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英雄奪還編 前編
五章 第十七話 人間嫌いの男
しおりを挟む「戦争を終わらせるだと? 本気で言ってんのか」
ローグは隠すことなく怒りの表情を浮かべ、ネフティスの目を強く睨んだ。
「本気も何も、相手国の戦力など知れておる」
「確かに、昨日見たお前たちの治癒魔法は見たことねえよ。魔法もろくにできねえ俺から見てもお前らが強えってのは分かる。だがな、万に一つでも死ぬ可能性があれば駄目なんだよ。死んだら何もかも終わりだ。ガキどもの親も前の攻撃で何人も死んだ。もうそいつらの誰も戻ってこねえんだよ、あんなちっせえのにもうあいつらに親はいねえ」
メイルは黙ったままで教会の中にある部屋からは暖炉からのパチパチという火の音だけが聞こえていた。
「確かに死んでしまえば何もかもが終わってしまう。わしでさえ死んでしまったものを生き返らせることは容易くない。ならばローグよ、お前は何もしないのか。何もせずただ敵に蹂躙され続けるというのか」
「それは····」
「ならばお前も戦え、どんな形でも構わない。自分の意志で動こうとする者にのみ変化は訪れる。たとえ非力であろうとも自分にできることをやり尽くせ。それに何より、戦争は終わるために存在するからな」
ネフティスの言葉にローグは静かになり、再び教会の部屋からは暖炉からの音が聞こえてきた。メイルは何も言わないまま優しく笑みを浮かべてネフティスの顔を見た。
(ネフティス様、珍しい。普段はこんな熱くならないのに)
(聞こえておるぞ)
「ローグ兄ちゃん、何してるの!」
その時、部屋の中に元気な少年が入ってきた。そして少年は黙って座っていた三人の空間に少し頭を傾げながらローグの前まで近づくとにっこりと笑った。
「まあ少し待て。この前来たばかりだからしばらく敵は攻めて来ねえはずだ。俺はガキどもの面倒を見なきゃいけねえからもう行くぞ」
「では私たちは集落を一通り回って皆さんの様子を見ることにしましょうか」
二人はローグと別れると集落を回った後、空中を浮遊しながら集落周辺の様子を観察して敵の気配を感じないことを確認した。
(どうやらこの様子ではまだ時間がありそうだな。直接攻めに行くか、それともこの場所にしばらく止まるか)
その時下にいるローグの姿が目に入った。ローグは昨日と変わらず止まることなく働き、積もった雪を退けていた。
(力の無いものはあまりにも愚かだ。わしならば一瞬で終わるようなことも短い寿命の一部を使い、時間を浪費する。ならばあやつらが生きる理由はなんだ。なんのために、何を求めて生きている。なぜこれほどまでに命とは不平等なものなのか)
「ネフティス様、どうでしょう。しばらくこの集落にいませんか?」
「······うむ、お主が言うのは初めてだな。ならば攻め込むのは後にするか」
そのためネフティスとメイルの二人はその後も集落にしばらく身を置くことにした。メイルはそのことを伝えると集落に住むもの達は二人のことを歓迎し、快く迎え入れた。正直言ってネフティスにとってはここの集落は研究対象としてはあまり満足できるものではなかった。ただほんの少しの興味本位で人族というものをしばらく観察することにしたのだ。
だがネフティスにとって、集落での暮らしは体験したことのないような新鮮なものだった。
「ねえねえおじさん、何歳なの?」
「もう少しで百万歳ぐらいかのう」
「魔法やってみて魔法!!」
「ほれ、死の交響曲」
「ちょちょちょ、ネフティス様それ極級魔法!!」
「二人は親子なのー?」
「へ? ち、違うよ!」
子どもと接する、それどころか人族と接するという機会がなかったネフティスだったが、取り繕うことなくありのままで接するネフティスは周りからいつの間にか信頼されるようになっていた。ローグとも話す機会が増え、長く生きていても感じたことにないような感覚がネフティスの心の中を埋め尽くしていた。
「ネフティス様、少し変わられましたね」
「変わったじゃと? すまんが変わったつもりはないな。勝手にそう見えるだけじゃ」
「ネフティス、メイル飯できたぞ」
「ああ、今行く」
「ほら、変わりましたよ」
「何がほら、だ」
「だってネフティス様、前までなら面倒臭そうに立ち上がって返事もしなかったじゃないですか。それにローグさんや集落の皆さんと話している時は楽しそうですよ、表情には出ていませんが」
「······気のせいだ」
毎年冬の間に飢餓と寒さに苦しむこの集落はネフティスとメイルの魔法により一人も死者が出ることなく集落全体にあたたかい笑い声と幸せなこどもの声が響いていた。
「メイルお姉ちゃん手袋ありがとう! とっても暖かいよ!」
「よかったあ、喜んでくれて嬉しいよ!」
「············」
「どうしたの、ネフティスさん」
「何もないぞ。それよりあっちで遊んできなさい」
そう言ってネフティスは離れた場所に雪を降らせると子ども達ははしゃぎながら走っていった。
「メイル、死にゆくものに肩入れしすぎるなよ」
「······はい」
その言葉を聞いてメイルは何かを思い出すようにして頷き、息を呑んだ。
(ネフティスさんだって、子どもたちやローグさんと)
「何か言ったか」
「いッ、いいえ何も」
二人とも薄々気づきながらも言葉にすることはなかった。メイルだけでなく、ネフティスでさえ集落での生活を心地よいと思っていたのだ。しかし誰もがその幸せに包まれ、忘れていたのだ。現在国が戦争中だということに。
その日、珍しく慌てた様子のローグが二人のいる教会の中に入ってきた。冬はまだ続いており、雪が降る中髪の毛に白い雪が乗ったままのローグは二人の前でゆっくりと深呼吸をした。
「どうやら、しばらく落ち着いていた敵国が攻撃を開始するようだ」
「ほう、ようやくか」
「そうですね」
「······やっぱり、止めに行くのかよ」
ローグの表情は険しく、二人の目を見ることなく下を見つめた。そして拳を握りまるで自身の非力さを呪うようにして歯を食いしばった。
「ローグよ、以前わしはお前に戦えと言ったな。だが訂正しよう、お前はこの集落でずっと戦い続けてきた。敵と戦わずともお主はここの皆を守り続けてきたのだ。ならばお前はわしの戦友である」
「戦友······俺がか?」
「そうですよローグさん、あなたは立派な人間です。だからあとは私たちに任せてください。この集落で普段通りに過ごすことが今のあなたの役目です」
「あんた達は····恩人だ。あんたらが死ねばガキどもも集落の奴らも悲しむ」
「「ッ——」」
ローグは二人の目をしっかりと見つめて深々と頭を下げた。
「頼んだ」
「ふん、お前らしくないな」
「安心して待っていてください。すぐに戻ってきます」
そして翌日、二人はローブを身に纏い杖を手に取った。集落の子どもがまだ寝ているほどの早朝に二人は教会の扉の前に立っていた。二人を見送るためにローグと大人達は教会前に集まり二人を見送ろうとしていた。
「ネフティスさんメイルさん、こんな早くに行くのか?」
「ええ、ネフティス様は歩くのがお好きな方なので」
「帰ったら俺の料理を振る舞ってやるからよ······無事に帰ってこい」
それ以上は何もいうことなく集落の者達は優しい目で二人を見つめた。そしてほんのりと雪が降る中、二人は静かに集落の外に出た。
「敵国は何処だったか、そういえばこの国の名前すら知らんのう」
「ここはネイル国、そして敵国はハイム国です。ハイム国は大国ではありませんが、魔法使いが多く存在するため軍事的な力はややこちらが不利のようです」
「目ぼしい魔力を持つものはおらんな。戦争は好かんがさっさと終わらせるか」
「いいえ、ネフティス様の魔力が多いだけですよ。人間にしてはかなり多い者もいます。人間同士が争えばこちらが不利と思われますね」
「まあ別にわしはここの国王を守るために戦うのではない。わしの目で見る限りこの国の国王もハイム国の国王も人間のクズだ。権力だけを持った、ローグには到底届かないほどの不良品じゃ」
「ネフティス様········」
二人の歩く土地は乾き、到底作物など育たないような不毛の土地だった。そしてその土地を一歩歩くにつれ二人からは無性に怒りの感情が出てきた。
(国の中心は肥えた土地が広がるというのにここは何だ。なぜ食料を均等に分け与えない。なぜ太ったブタどもに全て食事がいく。芋しか食えん集落のガキは、乾いた土と濁った川で腹を満たすローグは、なぜその者達に食料がいかん)
隣にいたメイルも静かに怒りを抑え、ゆっくりと踏みしめるように歩いていた。
そして国境の近くにまで来ると中心の痩せた土地を隔て、少し距離のある場所に両国が睨み合うようにして布陣を敷いていた。
「もう攻撃なさいますか」
「いいや、戦争を繰り返さないためにも痛みを知る必要がある。このまま少し待てばすぐに始まるだろ」
「······はい」
二人は不可視化の魔法をかけて戦場一帯を俯瞰できる位置まで浮かび上がり止まった。
「ここだけでなく、各地では既に戦闘が起こっているようですね」
「そのようじゃな······」
ネフティスはメイルの言葉を軽く流しながら下にいる兵士を見つめた。
「見ろ、先頭に立つ兵士の顔を。あやつらは何を考えているのかわかるか」
「いいえ、ネフティス様は分かるのですか?」
「まあわしも分からん。人族じゃからの」
(ん? 人族だから?)
「だが、先頭に立つ歩兵など戦争においてはただの犠牲でしかない。戦争が始まり一番初めに死ぬのだ。だがな、あの者達が戦いたいなど思っているはずがない。断れば殺されるため、無理矢理にでも理由をつくり自分を奮い立たせているのだ。対して貴族や王は自国の勝利を疑わず今頃笑って酒を飲んでおる、この差は何だろうな」
その言葉を聞いてメイルは大きく首を横に振った。
「私には、分かりません。あっ、始まりそうですよ」
まずネイル国から赤色の煙幕が上がり、それに応えるようにしてハイム国も赤色の煙幕が上がった。そして同時に地上では急激に緊張感が増し、その緊張は上空にいるネフティスとメイルまで伝わってきた。
鐘の音が戦場に響き渡り叫び声と共に先頭の兵士が走り出した。
「ではまず手始めに」
「手始めに?」
ネフティスは目を瞑って凄まじいほどの集中力で魔力を凝縮させた。そして指をパチンッと鳴らし、冷たい目で戦場を見下ろした。
「えっ、あれって」
メイルは目を見開き驚いた。驚いたのは戦場の中心に急にある存在が現れたからだ。現れた存在は驚いた様子で周りを見渡して唖然となっていた。
「両国の貴族、そして王族だ」
「······えぇええ!?」
勢いよく走り出していた両国の先頭集団はもはや止まることは出来ず、牽制のための魔力弾が両国からすでに飛んでいた。
(こ、こわぁ)
(聞こえておるぞ)
当然の如く中央にいた王族は踏み潰され魔力弾に弾かれ、一瞬にして命を落とした。
「これからどうするんですか」
「こうすれば終わる」
ネフティスは手を下に向けると中心から風が巻き起こり中央にいた二人の人物が倒れ伏す人間達の間から抜き出されるように出てきた。そして空中に持ち上がりその二人の人物が照らされるように光が差した。そして戦闘中の者達は足を止め、自然と上を見上げる。
そして全員が驚き唖然となった。両国の国王が血を流しぐったりとした状態で全員の前に現れたのだ。
「このまま攻撃を仕掛けようと思っておったがもう十分のようだな」
「ええ、もう戦争どころではないようですね」
両国の者達は戦意が喪失したような顔で膝から落ちていった。戦闘中の者も武器を落とし上を見上げたのだ。そのタイミングでネフティスとメイルは不可視化の魔法を解き戦場を俯瞰した。
「仕上げだな。ガルドの巨壁」
ネフティスが魔法を唱えた瞬間、戦場の中心に巨大な壁が現れ一瞬にして国境をなぞるように広がった。
戦闘はあっという間に終わったのだ。メイルは戦う気でこの場に来たものの何もしないまま全てが終わり、ふうっと安心するようにため息をついた。
「帰るぞ、腹が減った」
「はい!」
そして二人は戦場の方向を振り返ることなくローグ達のいる集落へと歩いて戻っていった。
「流石ですね、ネフティス様」
「フン、何年生きておると思っておるのじゃ」
そしてしばらく歩き二人の視界に懐かしいように感じる集落が見えてきた。
「ローグさん、料理作ってくれてるみたいですね」
「そうじゃな」
メイルは小さく鼻歌を歌い、嬉しそうにして集落に近づいていく。
「ネフティス様?」
ネフティスは立ち止まり、無表情とは言わないものの思考が停止したように顔の表情が動かなかった。
「血の····」
「血?」
次の瞬間、ネフティスがメイルの目の前から姿を消して同時に集落から地面が抉られるよう轟音が響いた。状況がよく分からなかったが気づけば集落の方へと走り出していた。
集落に入り、痩せた土の上を走り濁った川を飛び越えた。そして教会の頂上にある鐘がメイルの視界に入ってくる。
しかしメイルは目の前の光景を見て絶句した。
「ローグさんッ!!」
メイルの前にはネフティスに抱えられながら血を流してぐったりと倒れるローグの姿と誰かに殴られ地面に顔を埋めるハイム国兵士たちの姿があった。
「メイル姉ちゃん!! ローグ兄が!」
ローグのすぐ隣では子ども達が泣きじゃくっていた。周りの大人は怪我をしているようだったがローグの容態が一番ひどいようだった。
「ローグ兄ちゃん、私のことを守って······」
「ネフティス様、ローグさんはッ····」
しかしメイルの声はネフティスに届かず今まで見たことのないような茫然とした顔で涙を流していた。そして足をぶらんとさせて全く動かないローグの近くに駆け寄り、触れようとした時メイルは体中に寒気が走った。
無かったのだ。首から上にあるはずのものが。
「そん····な」
『あぁ、あぁあアアアア——ッ!!!!』
ネフティスの耳をつんざくような叫び声が辺りに響き渡る。
「何故だ!? なぜコイツが死ななければならない!!!」
悲痛な叫び声と共にネフティスの周りは真っ黒な何かに覆われた。
(ネフティス様はそれほどの時を生きてこられて、大切な方を何人失われましたか)
そしてメイルの言葉が脳裏をよぎった。
「一人目になるな!! わしは誰も失いなどせん!!」
「ネフティス様! 抑えてください!」
メイルの声も届かずネフティスの周りに集まる物体は渦を巻き、禍々しくなっていった。
(コイツは······ローグは··)
「報われるべきなんじゃああアアア!!」
(ローグさんの体に、黒い何かが······)
ネフティスの周りに集まっていた黒い物体はローグの中へと入り込んでいき最後の一滴が注がれると急に静かになった。そしてネフティスは周りにいるもの達をゆっくりと見渡した。
(大切なものなど、もう要らぬ。)
「我が身を呪え」
ネフティスの手からは再び黒い物体が出現し体の中へと入っていった。
(これでもう、何も感じない)
そしてこの日、男は人間を嫌いになった。
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