上 下
61 / 83
第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。

60 ヤヨイの運命、雨の暗闇を彷徨うペール

しおりを挟む
  何時間経ったのか。それすらも、わからない。

 ヤヨイの陥った絶望的な状況に変化はなかった。

 腐肉を漁っていたネズミの群れは壁の床との境目に一か所だけ開いた小さな穴から這いこんで来たもののようだった。

 咄嗟(とっさ)に持っていた死者の松明を投げた。カラカラに干からび、かつ、まだ十分に脂分を含んでいたミイラ状の遺体はその黒い服と共に、よく燃えた。そのお陰か、ネズミたちはこぞって穴の向こうに逃げて行った。

「ごほ、ごほ・・・、おえ・・・」

 もう、と煙が上がり、悪臭がより一層ひどくなった。上着を脱いで切り裂き、それで顔半分を覆った。気休めだが、今はこれが精いっぱいだ。

  壁の石積みにはどこにもスキマなどはなかった。ネズミの穴以外には。

 不思議に煙は充満しなかった。暗くてわからないが上へ登ってゆくように見えた。ということは、ネズミの穴から入ってくる空気はどこかに、たぶん上の方へ抜けていくのだ。温められた暖かい空気と一緒に。

 もしかして、この煙がこの「地下牢」の存在を後宮や王宮に知らしめるかも。

 そんな期待を持たないでもなかったが、その前に煙で窒息して燻製になってしまう恐れの方が大きいような気がした。

 それに、仮に燻製にならなくても、不幸な黒衣の遺体はいつかは尽きる。その時は・・・。

 しかし、とりあえず今はこれしかやりようがない。


 ひとりぼっち、か・・・。

 久しぶりだな。

 小学校を卒業して母の許を離れリセに入ったとき以来か。でも、あれは寄宿舎。他の子たちと相部屋だった。じゃあ、大学に入った時? それも、初めての一人部屋だったけれど、級友たちはいたし、寂しくはなかった。むしろ、どこか孤独を求めて夜屋根の上に登って星空を見上げながら宇宙旅行の空想をしていたぐらい。徴兵されて、エージェントになってからも、一人で星空を見上げるのは好きだった。

 だけど、これは、全く違う。

 

 ウリル機関に入ったとき、様々な諜報に関する教育を受けた。

 その中に、絶望的、危機的状況に陥ったときの心得、のようなものもあった。

 ネガティヴになりがちな思考を止め、常に助かる方法を考え続けるのだ、と。

 しかし、次第にそれにも疲れてきた。


 

 このまま干からびて、いつかはネズミのエサになるのかな・・・。

 だとしたら、あまりにもひどい死に方だな。

「誰かあ! 誰もいないの? 誰かあ! 」

 何度目かになる叫びは、残響と共に頭上の暗闇の虚空に消えただけだった。

 さしものヤヨイも自棄に襲われた。

 なら、いっそのこと・・・。

 奥歯に仕込んだ毒薬を思った。幸い、ポケットには固いライターがある。それを奥歯に入れて強く噛めば、たった30秒ほどで、この惨めな境遇から抜け出すことができる。

 だが、早い。捨て鉢になるには、まだ早い。

 ヤヨイは自分に言い聞かせた。

 ああ、タオに会いたい! 

 タオ!・・・。

 タオのことを思うと、自然に涙が出た。

 不思議だな。

 今回の任務は、泣いてばっかりだ。


 


 

 


 


 

 ペールは走った。

 雨のぬかるんだ道を、夜通し、馬を駆った。

 走りながら、考えた。

 ノラのバカ!

 まず最初に、それがあった。

 なぜオレの言うことが聞けないんだ! 

 オレがビッグになれば、お前だって幸せになれるのに!

 次に、アニキに腹を立てた。

 どうしてオレの言うことを疑うんだ! 

 あんたのために、人殺しだってした。アイツは、あのアクセルとかいうやつは、絶対に怪しい! それを教えてやったのに! オレよりも、あんな昨日今日あったばかりのヤツを信じるなんて!

 もう全てがどうでもいい。どうなってもいい。

 ノールなんか、くそくらえ、だ!

 夜通し走って、黒毛もよく耐えていた。

 だが、冷たい雨の中の騎行は黒毛から気力を奪っていった。

 スピードが落ちた。

「おい! どうしたんだ。ガンバレ! おい!」

 やがて、止まった。どんなに腹を蹴っても、黒毛はもう動かなくなった。ペールが降りると、黒毛は頽れた。雨に打たれながら、黒毛は震えていた。

 ふと、あたりを見回した。

 降り続く雨の暗闇の中に、うっすらと黒い影が見えた。というよりも、無数の黒い影たちの中に、ペールはいた。

 そこは、かつて彼が生まれ育った、村だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

隣人はクールな同期でした。

氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。 30歳を前にして 未婚で恋人もいないけれど。 マンションの隣に住む同期の男と 酒を酌み交わす日々。 心許すアイツとは ”同期以上、恋人未満―――” 1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され 恋敵の幼馴染には刃を向けられる。 広報部所属 ●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳) 編集部所属 副編集長 ●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳) 本当に好きな人は…誰? 己の気持ちに向き合う最後の恋。 “ただの恋愛物語”ってだけじゃない 命と、人との 向き合うという事。 現実に、なさそうな だけどちょっとあり得るかもしれない 複雑に絡み合う人間模様を描いた 等身大のラブストーリー。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

処理中です...