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どうしてこうなった

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「戻ろうか」

 気まずい空気を断ち切るように、エクトル様は明るい声で私に言った。
ゲームでは結構軽めな告白だったのに、今回のは私にまでエクトル様の本気度が伝わってくるほど真剣なものに感じられた。

 つらいのはエクトル様のほうなのに、こんな場面でも私を気遣うその姿に、またちくりと心が痛む。

 全然王宮に遊びに行かなかったから、エクトル様の私に対する好感度はたいして上がっていないと思い込んでいたけど――知らないところで、エクトル様が私を気にするきっかけを作ってしまっていたとは。

 ふたりで大広間に戻ると、私を捜しているリアムお兄様の姿があった。すぐに私を見つけ、駆け寄って来る。

「ミレイユ! ……エクトル王子と一緒にいたのか」
「ひとりでいたら、エクトル様が声をかけてくれたの」
「そうか。王子、ありがとうございます。俺の妹を」

 〝俺の〟という部分を強調してお兄様は言うと、エクトル様の隣にいた私の手を引いて、すぐに自分の元へ引き寄せた。わかりやすい牽制に、エクトル様は苦笑を漏らす。

「いや。僕も実に有意義な時間だったよ。……それじゃあね、ミレイユ」

 エクトル様は軽く手を振って、颯爽と私たちの前から去って行った。

「お兄様、ネリーはもう大丈夫なの?」
「え? ああ、もう話は済んだから。〝明日までに婚約の返事をしてほしい〟と急かされてたいへんだったよ」
「そう。でも、女性を待たせるのはたしかにいいことではないわね」
「……ミレイユは、王子となにを話していたんだ?」
「え、えっと……ちょっとここでは、話しづらいわ」

 私が言い淀んだことに引っかかりを感じたのか、お兄様はすぐに「帰ろうか」と言い出す。
 私の返事も聞かずにあっという間に大広間を後にして、気づけば馬車に乗り込まされていた。
 まだ夜会の最中で王宮内は賑わっていて、挨拶も済ませていないというのに、そんなことはお構いなしだ。

「……ここなら、俺しかいないから話せるだろう」

 馬車に揺られながら、お兄様はすぐに話を戻す。よほど気になっているようだ。

「実は――エクトル様に、婚約を申し込まれて」
「なんだと!?」

 声を荒げながら反射的に立ち上がってしまったお兄様は、低い馬車の天井に頭をぶつけた。
 鈍い音がし、お兄様は痛みで一瞬声をなくす。頭を押さえながら改めて座り直すと、何事もなかったかのように、腕を組んで話を続けた。

「それで、ミレイユはなんて返事を……?」
「お断りしたわ」

 即答する私に、お兄様は少し驚いている。

「保留にもせず断ったのか? エクトル王子とは仲も良かったし、悪い話ではなかっただろう。どうして……」
「ふふ。それは、お兄様がまだ私に結婚は早いって言ったからよ」

 冗談っぽく笑いながらお兄様に言うと、お兄様は呆れたような、でも安心したような顔をして、大きく息を吐いた。

「俺の言うことを聞いて王子との婚約を断るなんて……まったくミレイユは」

 「仕方がない妹だ」と言いつつも、さっきよりも声が弾んでいる。
 向かい合って座っていたのに、わざわざお兄様は私の隣に移動してきた。
 肩が触れ合う距離にいるお兄様をじぃっと上目遣いで見つめると、お兄様はなにも言わずに私の頭を優しく抱き寄せる。
 そのまま髪を優しく撫でられ、私は身を預けるようにお兄様の肩に頭を乗せた。

「ミレイユがこうやって甘えるのは、まだ俺だけの特権ってことだな」

 私の行動に気をよくしたのか、お兄様は優し気な声で囁いた。
 髪を撫でる大きな手は温かく、触れられるだけで満ち足りた気持ちになれる。やっぱり私にはリアムお兄様しかいないと、私はこのとき再確認した。

 私のこの話を聞いたことにより、お兄様もネリーとの婚約を断るはず。明日、シナリオ通り両親がラブラブ国外旅行に出かけることになれば、お兄様ルートに入ったことは確定だ。


◇◇◇


「突然だけど私たち、今日から一か月ほど屋敷を留守にするわ! 夫婦水入らずで、国外を周ってみようと思って」
「お前たちも大人になったし、安心して屋敷を任せられると思ってな。土産をたくさん買ってくるから、楽しみに待っていてくれ」

 次の日、予想は的中した。
 両親が旅行へ行くイベントは無事発生し、しばらくの間、屋敷には私とお兄様と使用人のみとなる。

 よしっ! お兄様個人ルートに突入だわ!

 お兄様は両親のあまりに急な行動とラブラブっぷりに呆然としていたが、すぐに笑いながら話を受け入れていた。
 話すと面倒なことになりそうなので、昨日私がエクトル様から婚約の話をされたことは、私とお兄様だけの秘密にしている。断ったなんて知られたら、両親だけでなく使用人たちにも責め立てられそうだし、エクトル様自身も私に婚約を断られたなんて話を広められたくないだろう。

「来月のミレイユの十八歳の誕生日までには戻るから、屋敷をよろしくね」
「ええ。任せてお母様。お兄様とふたりなら、私も安心よ」

 両親を見送りながら、お兄様とのふたりきりの日々に胸を弾ませていると――。

「そうね! 二人というか、三人になるわね」
「え?」
「きっとネリーが遊びに来るだろうから、仲良くやるのよ。ミレイユ」
「はい?」

 お母様が意味不明なことを言い出した。
 なぜネリーが遊びに来るの? 婚約を断られた相手の屋敷に遊びに来るなんて、どれだけ強靭なハートの持ち主なんだろうか。
 首を傾げる私の肩を、後ろからお兄様がぽんと叩く。振り返ると、お兄様が私を見て笑いながらこう言った。

「ミレイユ、俺、ネリーと婚約したんだ」
「…………!」

 開いた口が塞がらない。なにか言おうとしてもうまく喋れず、ただ唇が震えるだけ。

 なんで。どうして。旅行イベントが起きたということは、間違いなくお兄様ルートに入っている。
 その場合、お兄様はネリーとの婚約を断ったことをここで私に告げるはず。お兄様が婚約するのはエクトル様かイヴァン様ルートのみで、その場合はそもそもこの旅行イベントは発生しないし、私も昨夜の婚約を断ってなどいない。

 なのに、ネリーと婚約したって?

 なにをどこで間違えてこんなことになったのか、さっぱりわからない。
 ネリーはお兄様とふたりきりだった時間に、お兄様の心を射止めたというの? だったら、馬車でのあの甘いひと時はなんだったの?

 目の前で微笑む愛しい人が、私ではない人のものになったと理解した途端、目の奥が熱くなってきた。
 でも、ここで泣くわけにはいかない。両親も使用人も見ている。私にできるのは、ほかの人と同じように、お兄様を祝福することだけ。

「そうだったの。おめでとう。お兄様」

 必死に笑顔を作り、震える声で精一杯強がった。

「ありがとう、ミレイユ」

 お兄様、昨日夜会でミレイユに色目でも使われたの? 婚約しろと脅されたの? ねぇ、どうして? 
 そしてこれは、一体誰ルートに入っているの?
 まさか、誰のルートにも入れず、私が主人公の物語は終わりを告げたということなのか。

 私はなめていた。この世界はうまくやれば、簡単にシナリオ通りに動くと思っていた。

 でも、前世とちがってこれはもうゲームじゃない。現実だ。私がとる些細な行動で、簡単に用意されていたシナリオは新たな未来に上書きされていく。

 ――果たして私は、お兄様とバッドエンドを迎えることが、この世界でできるのだろうか。
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