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しおりを挟む「今日は店番はいいのかい」
「しばらく休業するんだって」
ジェイミーはふうんと頷きながら自分の唇の端を指す。リュカは眼鏡の奥の、くりっとした目を瞬いて、舌でペロリと舐め取った。
なんだかいけないものを見てしまったような気になって、ジェイミーはそっと目を逸らしてカプチーノを啜った。
パン屋がやっているカフェだけあって、この店のパンは美味しかった。
朝食のあとは、リュカが行くつもりだった食料品がメインのスーパーにいっしょについていくことにした。
ひとりでぶらぶら散策するのもいいが、もうすこしリュカと話していたいと思った。
「朝食のお礼に荷物持ちくらいにはなるよ」と言うと、「じゃあ今度は荷物持ちのお礼をしなくちゃ」と楽しげに笑った。
リュカが向かったのは小さなスーパーで、食料品と、最低限の日用品が置いてある。家から一番近くのスーパーだ、とリュカは言った。もう少し足を伸ばせば、冷凍食品のみを取り扱うスーパーなんてものもあるらしい。
「新鮮な野菜はマルシェで買うのがおすすめだけど、ひとり暮らしだと使い切れないこともあるから。自炊するならカット野菜とかも売ってるから便利だよ」
自炊をする予定はまったくないが、総菜やパンもあるらしいので、この先お世話になることもあるだろう。
野菜や肉、魚を買い物カゴに入れていくリュカと対照的に、ジェイミーの目的はレトルト食品だ。
ひとまず数日分あればいいだろうと、牛肉の赤ワイン煮込み、真鱈のレモンソース掛け、仔牛のクリーム煮、と気になったものを次々放り込んでいると、リュカが目を丸くしている。
「リュカ? どうしたの?」
「いや……ちょっとびっくりして」と、リュカは苦笑いを浮かべた。
ジェイミーはああ、と頷いた。
「人には向き不向きがあるから」と肩を竦めると、リュカもそうだねと笑う。
「これまでどうしてたの? 実家暮らし?」
その質問に他意はないのだろう。会話の流れを考えても、ごく自然な質問だ。
ジェイミーは一瞬息を詰め、それから渋々答えた。
「……恋人と、いっしょに暮らしてた」
恋人、という単語を発するとき、喉に何かがつっかえたようだった。
気持ちの整理はついていたつもりだったけれど、自分が思うよりもずっと引きずっているようだ。衝動のままに、泣き喚きたいような気分だった。そんなことはしないけれど。
リュカはそんなジェイミーの様子に気付くはずもなく、「しっかり者の恋人に甘やかされてたんだねえ」とからかうように笑う。だが、すぐにハッとした様子で「ごめん」と言った。
「ごめん、僕、余計なこと言ったね」
「いいんだよ。本当のことだから」
ジェイミーは思わず苦笑いを浮かべた。
リュカに気を遣わせてしまうほどに、自分は傷ついた顔をしていただろうか。だとしたら本当に情けない。
なんとなく、気まずい空気になってしまった。
ふたりは淡々と買い物を済ませた。結局、ジェイミーは数日分のレトルト食品と、卵、牛乳、ミネラルウォーターを買った。
会計を終え、数歩前を歩くリュカの背中を眺める。ほっそりとした足に沿う細身のジーンズと、パーカーというラフな格好だ。オーバーサイズのパーカーの中で、華奢な体が泳いでいる。細い足、薄い体。強く掴んだら折れてしまいそうだ。
これじゃあ貧血や寝不足でなくとも倒れてしまうな、なんてことを考えながら、ジェイミーはリュカの荷物を取り上げた。目をまんまるにして驚いた様子のリュカが、小動物のようで微笑ましい。
「荷物持ちになる約束だろ?」
リュカは目を細め、素直に「ありがとう」と笑って、ジェイミーの隣に並んで歩き出す。
「ねえ、よかったら夜は一緒にご飯食べない? 僕が作るから。その、きみの歓迎会ってことでさ」
部屋の前で荷物を返したとき、リュカが明るく提案してくれた。
昨日リュカの部屋に上がり込んだのは不可抗力だったが、この場合はどうするべきか。これが他のオメガであれば、そういった誘いも含んでいるのではないかと邪推してしまうところだが……リュカはそんなことは欠片も考えていないだろう。そもそもジェイミーがアルファであることも気付いていないのかもしれない。
一瞬悩んだが、それは本当に一瞬で、ジェイミーはすぐに提案に乗った。
「いいのかい?」
「もちろん。八時でどうかな?」
「わかった。楽しみにしてるよ」
そうと決まれば手土産を考えなければ。トランクを漁ればきっといいワインの一本や二本は出てくるだろう。
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