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閑話

新婚旅行2

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第九十五話 【閑話】新婚旅行 2

━━━━━━
 慧side

 蒼がサインをもらった色紙を胸に抱きしめて、遠くに走っていくRX7を見つめ…涙を流してる。 
 神社にお参りして、ご飯食べて、嵐のように去っていった雨男のレーサーさん。
 千尋がミニPCで裏情報を仕入れようとしたけど全然出てこなかった。…謎が多い人だけど、公式のレーサーとしてメディアにもたくさん露出してる人だから問題はないだろうけどさ。

「神さま…」
 ぽそりと呟く蒼の涙を拭って思わず苦笑いになる。

「こんな事あるんだね」
「うん…うん…」

 彼が走り去った後、大きな虹が空に浮かぶ。
 雨男で有名な彼の代名詞であるそれが空に輝きを宿している。

「私、人生でこんなに神様に感謝したことあんまりないかも。すごい…旅行に来てよかった…」

「「「複雑だ」」」
 
「ふふ、ごめんね。さ、湖まで行って、伊香保に行こう。温泉入りたいなぁ」
 みんなで頷き、車に乗り込む。

 

「湖までは運転するから」
「はぁい。お願いしまぁす」
「なんか喋り方移ってない?」
「独特な喋り方だったな」
「そう?かわいいよね、のんびりしたお喋りだったなぁ」

 

 千尋が運転席、蒼が助手席。俺と昴は後部席。
 雨上がりの山道をスイスイ登っていく。
 豪雨の後で誰もいない坂道。カーブのたびに黒いタイヤ痕がある。

「こりゃ走ったね」
「すごい…ブレーキポイントがこんなに短いの…すごい」
「走った痕でわかるの怖いんだけど」
「うふふ…」

 蒼が夢中で道路を眺めてる。
 昴は拗ねたような顔で頭の後ろを手を組んで、ふんぞりかえってるし。

 

「俺の知らない蒼がいるのが気に食わん」
「千尋は知ってるよね、私のアカウント消したし」
「あぁ。すごい数投稿してたから…罪悪感がまだある」

 蒼が微笑んで、色紙の文字をなぞる。
 
「私はもうやらないよ。あれはお仕事でしてたから。毎日毎日、お客さんが帰ったあとおにぎり齧りながら必死でやってたから。あの忙しさはちょっとトラウマかも」

「そんなに忙しかったの?」
「うん、写真撮った後に明るく加工して、お店の名前つけて、複数サイトに投稿してるとあっという間に次のお客さんの時間が来る。
 忙しかったけど…達成感はあったかな」

 遠い目をしてる蒼。その苦労を無にしてしまったのは俺たちだ。重い沈黙が車内に落ちる。


 
「あのままネイリストしてたら…私はこんな風に自分のことを知ることもなかったし、旦那様達に出会えなかったし、車に乗ることもなかった。大切な人たちに出会えなかったと思うから…出会えた事にすごく感謝してるの。私を見つけてくれた昴にもね。
 人との出会いって、すごい奇跡だと思う。道端ですれ違うことですらしない人の方が多いのに…私はこんなに幸せで、一生を共にできる人を三人も貰えて…もう少し神様に感謝しないといけないなって思った」

 蒼がまた涙を一粒こぼす。
 駐車場に車を止めた千尋がそれを拭って、涙ぐむ。
 俺もうっかり泣きそうになってる。
 昴はシートに顔を押し付けてるし。

 

「私泣き虫になっちゃった」
「うん…蒼が嬉しくて泣くのは凄くいい。心を癒してくれる天使の涙だから、宝石みたいにキラキラしてるんだ…その輝きが世界で一番愛おしい。蒼は涙で幸せを分けてくれてるんだよ」
 
「「「うっ…」」」
「なんだよ、その反応。」

 千尋の得意技にやられたんだよ。言ってる事は分かるけど、言葉のチョイスが毎回とんでもなくクサイんだ。全く…。


 
「湖のほとりを歩いて記念写真でも撮るか?俺たちも写真撮れる身分になったしな」
「あっ!そうなの?そうしよ、家族写真だね?」
「そうだな。初めての家族写真も悪くない」

 二人が警察を辞めたから写真も今後は撮り放題だ。たくさん写真を残して…蒼の姿形を記録するものは必要だ。
 俺と昴の子はお留守番だけど。また来ればいいよね。うん。

「三脚持ってきてるんだよな」
「カメラもな」
「一眼レフカメラ買ったんだよね」

 車から降りて、蒼の手を握りながらエスコートする。
 蒼は自分で車のドアを開け閉めするのはレースの時だけになった。俺たちが拗ねるからそうしてくれてるのはわかってるけどやめられない。

「また高いもの買ったの…?」
「子供のためにも必要でしょ?」
「それは確かにそうかも…」
「うんうん」

 腕に絡みついてくる蒼に微笑みかけながら、微妙な顔を眺める。
 高いもの買うと文句言うの、かわいいよね。
 今後も気づかれないように買い足さなくちゃだけど、お小言もらうの好きだからバレるのもまたいい。
 

 
「わー!すごいねぇ、大きい湖…紅葉も始まってるね。すごーい!!」
 
 湖面を渡ってくる風が冷たい。その風に髪をそよがせて、蒼が目を瞑る。
 青く澄み渡る空は晩秋を表している。
 高く遠く広がる空に黄色や赤の葉っぱが飛んでいく。
 蒼が俺たちのところにやってきて数年が経つ。
 時間の流れがここまで濃密だった事なんて、なかったな。

 
 湖面がわずかに波立ち、キラキラ光を弾いて波が岸に押し寄せる。
 厚めのストールで頭から蒼を包み込んで、顔だけ露出させる。

「あったかいねぇ」
「持ってきてよかった。北関東は寒いね」
 
 昴がホッカイロを取り出して、蒼に手渡す。
 
「ボディーウォーマーの真ん中にポケットがあるだろ?そこに入れてくれ」
「そうなの?おお!便利だねぇ」
「そうだろう」
 
 蒼がストールの中でモゾモゾして、ホッカイロを収納したようだ。

 
 
「俺だけ何にもない」
「千尋はさっきので体があっついからいいの」
「それならいいか…」

 交代ごうたいで蒼と手を繋ぎ、湖のほとりを歩く。
 誰もいない。俺たちだけの時間が静かに過ぎていく。

「こう言うの、いいね…」

 蒼の小さな声に頷く。
 うん、凄くいい。静かな風で起こる湖の波音に、さやさやと木々の枝葉を揺らす音。都会では感じられない地球の息吹を感じる。


 
 ゆっくり歩いていると、謎の桟橋が現れた。
 …なんで?地面の上だよここ。川があるわけでもないのに。そして多分これは…。

「聖地!!!」
 
 蒼が叫んで橋の上に歩いていく。
 うん、そうだよね、見覚えある。
 
「そうなのか?」
「なぜ地面の上に橋が」
「謎だねぇ」
「ここで!写真を!撮ります!」
「「「はい」」」


 
 三脚を設置して、画角を定める。橋の真ん中で湖を背にして三人が佇んでる。
 
 俺の大切な人たち。
 昴も、蒼も、千尋も…。俺たちは家族だ。
 蒼を中心として成り立つ歪な形の家族だけど、誰一人としてなくしたくない、自分の命より大切な人たち。

 だめだな、蒼じゃないけどいちいち泣きそうになる。子供が生まれてから涙腺が緩んでるみたいだ。
 こんどは子供達も連れてこよう。

 タイマーを押して、走り出す。
 蒼の後ろに並んで、頭の上に顔を乗せた。

 
 
「この格好が定位置でずっと行くの?」
「そうだな」
 右側から、蒼の手を繋いだ昴がくっついてくる。俺の肩に手を回して来た。
 
「決まりでもないだろ?独占時は慧の位置がいい」
 左側からも千尋が蒼と手を繋いで肩に手が回って来る。

「俺はここがいいよ。みんなにくっつけるし蒼が抱えられる特等席だ」
 蒼のお腹を抱え、幸せにゆるむ顔をそのままにする。

 シャッターが降りても、離れたくない。
 くっついたまま密かな笑いが落ちて、幸せを固めたような心地に酔いしれた。

━━━━━━

 
「ははぁ…なるほど…それで三日間なの…」
「うん」
「初日はじゃんけんなの、なんか面白いね」
「ここは公平に行かないとね?」

 当番のじゃんけんに勝利した俺は浴衣を着て、蒼がこたつに入っているのを眺めている。
 ふた部屋をとって、三日間ここに泊まる。当番はじゃんけんで決めて蒼を夜だけ独占できる。
 他の人がいないから夫たちだけで旅行中は蒼を独占できると言うわけだ。

 
 
 随分前に交換した髪ゴムでお互いポニーテールにして、客室に付いている露天風呂にお湯が張られるのを待ってる。温泉の露天風呂がついてるってすごいよね。
 タオルを畳んでこたつのそばに置く。蒼を抱えて足先をこたつに突っ込んだ。

「なぁんでそこなの?あったかくないでしょ?」
「ううん、あったかいよ。蒼の体にくっついてるから」
「そぉ?うーん。」

 ふかふかのこたつ布団が暖かい中の温度を足先に伝えてくる。
 浴衣越しに触る蒼の体温は体だけじゃなくて心も暖めてくれる。
 凄くあったかいよ。

「色紙ずっと持ってると傷んじゃうよ?」
「それは良くないね…」

 レーサーさんからもらったサインをずっと抱えてる蒼がようやく手を離した。
 ご本人が色紙をちゃんと持ってるのがすごいよね。サイン済みのを複数持っていたけど名前を入れてくれるために新しく書いて、蒼に渡してくれた。
 彼もいい人だ。蒼の大好きな人がまた増えたけど。


 
「あっ!みて!!!イソスタ更新してる」
「そういえば載せていい?って言ってたね」
 
 彼のイソスタには千尋の車と彼のRX7が写ってる。
「レーサーちゃんと邂逅しました。次のレース遊びに行こうかな。楽しみだなぁ。また会おうね!だって」
「ふぁぁ…」

 
 
 蒼と彼の話はかなり専門的だった。彼自身も一度だけスポット参戦したことがあるらしく、ノウハウを聞いて何かのインスピレーションをもらったみたいで、大興奮していた。
 蒼自身は人懐こいけど、宗介の橋渡しがなければ他のレーサーとは自分から近づかないから。
 線引きがきっちりしている蒼は中々厳し目のレーサーさんだ。
 

「コメントすごぉい…」
「ほんとだ。みんなすごい反応してるけどマセラティってすごい車なの?」
 
「そだねぇ。お値段もさることながらアクセルの癖が強いし、スポーツカーに慣れてないと事故を起こしちゃうかもね」
「へぇ…俺の車とは違うんだな…」
「慧の車だってポルシェだからスピリットは同じだよ。ポルシェはブレーキの神様だから」
 
「そうなんだ…うーん」

 昴も千尋もスポーツカーを所持してるから蒼に所望されることが多い。
 蒼の車はみんなで出かけるのは厳しい。 
 後部席が狭いんだ。子供も乗れないしねぇ。


 
「車買おうかな…」
「だ、だめ!スポーツカー増やす気でしょ!」
「だって…蒼が好きなのスポーツカーじゃん。俺の車にあんまり乗らないのはやだ」
「そんなことないでしょ?子供達を乗せるなら慧の車だもん」
 
 「あっ、そうか…んーでもデートの時は使いたいでしょ?都会ならいいけど、二人で乗るなら趣味の車があってもいいし」
 
「うーんうーん。うーん。セキュリティレベルは良かったけど、また増やすならイモビにしなきゃダメな気がする…標準装備されてるのは千尋の車だけだし…監視カメラを増やして…車庫もシャッター付きにして…うーん」
 
 蒼が思考の海に潜ったようだ。考えてること全部口に出すから可愛くて仕方ない。
 スマホを握ったまま唸る蒼を抱きしめて、肩から顔を出してじっと横顔を見つめる。


 
 髪の毛伸びたなぁ。出会った時は肩に触れないくらいだったのに、今は腰くらいの長さになってる。
 耳の横からチョロンと出た後毛がかわいいな。

 今ごろ千尋と昴は何してるのかな。俺も明日は千尋と、明後日は昴と寝ることになるんだけどさ。
 …そういえば俺の直前に誰かが蒼に手出しをしていない状況って初めてでは…?
 ……なるほど、これは危ない状況だ。

「ねーえ?戻ってきた?」
「はっ」
 
 ふと気づくと、蒼がじっとこちらを見ている。
 いつもと逆のパターンだ。

 
「ごめん、ちょっと考え事してた」
「そうなの?珍しいね」
「うん…」
 手出しされてない蒼をどうこうしようと考えてたとかいえない…。気まずい気がして目を逸らす。目線の先におにぎりが見える。夕食で食べきれなかったご飯を握ってくれたんだよね。
 
「お腹すいたの?」
「あれだけゴージャスなお夕飯食べたらお腹一杯だよ。おにぎりはまだ入らないな…」
 
 宿について駐車場に車を止めたら、お迎えの人が玄関先にゾロゾロ揃ってお出迎えしてくれて。お香が炊かれたウェイティングルームで宿帳を記入しながら美味しいお茶と和菓子が出てくるし、お夕飯はもう…凄かった。
 高級宿って気遣いも高級なんだな…知らなかった。


 
「そうだねぇ、明日も明後日もゴージャスなご飯なの…贅沢だよね。お肉もお刺身もフルーツも食べた事ないくらいすごかったし」
「確かに」
 
「あのあれ…黒い粒々のやつ…あれは不思議だった」
「キャビアって言ってたね」
 
「それ!チョウザメの卵って…すごいね、どうしてあれを食べようとしたんだろうね」
「本当にね。昴も千尋も知ってたけど、俺と蒼は初めてのものだらけでびっくりしてばっかりだった」

 二人でくすくす笑いながら、額をくっつける。
 普通の旅行と言えるかはわからないけど…こうやってのんびりお家じゃないところで過ごせるのは本当に贅沢なことだと思う。


 
「お腹空くこと、しない?」
「えっ?」
「露天風呂は私たちだけしか使わないでしょ?」
「はっ、あ…はい」
「もう入れるよ」
「うん…」

 蒼に手を引っ張られて立ち上がり、露天風呂のガラス戸を開く。
 目の前に檜のお風呂、とろとろ流れるお湯がたっぷり注がれて湯気がたってる。
 
「…これは結構外から見えるねぇ」
「階段も見えてるけどいいのかな…」

 高い壁に囲まれてるけど、部屋から見るとお風呂の外は普通に人がいる。距離があるから見えないのかもしれないけど。

「「うーん」」

 ぱたん、と窓が閉められる。

「もうちょっと暗くなってからにしよ?」
「その方が良さそうだね」

 

 蒼が部屋の明かりを落として、灯りが間接照明だけになる。
 …どうしたんでしょうか。

「慧さん。私安定期に入りましたよ」
「うっ、な、なに…それ…ちょ…」

 浴衣姿でそれを言われると…ドキドキしちゃうでしょ。
「慧…新しいの持ってきたでしょ。カバンから見えた」
「はっ!あっ、あの…」

 バレた。新しい道具を…持ってきています。
 持ってきた俺の浅ましい願望を知られてしまって顔が熱くなる。

「あれ、なあに?」
「…その…まだ言えない」
「どうして?私に使おうと思って持ってきたんでしょ?当番なんだから今日使わないと」
「うぅ…」

「んふふ」
 蒼に手を引っ張られて、鞄を手にして小上がりに敷かれたふわふわの布団に座る。


 
 蒼がじっと覗き込んでくる。
 そんなに見ないで…。
 顔を逸らすと、膝の上に蒼が乗ってくる。

「慧…」
「ん…」
 
 傷跡の残った頬に口付けられて、自分のスイッチが入る。
 蒼の頭の後ろを抱えて、布団の上に寝っ転がる。お互いの髪ゴムを解き、ベットサイドに置いた。
 両手を繋ぎ止め、ギュッとにぎると左手も右手もいつもと違う感触が伝わってくる。…指輪が一つになっていることに気づく。

「指輪…」
「夜は慧だけの奥さんだから、いつものやつね」
「う…」

 恥ずかしそうに微笑みながら蒼が頰を朱に染める。
 両手を伸ばしてきた蒼を迎えて、唇に触れる。
 俺だけのって言った。俺だけの奥さんだって。
 押さえ込んでいた独占欲に火がつく。
 俺以外のものを視界に入れたくない。
 誰にも触らせたくない。
 
 

「慧…」
 
 浴衣の紐を引っ張って、腰の合わせを緩める。
 肌に触れると蒼が深いため息をつく。

「あれ、しないの?」
「いいの?ちょっとハードなやつなんだけど」
「いいよ。私もだいぶ慣れてきたでしょ」
「うん…」

「まずは手錠ですね?」
「は、はい…」
 
 両手を差し出され、髪の毛を枕に広げた蒼が微笑む。本当にいいのかな…。
 
「俺、独占欲どんどん強くなってるんだよね…大丈夫かな…」


 
 ふわふわの手錠を蒼にはめる。
 妊娠中にするときは、こっちの柔らかいやつを使うんだ。蒼もパターンを熟知してるから今更驚きはしない。
 両手を繋ぐと輪っかの間にある重い鎖がじゃらっと音を立てた。
 片手でその手を掴んで、蒼の目を見る。
 ゆらゆら揺れる瞳が楽しそうな色をしてる。
 大丈夫かなぁ、これ…。危険だなぁ…。

「痛いことする?」
「ううん。そうじゃないよ。…大丈夫そうなら、蒼がなにも見えないようにしようかな、って。痛いのはしたくない」

 蒼の手を繋いだふわふわがやけに扇情的に見える。頭の上にそれを置いて、自由が効かなくなった蒼を見てるとゾクゾクする。

「目隠しするの?それもいいけど…痛くてもいいよ?慧なら」
「だめ。かわいがりたいの」
「ふふ…ドキドキしてきちゃった」

 微笑む蒼の首筋にキスマークを残して、目を瞑る。

「慧がしたいこと、いっぱいしよ」

 燻っていた火に燃料を投下された俺は、理性の糸を断ち切った。
 
 
 
 

 
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