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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。

59 国王の焦燥、ノラとペールのわかれ路

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「遅い! 遅すぎる! いったいどうなっているのだ、クリストフェル!」

 国王の居室、「晴嵐の間」

 カンテラを下げた女官がブラケットや燭台に灯りを灯しに来た。

 ディナーを共にし、その席で熱い心情を吐露したい気マンマンだったスヴェンは、後宮に行ったきり何の音沙汰もないヴァインライヒ女男爵にイライラを募らせ、クリストフェルに泣きついた。

 再三、まだかまだかとせっつく若き国王を宥めてきたクリストフェルではあったが、それにしても、バロネンの戻りが遅すぎる。

 まさかとは思うが、あの皇太后が何か謀ったのでは?

 国王付きの侍従であり、その実は秘密警察の長グロンダール卿の配下で王宮内の情報収集の任に就き、今回の「もぐら退治」のミッションも知っているクリストフェルもさすがに心配になってきた。

「女官長に質してみましょう」

 晴嵐の間を辞し、後宮との連絡を担う女官にメモを託し外園に面した自室で待った。 いかに国王付きの侍従と言えども直接後宮へ出向くわけには行かないのである。

 帝国の手練れのアサシン。最高のカードだという話だったが、何かあったのかもしれない。

 もし、そうなら。

 即刻事態をグロンダール卿に報告せねばならない。

 窓から見える後宮の尖塔に、クリストフェルは懐疑と不安の目を向けた。


 


 

 

 

 雨脚の強まる重い空の下はすでに夕闇が迫りつつあった。

 はるか西の雲は時折下腹に鈍い灯りを明滅させていた。遠雷が、遅れて腹に響いた。

 すでにぬかるんでいる街道を、馬用のレインコートを着けた黒毛がノラを乗せて歩き、その轡(くつわ)をペールが取っていた。

 マントのフードを目深に被ったノラは、黒毛の背に揺られながら、フードから滴り落ちる雨のしずくの奥の顔を、ずっと曇らせ続けていた。

 彼女の心の中には、幼いころから今までの、ペールと過ごした日々がリフレインしていた。


 

「ぼく、大きくなったぜったいにノラをお嫁さんにする! きっとだよ! 」

「うれしい! あたしも、ペールのために、ぜったい、いいお嫁さんになる! 」

 野の花の咲き乱れる丘の上で、互いに作りあった花の冠を捧げあい、固い約束を交わした幼い2人。

 だが・・・。

 純真で無垢で無邪気だった二人の思いは、いつしか神と掟によって凍らされ、縛り付けられていった。

 そんな運命に抗うように、思春期を迎えたノラはペールに身も、心も、捧げた。

 その時から、ノラは夢見る乙女ではなくなった。その代わり、大きな愛を手に入れた。

「愛してるわ、ペール! 」

「オレもだ、ノラ! もう、放したくない! 誰にもお前を渡したくない!」

 だが、口は易く、行うは難い。

 あまりに放埓なペールは、やがて里の人々の非難を浴びるようになった。

 彼の父も母も、あまりに野放図な息子を持て余し、いつしか病に冒され、相次いでこの世を去り神のみ許へ旅立った。里にペールの居場所はなくなった。

「オレはもうこの里に居たくない! お前のお父さんもオレたちを認めないだろう。この里に俺たちの未来はないんだ! 

 もっと広い世界を見てみたいんだ。好きあった同士が自由に一緒になれる土地に行きたいんだ! 

 ノラ、一緒に、来ないか? 来てくれないか? そうすれば、二人で幸せに暮らせる。

 きっと、そうだよ!」

 だが、ノラが答えを迷っているうちに、ペールは他の女、しかも婚礼を控えた他人の花嫁の手を取って里を出て行ってしまった。

 なんて、ひどいヤツ!

 ともだちも、誰もがそう言った。

 ノラも、一時はそう考え、ペールを忘れようとまでした。

 でも、出来なかった。

 何か月か後。

 彼はたくましい黒毛に跨って颯爽と現れた。

「ノラ。迎えに来たよ」

 白馬の王子ならぬ、黒馬の王子となって。

「オレは目標を見つけたよ! 

 このノールに革命を起こすんだ! 

 そのために今、オレはアニキを援けてノールと帝国を股にかけて奔走しているんだ!」

 しかし、結局。

 再びペールはノラを置いて去った。

「帝国に用があるんだ。必ず戻る。そして今度こそ、お前と2人で幸せな家を作ろう!」

 そして、ペールは帰ってきた。

 ノラとの約束を果たすため。

 そう、思っていたのに・・・。

「ノールなんかもう、いやだ!

 帝国に行って、二人で暮らそう! 」


 

 なに、それ・・・。

 ペールの、あなたの夢のために、今までずっと、我慢をしてきたのに。

 今度こそ、お優しいイングリッド様の許で、二人の家庭を、子供を作れる!

 そう、思っていたのに・・・。

 なに、それ!


 


 


 

 ずっと、黙ったまま。

 遠雷が光るたびに、篠つく雨を掌で避けながら、ペールは馬の背に揺られているノラを振り仰いだ。怖がってはいないかな、と。

 だけど、怖がるどころか、雷が光るたびに、ノラの無表情な貌が恐ろし気に彼を見下ろしていた。

 黙ったまま。それが、気になっていた。


 

「え? ・・・いったい、何? 何を言い出すの、ペール」

「ノールを出よう、ノラ」

「ノールを?」

「そうさ。こんなノールなんかもういやだ! もう、ウンザリだ。ノールなんか、もうどうなってもいい。帝国に行こう! 帝国で、二人で暮らそう!」

「ペール・・・」


 

 ゴルトシュミットには無断で屋敷を出てから、一言も口を利いていなかった。

 雷が、近くなった。

 刹那。

 街道のかなたがひときわ明るく輝いた。

 高い木にでも落ちたのだろう。炎が上がり、行く手を明るく照らした。

 と。

 黒毛が急に嘶き、立ち止まった。

 フードの下のノラの双眸が燃えているかのように光っていた。

 彼女は馬を降りた。

「どうしたんだよ、ノラ」

「あたし、行かない」

 ぬかるみにすっくと立ったノラは何時になく厳しい声音できっぱりと言い切った。

「なんだよ、ここまで来て」

「お屋敷に戻るわ。

 あなたは帝国でもどこへでも行けばいい。

 イングリッド様の許で、あなたが帰るのを待ってる」

 踵を返し、ノラは来た道を引き返していった。

「ノラ! 待てよ、ノラ!」

 飛び止めはしたが、追わなかった。いや、追えなかった。

 ノラの、あんな厳しい貌は、今まで見たことがなかった。


 


 


 
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