短編集

吉川佳織

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未来手帳-前編

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栄子は自分に自信が持てないでいた。

とにかく、不測の事態に弱い。
もちろん、この世に生きるすべての人が、人生の一歩先を明かりも照らさず歩いているのだから、不測の事態とは日々起こって然るべきなのだ。
だからこそ人は、経験や知識から予測と予防を施し、「いざ」というときに備えるものである。

それは当然、栄子にも当てはまる。ただ、これで良いのかという不安を、毎度抱えてしまうのだ。

万全を備えることは難しい。
それでも何とかなる、やれるだけやったと開き直り、失敗しても仕方ないと割り切る人。
または、万全でなくてはならないと思いつめ、その気持ちが不安をさらに駆り立て、「いざ」失敗してしまうと、「なんて自分はダメなのだろう」と鬱ぎ込む人に別れるだろう。

栄子はまさしく後者にあたる人間だ。自分に自信が持てない、それが失敗の連鎖を生ずるとわかっていても、もはや自信を持つきっかけすら見当たらないのであった。


今日もまた、些細な出来事が栄子の予測の範疇を越えてしまう。「この位のこと、何故事前に調べておけないのか」と叱責され、おっしゃる通りと肩を落としていた栄子を、同期の美香が夕食に誘った。

ガヤガヤと騒がしく、全席半個室。女2人、気取らずに会話ができる、そんな居酒屋チェーンが2人の行きつけだ。

「ほんとやになっちゃう。私なりに色々考えて仕事してんのになぁ。」

酒が進むと、栄子は美香に愚痴をこぼしてしまう。
これはいつもの事で、この愚痴を酒の肴にと言って話を聞くのが美香の気遣いでもあるのだ。

「私は栄子が頑張ってるの知ってるよ。だからもっと自信持ちなよ。」
美香の言葉に、栄子は思わず視線を落とす。
「自分でもわかってるんだけどさぁ、いっそのこと、未来が全部見えちゃえば良いのになぁって、思っちゃったりもして。」
そう呟きながら、テーブルに突っ伏してしまう。

美香は、そんなのつまんないよと呟きながら立ち上がり、トイレに行くと伝えて席を離れた。

「つまんなくても、そっちのほうが楽じゃん。」

ぼんやりとグラスを眺める栄子。そろそろお開きかなと考えも巡っていた。

「少し、いいですか。」

聞き慣れない男の声に、栄子は慌てて上体を起こした。視線を半個室を遮るカーテンの方へ向けると、その隙間からスーツ姿の男の足下が見えた。

「あ、お寛ぎのところ申し訳ない。私、隣の席のものなんですがね。少し、あなたの声が聞こえたもので。これ、良かったら使って下さい。ほんとに良いものですから。」

そう言いながら男は、カーテンの隙間から黒い革張りの手帳を差し出し、テーブルに置いた。

「使い方は最初のページに書いてあります。それでは。」

そうとだけ言い残すと、男はその場を去っていった。怪しむ以前に、その男の一方的な行動に戸惑い、言われるがままに手帳を受け取ってしまった。

気味が悪いという感情よりも、知らない人から物を貰えないという気持ちから、カーテンを開けて顔を通路側に覗かせる。スーツ姿の男性は通路に数人立っていて、どの男が手帳を置いていったのかはわからない。
こんな時、自分に自信が持てない人は、大きな声で呼び止めることすらもできないのである。
それとほぼ同時に、美香がこちらへ戻って来る姿も見えた、体勢を元に戻し、手帳を鞄にしまい、美香を待ち構える。

「なんか外覗いてた?」

美香は戻るなり尋ねる。

「美香、遅いなって思って」

考えも無く、ついさっきの出来事を隠してしまった。
そろそろ帰ろっか、そう言って美香が支度を始めると、栄子も、そうだねと同調した。

自信が持てない人とはとにかく、栄子のような行動を取りがちだ。
人に心配や迷惑をかけられない。人の厚意を無碍にできない。そこには主体性を欠いた自分がいる、ということを理解していないのに、流されやすい性格だと客観視する。


結局栄子は、家に帰るとその手帳を開くことになる。

最初のページの一行目には、
「この手帳は、あなたの未来をサポートする手帳です。」
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