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ヤンデレのダークホースがいた

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「エクトル様……?」

 いつも優しく微笑んでくれるエクトル様が、こんなにも怖い顔をするなんて。
 目の前にいるエクトル様は、私が今まで見てきた人とはまるで別人だ。冷たい視線を浴びせられ、体が凍ったように動かなくなる。

「……僕は君を信じていた。でも、そんな僕が間違っていたことがよくわかったよ。君は……いや、君たち兄妹は、僕のことを馬鹿にしているのか。僕はリアムのかわりか? 寂しさの埋め合わせに利用されただけか? 全部含めて、君たち兄妹が仕組んだシナリオだったのか?」
「そんな、私は」
「じゃあこれはなんだ!? 虫に刺されたとでもいうつもりか。だとしたらとんでもない害虫だな。人の婚約者に、こんな見せつけるような場所に痕をつけるなんて……」

 エクトル様は最初から気づいていたのか。私とお兄様が一緒にいたことを。私がなにか、隠そうとしていたことを。

「今朝、君とリアムは目配せをしていたな。僕の目の前で。そんなに熱い夜だったのか? ……なにをしていたのか言え。リアムに抱かれたのか?」

 軽蔑するような目。いつもより低い声。
 エクトル様がこんな風に怒るなんて知らなかった。すべてを正直に言わないとなにをされるかわからない恐怖を感じる。
 どちらにせよ、エクトル様にはちゃんと話そうと思っていた。怒られて当然。罵られて当然。でも、こんな展開になるとは思っていなかったのだ。

「抱かれていません……。昨日は、お兄様が部屋に来て、雷が怖い私を落ち着ける為にそばにいてくれて……エクトル様との仲を嫉妬したお兄様に、この痕をつけられました。……私が拒まなかったのも事実です……本当にごめんなさい」

 ちゃんとしゃべれているか不安なほど、たどたどしい話し方になってしまった。エクトル様は鼻で笑い、心底呆れたように言う。

「僕は君のことを汚してはいけない天使のような存在だと思っていたが、とんだ勘違いだったようだ。ただの淫乱女だったとはね」

 首元のキスマークに、エクトル様がギリギリと爪を立てる。痛みで顔が引きつるが、同じように、エクトル様も苦しそうな顔をしていることに気づいた。

「……なんで僕だけを見てくれない? どうしたら、僕はリアムに勝てるんだよ…!」
「っ!」

 な、なんだこれ。ヤンデレキャラがよく言うセリフトップ10に確実に入るようなこの言葉を、まさかエクトル様が言うなんて。
 予想外だったエクトル様のヤンデレへの可能性に私はこんな状況にも関わらず興奮してきて、思わずハァハァと呼吸を荒くしてしまう。
 だめよミレイユ! 変態だと思われるじゃない! 自分に言い聞かせていると、エクトル様が私のそんな様子に気づき眉をひそめた。

「なに息を荒くしてにやついているんだ。僕の滑稽な姿が、そんなにおもしろいのか」
「ちがい、ますっ……むしろっ……」
「ちゃんと言え。僕に隠し事をするな」
「今のエクトルさまっ、すごく、素敵です……!」
「……なんだって?」

 より一層、エクトル様の眉間の皺が濃くなった。
 そりゃそうだろう。組み敷かれ、服を乱暴に引きちぎられ、爪を立てられ罵られる。そんなことをする相手に向かって〝素敵です〟なんて、頭がおかしいと思われて当然といえる。

「ごめんなさいエクトル様。私はこういう女なんです。……エクトル様と一緒になって私も改心する予定でした。でも無理なんです! 前世から変わらず私はこういう女なんですごめんなさい」

 後半はやたら早口だし前世なんて意味不明なことまで言って、エクトル様の顔がどんどん険しくなっていく。私だって、さっきからずっと自分がなにを言っているかよくわかっていない。

「……こういうってのがよくわからないが、優しいだけの僕は、愛せなかったということか」
「……ご、ごめんなさい。エクトル様と、本当に幸せになりたいと思ってたんです。でも私がお兄様を突き放せなくて、結果的に、エクトル様をこんなに傷つけて」
「強引で独占欲が強くて執着心の塊で、あんなどうしようもない男を選ぶ時点で察するべきだった。君たち兄妹を純愛と思っていた頃の自分を殴りたいよ。……君たちふたりとも、頭がおかしいんじゃないか?」
「おっしゃる通りです。すみません」
「すぐに認めないで、その弱い頭で言い訳くらい考えろ」

 なんだこのドSっぷりは。聞いてない。エクトル様にそんな裏設定はなかったはず。Sキャラはどちらかというとお兄様の担当だ。

「……あんな頭のおかしいリアムといたから、ミレイユはこうなったんだ」

 いえ。私も元々おかしかったんですエクトル様。

「君はリアムから離れるべきだ。このままだとミレイユは不幸になるだけ。だから、僕が君を更生させる」
「……へ?」
「ミレイユを僕がまともな人間にしてやるって言ってるんだ」
「あのー……エクトル様、私のこと嫌いになったんじゃ……」
「……」
「……あの?」
「……僕をこんなにして、理想も打ち砕かれて、だから責任とって僕といるべきなんだ」

 両肩を掴まれ、思い切り力を込められる。指の食い込む感触が、エクトル様の必死さを物語っていた。
 
「エクトル様……」

 痛みや興奮や自責の念。いろんなことを感じながら、私はエクトル様を見つめる。

「……そんな瞳、初めて見た。いつもそんな潤んだ瞳で、リアムのことを煽ってたんだね。今更僕に使ってどうする? 僕のことも煽ってるのか? ……今度ほかの奴にそんな目をしてみろ。許さないからな」

 鋭い視線に全身が震えあがる。でもこれは恐怖というより、喜びに近かった。 
 エクトル様、私にお仕置きをしているようですが、全部ご褒美になっています。

「エクトル王子! リアム様がいらっしゃってます!」

 扉を叩く音がし、向こう側から使用人の声が聞こえる。
 ――お兄様、私のことを迎えに?

「ちっ。追い返せ」
「で、ですが、物凄い形相で王宮に乗り込んできたので……誰も止められそうにないです」

 王宮の使用人や兵士が凄むなんて、一体どんな顔をしていたのか気になる。

「どうせミレイユを取り戻しにきたんだろ。……いいかミレイユ。チャンスをあげよう。きちんとリアムに別れを告げるんだ。僕を選んだと。その後王宮までひとりで僕に会いに来い。そうしたら、僕は全部を許そう。君のしたことすべて。僕がまだ知らないこともあるだろう。でも、全部許してやる。僕は君との婚約を破棄しない。リアムを選ぶと言うなら――そうだな。僕の力でひとつの公爵家を潰すのは容易いことを覚えておくんだな」
「……それは、脅しですか?」
「まさか。提案だ」

 エクトル様は私から退くと、扉の向こうにいた使用人になにか指示をして、別の洋服を持って来させた。
 受け取った服をベッドにいる私に差し出す。破れたブラウスのまま外に出すわけにはいかないので、着替えろということだろう。
 言うことを聞き、自分が着ていたブラウスよりも遥かに生地のいい服に袖を通す。
 着替え終わると、エクトル様はまた強引に腕を引いて私を立ち上がらせた。

「汚らわしい痕を増やして帰ってきてみろ。――僕は次こそ力ずくで、君をめちゃくちゃにしてやる」

 首元に手を当て、エクトル様は私の耳元で囁いた。
 
 そんなこと言われたら、試してみたくなるじゃないか! はっ、いけない……。我慢よ我慢。私はこれ以上、話をややこしくしたくないのだから。

 私はそのままエクトル様に手を引かれ、お兄様のところまで連れて行かれた。






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