えていられます……!」
どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのかと、言いながら私は思った。
ギルバート様はダールベルクの血がどうとか難しく考えていたけど、そもそも今のシャルムのルールを決める権利は国王であるギルバート様にあるはずだ。
微かな希望の光が見えた気がして、私は涙も止まり、やっといつも通りのポジティブな私を取り戻せそうになっていた。
しかし、ギルバート様の表情は曇ったままだった。
「ギルバート様? ……まだなにか、大きな問題があるんですか?」
「……俺だってお前が言ったことが可能なら、すぐにそうした。でも無理だ」
「ど、どうしてですか?」
「……魔法の解除方法がわからねぇ」
「解除方法?」
ギルバート様が言うには、記憶を操作する魔法は普段は禁忌魔法とされ、使うことなど絶対にないらしい。
今回初めて使った結果、ダールベルクに伝わる書物や他の魔法書をどれだけ漁っても、解除方法が載っていなかったという。
どうやら一度記憶に関する魔法をかけてしまった時点で、後戻りできる術は今の時点ではないようだ。
なにもかも、手遅れだったということか。
「そっか……だったらもう……仕方ないですよね」
そんな言葉で済むほど、軽いことではない。
でも、こうなることを予測できずに、ただ言われた通りに役目を果たそうと私に記憶操作の魔法をかけたギルバート様がいちばん後悔していることが見ていてわかった。
私に言うか言わまいか、ずっと悩んで、心苦しかっただろう。
受け入れたくはない。あきらめたくもない。
だけど私が駄々をこね、これ以上嘆くことは、打つ手のないギルバート様を責めているのと同じことだ。
「……仕方ないってなんだよ。もっと俺を責めたっていいのに。偉そうになんでもできると言っておいて、自分がかけた魔法すら解除できない。勝手に魔法をかけたことも、それを今まで黙ってたことも、無力なことも、全部俺のせいなのに」
ギルバート様はあっさりと話を受け入れる私に戸惑っていた。この部屋に入ってきたときから、私に責められることを覚悟していたのかもしれない。
「ギルバート様は悪くないです。だって、きちんと役目を果たしただけだもの。……悲しくてつらいけど、仕方ないじゃないですか。私にできることなんて――悔しいけどなにもないんですから。ギルバート様を責める権利が、私にあるはずない。受け入れる以外、私にできることなんて――」
事情も知らず、自分のことだけ考えて泣いたことが情けなくて恥ずかしくなった。
私は下を向いて、しわくちゃになったメイド服の裾をぎゅっと握る。
「お前、なにもかもあきらめたみたいな言い方してるな。あれだけ言ってたのに。記憶が消えるとわかれば、シャルムと自分はもう無関係って思ってんのか」
「……え?」
上から降ってきたギルバート様の物言いに、私は違和感を感じた。なにもかもというのが、記憶以外のことも指しているように思えたのだ。
顔を上げギルバート様を見た。ギルバート様は長い前髪を掻き上げて、小さく深呼吸をすると、また口を開く。
「俺は、何百年も同じ日々を過ごしているシャルムが、遂に一歩踏み出すときがきたのかもって……お前のせいで思うようになった。あまりにも綺麗な目で、想像もしなかった未来を、手を伸ばせば届くところにあるように言うから」
「……それって、大昔と同じように、魔法使いと人間が共存する世界のことですか?」
「……」
バツが悪そうに視線を逸らすということは、図星だろう。
一緒に過ごしてきたから、ギルバート様の反応を見ればそんなことはすぐにわかった。
冷め切っていた胸の奥が、じわじわと熱を取り戻していくような感覚がする。
ギルバート様の言う通り、私は全部をあきらめていた。
唯一シャルムの存在を知る人間の私の記憶を消されてしまえば、もう人間と魔法使いが交わる世界などありえないと。
なぜ私は、自分が架け橋となることだけを考えていたのか。
シャルムが――ギルバート様が外の世界へ歩み寄る可能性を、ひとつも考えなかったの。
過去、魔法使いが絶滅しかけた事実がある限り、魔法使い側から人間との共存を再度試みることがどれだけ難しいかは私でもわかる。でも私はそんな未来を夢見て、魔法長会議のときにそのことを提案した。
ギルバート様も、最終的にその未来を共に思い描いてくれた。つまり――
「ギルバート様は共存する未来をあきらめてないんですね⁉︎」
私は身を乗り出し、おもわず大声を上げてしまった。
「……あーくそっ! これだから人間は! 魔法使いが人間から逃げた理由が、お前と関わってよくわかった! 全部お前のせいだ! 一国の王がひとりの人間に絆されまくりだ! ふざけんな!」
ギルバート様は観念したように、同じく声を張り上げて言い返してきた。
「えぇ? そんなこと言われても! ていうかこたえになってないし! 誤魔化すってことは図星ですね!」
「うるせぇ! さっきまでピーピー泣いてたくせに、急にいつもの調子に戻るな!」
「その言葉そっくりそのままお返しします! さっきまでのシリアスモードはどこへ行ったんですか! ……ふふっ!」
言い合いしながらも、私の表情には自然と笑顔が戻っていた。
――ギルバート様は、私よりもずっと未来のことを考えてくれていたのかもしれない。私たちが思い描いた未来を実現するために。
「それよりリアーヌ! お前、ひとつ大きな勘違いをしてんじゃねーだろうな!?」
「……勘違い、ですか?」
「記憶がなくなるからって、俺たちが二度と合えなくなるわけじゃねぇ。ったく、一生の別れみたいな反応するから、俺もその雰囲気に飲まれただろ……」
「……じゃあ、私はまた、シャルムのみんなに会えるんですか?」
記憶はなくなってるから、また一から関係を築くことになるけれど……。
「そうだ。フェリクスとも、俺とも……ほかの奴らともまた会える。そのときは、なんとしてでもお前の記憶を俺が呼び起こしてやる。偶然でシャルムに迷い込んできた人間だ。そんなの奇跡に近い。お前なら、また奇跡だって起こせる」
「ギルバート様……」
「だからもう泣くな。いいな? ……大丈夫だ。俺はお前がルヴォルツに戻っても――ずっとお前を覚えてる」
ギルバート様は、今まででいちばん優しい声色でそう言って、私の頬に温かな手を添えた。
あと数日もすれば、この温かさも忘れてしまう。でもそれまでは、この温かさをずっと覚えて、体に刻んでおきたい。
いつかまたギルバート様に触れたとき、すぐにこの手のぬくもりを思い出せるように。
「はっはい……もう泣きませ……っ……うわぁぁん!」
「言ったそばから泣くな!」
「これは悲しいとかじゃなくて、ギルバート様が優しいせいですっ! いつも鬼みたいなのに! 馬鹿!」
「……はぁ。普段ならその幼稚な暴言は見逃しておけねぇが、今だけは許してやる」
明日からは、残りの日々を大事に生きていこう。泣くのは今日で最後だ。
だから今だけは、ギルバート様の優しさに甘えたい。ギルバート様のそばにいたい。
泣いてる私も、怒ってる私も、笑ってる私も、全部さらけ出す。
――私のどんな表情も、忘れないでほしいから。
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※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。
※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。
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