上 下
28 / 35

忘れるものと、忘れないもの1

しおりを挟む

 ギルバート様と神秘の森に行って、すごく楽しくて、なんだかとても幸せで――夢心地な気分のまま意識は途切れ、気づいたときには、自分の部屋のベッドにメイド服のまま寝かされていた。

 途中で寝てしまったことに気づき、私はベッドから飛び起きると急いでギルバート様を探しに行った。

 ――ここまで私を運んでくれたの、ギルバート様しかいないわよね。謝ってお礼を言わないと。

 神秘の森で、せっかくギルバート様があんなに優しく笑いかけてくれたのに……私ったら、何度ギルバート様を怒らせればいいのだろう。

 ギルバート様の部屋へ向かうと、フェリクスの後ろ姿が見えた。
 部屋の前で、ふたりでなにか話している。
 なんだか真剣な面持ちだったので、私は邪魔をしたらいけないと思い、本能的にサッと壁の後ろに隠れた。

 ――ここで出直す選択をしていたら、私はなにも知らないまま、シャルムを去っていたのだろうか。

 盗み聞きをするのはよくない。そんなことはわかっていた。でも、話しかけるタイミングを窺っていた私は必然的にふたりと距離が近くて、自然と会話が聞こえてしまったのだ。

「リアーヌに言わないつもりか」
「……それは」
「彼女は、シャルムから出た瞬間ここでの記憶をすべて忘れてしまうんだぞ。そしてそれをするのは、お前の役目だろう。できるのか、今のお前に」

 その言葉は、一瞬でわたしの頭の中を真っ白にした。
 
 今、なんて……?
 忘れる? 私が?
 
 信じられないような事実に耳を疑う。いや、未だに信じられない。……信じたくないというほうが、正しいのかもしれない。
 
 黙って知らないふりができるほど、私は大人ではなかった。
 私はふたりの前に飛び出して、今の話が本当なのかを問いただす。

 私がいるのを勘付いて、フェリクスが冗談を言ったにちがいない。ギルバート様も、それに乗っかっているだけ。
 いつもみたいに、私をからかって遊んでいるだけ……そんな希望を微かに抱いていたのに。

「私……ここでのこと忘れちゃうの? 嘘だよね?」

 その時のギルバート様のフェリクスの表情を見たら、本当かどうかなんてすぐにわかった。

 それでも尚、認められるのが怖かったのだ。
 ふたりが認めてしまえば、私も真実だと受け入れなくてはならない。
 自分から聞いたのに、真実を聞くのが怖いなんて矛盾している。
 私はこれ以上ここにいられる勇気がなくて、ふたりの前から走り去った。

「リアーヌ!」

 ギルバート様が私の名前を呼ぶ。その声は切羽詰まっているような、なんとも悲痛な叫びだった。


 部屋に戻り、私はひとりでベッドに顔を伏せ泣き崩れた。
 
「うっ……うぅぅー…」

 こんなに泣くのはいつぶりだろう。そして、こんなにつらいのも……。
 肩が震えて、嗚咽が漏れる。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 私の頭の中は、その言葉で埋め尽くされていた。

 忘れるなんて嫌だ。ここでの生活は私にとって夢みたいで、この先も一生忘れたくない大切なものだ。

 シャルムで過ごした日々は、私の宝物だ。

 その宝物を奪われるなど耐えられない。しかも――ギルバート様に。

 きっと最初からそうすることは決まっていたのだろう。だったらなぜ、今まで黙っていたのかがわからない。
 ギルバート様は、私がシャルムを……みんなのことを忘れても、どうでもいいってこと?

 考えれば考えるほど、ベッドのシーツに涙でできた染みが広がっていく。
 そのまま部屋に引き篭もって泣いていると、扉を乱暴にノックする音が聞こえた。

「リアーヌ、開けろ!」

 扉の向こうから、ギルバート様の声がした。
 いつもならすぐにその要求に応えるが、今日はそうはいかない。というか、こんな重大なことを知ってしまった以上、もう以前のように接するなんて不可能に近い。

「む、無理ですっ!」

 泣きながら返事だけすると、少しだけ間があいた。

「……どうしてもだめか? ちゃんと話したいことがあるんだ」
「今は、無理です! 私は話すことありません……! だってっ……!」
「……なんだよ」
「話したって、どうせ忘れちゃうのに……!」
「……」

 なにを言われても、その未来が変わらないなら意味がない。
 せっかく心配して訪ねてきてくれた相手を追い返すのはよくないとわかっている。それでも、今はギルバート様の話を冷静に聞いていられる状況にない。

 しばらくなんの返事もなかったので、あきらめて帰ってくれたのかと思っていると、急にまた扉をノックされた。突然のことに、私の体はビクッと跳ねる。

「最後にもう一度聞く。リアーヌ、ここを開けて話を聞いてくれないか」
「だから、無理です……!」
「……そうか、わかった」

 やっとあきらめてくれた。そう思っていると――。

「じゃあ、魔法で強制的に開けさせてもらう」
「……へ?」

 なにを言い出したのかと思い顔を上げたその瞬間、バンッ! という大きな音と共に、ものすごい突風が部屋に入り込んできた。

 ギルバート様の風魔法の威力を以てば、部屋の鍵など関係ないらしい。こんなことが許されるなんて、魔法使いのいる世界に果たしてプライバシーというものが存在するのか疑問だ。

 そういえば、フェリクスも私の部屋に何度か勝手に入ってきたし、思い返せば元々部屋の鍵なんて無意味だったことに気づく。
 フェリクスはギルバート様専属執事と言われているが、地位的には王城を仕切るトップの執事にあたるので、すべての部屋が開く鍵を所持しているのだ。……それを緊急事態でもない私用で使うのはどうかと思うけど。

 強制的に開かれた扉から、ギルバート様がずかずかと私の部屋に入ってきた。さっきの突然の風魔法の衝撃で、私の涙は一瞬にして引っ込む。
 しかし私が部屋で泣いていたというのは一目瞭然で、ギルバート様はベッドのそばで膝をついている私を見て、なんともいえない表情をした。

 ギルバート様は私の前までやって来ると、同じ目線になるように屈み、大きな手を私の頭の上に乗せた。

「……悪かった。泣かせるようなことして」
「……」
「記憶のこと、言うべきなのか言わないべきなのかずっと悩んでたんだ。……いや、俺自身が、言うのが怖くて目を逸らしてた」
「……じゃあ本当に、私は外に出たらシャルムのことを忘れるんですね」
「ああ。そうだ」

 誤魔化すことなく、ギルバート様ははっきりとそう言った。
 これでもう、私は記憶のことが真実だと認めざるを得ないというわけだ。

 この三ヶ月間のことを、私は忘れてしまう。

「……だったら、優しくしないでください! もう私に必要以上に関わらないで!」

 優しく頭を撫でるギルバート様の手を振り払い、私は後ずさる。ギルバート様は驚いた顔をしたあと、眉をひそめた。 
 二度も私なんかに拒むような態度をとられ、さすがに気分を悪くしたのかもしれない。
 だとしたらそれでいい。嫌われたほうがマシだ。最初みたいに冷たくされたほうが、私も未練が残らずに済む。
 そうよ。始めからそうしてくれればよかったのに。

「……こんなに一緒にいたら、今更なにをしたってもう手遅れじゃない」
「……リアーヌ?」

 未練が残らないようにするには遅すぎて、未練が残らないようにするには、私はみんなと深く関わり合いすぎた。

「……忘れたくない。私、忘れたくないわ。シャルムのことも、魔法のことも、街のひとや魔法長のみんな、このお城のみんなのこと……ニーナや……フェリクスだって」
「リアーヌ、」

 引っ込んだはずの涙が、またぽろぽろと溢れ出す。

 拒否したはずのギルバート様の手に今度は自ら手を伸ばし、震える指先でその手に触れた。

「ギルバート様のことだって、私、忘れたくない……!」
「――っ!」

 その瞬間、ギルバート様は私の腕を掴むとそのまま引き寄せて、私を強く抱きしめた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

さっさと離婚したらどうですか?

杉本凪咲
恋愛
完璧な私を疎んだ妹は、ある日私を階段から突き落とした。 しかしそれが転機となり、私に幸運が舞い込んでくる……

義兄は私のストーカーだったようであるからして

みけねこ
恋愛
幼い頃に父を失った主人公、落花伊織の母はある日、再婚を決意する。再婚相手には落花伊織と同い年の息子がいて__?

今世ではあなたと結婚なんてお断りです!

水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。 正確には、夫とその愛人である私の親友に。 夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。 もう二度とあんな目に遭いたくない。 今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。 あなたの人生なんて知ったことではないけれど、 破滅するまで見守ってさしあげますわ!

よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

【完結】悪役王女は裏で動くのがお好き

みやちゃん
恋愛
アンロック王国第一王女ミルアージュは、わがままで好き勝手に振る舞う事で有名だった。ついに、隣国の王太子との婚約破棄をされた上、女王になるために自国の王太子である義弟の暗殺未遂事件を起こした。 処刑予定であったが、それを心優しい王太子の温情により国外追放のみだった。 ミルアージュは行方不明‥ 平和になったアンロックで何が起こっていくのか

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

前世の祖母に強い憧れを持ったまま生まれ変わったら、家族と婚約者に嫌われましたが、思いがけない面々から物凄く好かれているようです

珠宮さくら
ファンタジー
前世の祖母にように花に囲まれた生活を送りたかったが、その時は母にお金にもならないことはするなと言われながら成長したことで、母の言う通りにお金になる仕事に就くために大学で勉強していたが、彼女の側には常に花があった。 老後は、祖母のように暮らせたらと思っていたが、そんな日常が一変する。別の世界に子爵家の長女フィオレンティーナ・アルタヴィッラとして生まれ変わっても、前世の祖母のようになりたいという強い憧れがあったせいか、前世のことを忘れることなく転生した。前世をよく覚えている分、新しい人生を悔いなく過ごそうとする思いが、フィオレンティーナには強かった。 そのせいで、貴族らしくないことばかりをして、家族や婚約者に物凄く嫌われてしまうが、思わぬ方面には物凄く好かれていたようだ。

処理中です...